「ねぇ、蛮ちゃん。無限城に行かない?」
奪還屋である銀次は、寝転んでいた相方の蛮に笑顔でそう尋ねた。
無限城とは裏新宿の一番奥にそびえ立つ廃墟ビル群の集まりのことだ。
完全な無法地帯と化している其処からは、生きて帰ってこれない可能性も十分にある。
決して散歩気分で行くようなところではない。
「行くワケねぇだろ!死にに行きてぇのか、テメーは!」
ポカッと頭を殴ると、銀次はタレてコロコロと転がった。
「ち、違うよ〜今日は朔羅の誕生日なんだ。だからパーティに。それに今はMAKUBEXが治めてるんだもん、安心だよ〜」
「どっちにしろ俺は行かねぇぞ。テメー一人で行ってこい」
「そんなぁ〜ねぇ、蛮ちゃ〜ん」
「だいたい無限城に行くとろくなことがねぇんだよ」
苛ついた口調で言いきると、銀次は悲しそうに蛮を見た。
仕方なくため息をこぼしながら金色の髪を撫でる。
「そんな顔すんな。MAKUBEXたちはお前の仲間だろ?俺のことはいいから楽しんでこい」
「うん。じゃあ俺、行ってくるね」
元気良く手を振る銀次の後ろ姿を蛮は見送った。












場所は変わり、蛮がやって来たのは行きつけの喫茶店HONKY TONK。
いつもはあるバイトの夏実の姿はなく店長である波児しかいない。たぶん学校に行っているんだろう。
「よぉ、波児。ブルマン一つな〜」
明るく片手を上げ、いつものように注文する。蛮のその態度に、波児はしかめっ面をした。
「お前、自分たちがツケ溜めてるって自覚あるのか?」
「ちゃんとあるって。そのうち払うから心配すんなよ」
どうだか‥とブツブツ言いながらも、波児は注文どおりに用意を始める。
へへっと苦笑いをし、蛮は店の奥の席に飛針の十兵衛が座っていることに気がついた。
「飛針の兄ちゃんじゃねぇか。珍しいな」
「花月と此処で待ち合わせをしているのだ」
おそらく銀次が言っていたパーティのことでだろうと思いながらも蛮は尋ねた。
「朔羅っつー姉ちゃんの誕生日パーティか?」
「あぁ、そうだ。美堂も来るか?そうすれば姉者も喜ぶ…」
「いや、俺はいい。銀次が行く、それだけで十分だろ?事情があったとはいえ、俺がアンタらに好かれてるとは思えねぇ」
少し寂しそうに遮られた蛮の言葉に、十兵衛は返す言葉を失った。
自分たちが蛮を好いていない。
蛮に言われるまでそんなことを思いもしなかった。
少なくとも今の自分はそう感じていないことに気づいたからだ。
たしかに、雷帝を奪われたVOLTSは解散し、十兵衛を含め多くの人間が美堂 蛮の存在を恨んでいた。
既に出逢っていた士度たちは違うが、MAKUBEXや無限城に残った人間は、IL奪還作戦前も聞いたことしかない邪眼の男の存在を恨み続けていた。
しかし。






『だから銀次は此処を出なきゃならなかった。お前たちの時代の歯車を狂わせないためにな』






IL奪還作戦。ラストバトル。
蛮から偽りない真実を告げられたとき、自分たちの考えの愚かさを知った。
雷帝は俺たちのことを思っていてくれたのだ。守ってくれていたのだと。
その後、奪還屋がMAKUBEXの笑顔を奪り還してくれて、たしかに確実に少しずつなにかが変わっていった。
「蛮ちゃ〜ん」
いつ此処に来ても楽しそうな銀次の声。
響く笑いは表情が見えなくても、それだけでわかる。
あの時蛮が言ったことは言い逃れではなく、銀次が自分で導き出した答えなのだということ。
それがわからないほど、馬鹿な人間はいなかった。
もともとみんな、心の何処かで思っていたのかもしれない。
銀次が出ていったのは必ず理由があるはずだ、と。
でも愚かな自分たちにはわからなくて無責任な憎悪を向けてしまった。
綺麗な瞳を持つ優しい青年に。


「おーい。おーい‥飛針の兄ちゃん。どうしたんだ?」
大きく目の前で手を振られて、十兵衛はハッと我にかえった。
脳が生き返り、体中の神経が急激に色を取り戻す。
驚いた。完全に無意識だった。
どうやら自分は、ずっと気づかず蛮の腕を掴んでいたらしい。
「まさか寝てたのか?」
「あっいや、なにか、落ちた音がしたのだ」
「ん〜?チッ、遂に取れたか。波児〜悪いけど針と糸貸して」
転がっていたボタンを拾い、声を上げた蛮は気づかない。
とっさの嘘が真実になり、十兵衛はホッと胸を撫で下ろした。
















「おい、波児。まだかよ〜」
「おかしいな〜どっかこの辺にあったと思うんだが」
店の奥に入り、ガチャガチャやりながら呟いている波児の声が聞こえる。
バサッと服を脱ぎ、蛮はため息を吐いて再びブルマンに口をつけた。
「なんだよ?」
十兵衛の視線を感じた蛮が尋ねた。
十兵衛が見えないことはわかっているが、自分のほうを見ている気がしたから。
蛮の問いかけに、十兵衛はなにも答えない。ただ蛮をみつめて。
不審に思って近づいてきた蛮の腕を引き寄せた。
フワッと胸のなかに飛び込んでくる温かさ。目が見えない十兵衛にもその存在を感じられる距離。
仄かに香るのは香水だろうか。花月の匂いとは違う甘い匂いが鼻を擽る。
抜けるような白い肌。口付けたくなるほど潤った唇。
サングラスが落ちる音がしたから、あの綺麗な瞳も今なら見えるだろう。
すべてはモニターで見た限りだが、脳裏に焼き付いているその姿。
そのすべてに快楽が混じったらどれだけ綺麗だろうか。
…俺は何を考えているんだ!
「どうしたんだ?」
無防備な声がかけられると心苦しかった。
まさか考えていた内容を目の前の人に言うわけにもいかず、十兵衛は声を詰まらせた。
赤くなった十兵衛の顔。
その思考を察した蛮が、意地悪く十兵衛の顔を覗き込んだ。
「なんかやましいことでも考えてた?」
蛮の言葉にギクリとし、十兵衛の体に無駄な力が入る。
「…そう、ではない‥」
小さく、呟くほどの反論。まるでそうですと言っているかのような態度。
蛮が少しからかってやろうと人の悪い笑みを浮かべたその時。
カランカランという軽い音が突然の来客を知らせる。
「こんにちは」
聞いたことのあるボーイソプラノが店内に響く。
十兵衛の待ち人。元VOLTS四天王の一人、絃の花月である。
蛮はつまらないと思いながら固まっている十兵衛から離れた。
「よぉ、絃巻き」
「美堂くんも来てたんですか。あ、十兵衛、遅くなってゴメン」
「い、いや。平気だ」
花月の登場にかなり焦っているらしい。
うろたえている十兵衛を横目に、蛮は笑いを堪えながら放り出しておいたシャツを手に取る。
「なぁ、絃巻き。お前の糸でこれ、縫い付けてくれねぇ?取れなきゃいいからよ」
「いいですよ」
蛮の願いに笑顔で答え、花月は軽やかな動作で鈴を外す。
その指先で小さく、リンと綺麗な音を響かせた。
女性のような細い指から鈴の音と共に紡ぎ出される細い糸。
手慣れた手付きで、花月は簡単に糸を巻き付けた。
「サンキュー頼まれついでに今日のやつ、猿マワシも行くんだろ?適当に誤魔化しといてくれねぇ?」
「士度になにか用があるんですか?」
蛮は答えず、野暮なことは聞くなとでも言うかのように微笑んだ。
その意味を察した花月は、呆れたようにため息を吐くしかない。
「まったく、あなたという人は‥」
「文句でもあるのか?なんなら料金払ってやってもいいぜ」
猿貸し賃と笑みを浮かべる蛮は、いつもより明らかに機嫌が良い。
「どうしたんですか?気前がいいんですね」
「今日の俺サマはいつもにも増して寛大なんだよ」
しなやかな腕を花月の首に絡め、花月と蛮の唇が重なりかけたその瞬間。
蛮は気配を察し、飛んできた飛針を寸前でかわした。
しかし、どうやらかすったらしく、タンクトップの左側が切れて肩が露になる。
「貴様!花月に近づくな!!」
瞬間移動のごとく速さで自分と花月の間に割って入った十兵衛に、思わず拍手してやりたくなる。
「しっかし、顔が真っ赤だぜ、飛針の兄ちゃん」
お前も欲しいのか?と尋ねると、十兵衛は赤い顔のまま叫んだ。
「違う!!!」
「よく言うぜ。さっき俺のこと、物欲しそうに見てたくせに」
「ちがっ‥」
「今なら正直に言えばくれてやるぜ。体の奥がうずいてんだ。メチャクチャにされてぇ‥」
目が見えていたなら間違いなく堕とされていただろう。
背筋がゾクゾクするほど壮絶な色香を漂わせ、絡み付く細き腕。
吐息混じりの囁きは、無理やり押し込めた欲を再び目覚めさせた。
抗うことも考えられず、誘われるまま突き動かされ、十兵衛がその腰に腕をまわしかけた時。
















「十兵衛‥」
















後ろから小さくかけられた花月の声が、十兵衛を我にかえらせた。
壊しそうな勢いでドアを開け放し、十兵衛は脱兎のごとくHONKY TONKを飛び出した。
その姿に驚き、目をパチクリさせていたが、だんだん肩が揺れて遂に蛮は腹を抱えて笑いだした。
「あぁ〜おもしれ〜絃巻き、お前はどうするよ?」
「遠慮しておきますよ。とても魅力的なお誘いですけど…」
ボソボソとなにかを呟いて花月は十兵衛の後を追った。
「お遊びが過ぎるぞ、蛮」
思わずふりかえる。いつの間にか戻ってきていたらしい。
この空間のマスターは木色の壁に寄りかかり、蛮をみつめていた。
まぁ、あれだけ騒いでいれば当然だろう。
「波児」
見えないその先の瞳は、思ったより厳しい表情をしているのかもしれない。
お前が好きなのは彼だけなんだろう?
まるでそう言うかのように腕組みをして、まっすぐなにも言わずに非難する。
それは真っ赤な顔をして出ていった彼のためか、自分を想う温かい微笑みを持った彼のためか。
おそらく、そのどちらもだろう。
わかっている。けれど。
「なぁ、波児。溜ってるツケ、体で払ってやろうか?」
言うが早いか、蛮は身を乗り出しフワっとカウンターを飛び越えた。
驚きよりもあまりにも動作が自然すぎて、波児はなにも言えない。出てこなかった。
少なくとも一呼吸以上、二人はみつめあっていた。
短くない空白の後、波児はハッとして小さくため息をこぼした。
「蛮。そういう冗談は‥」
「冗談じゃねぇよ。言っただろ?メチャクチャにされてぇって。波児になら俺マジでいいし」
まるで知らない人間を見ているような気がした。
いつも此処で、銀次のとなりで、小さいガキのようにバカ騒ぎをしている姿からは想像もつかない。
普段の白衣の代わりに纏っている雰囲気。
その妖艶さは闇をも彩り、とても18には感じられない。
驚きで突っ立っている波児に近づき、その頬に蛮は手を添えた。
「それとも波児は俺のこと嫌い?」
小首を傾げ、とても切なそうに見上げる蒼の瞳。
その表情は波児に、保護者としての懐かしさよりも男としての欲情を感じさせた。
いつまでもガキだと思っていたわけじゃないが、妙なところだけ成長したもんだな。
そう冷静に感心している今の自分は、随分年老いてしまったような気がした。
たまには進んで罠に飛び込んでみるのも悪くないか?
「…嫌いじゃないよ」
添えられた手に手を重ね答えると、蛮は嬉しそうに微笑んだ。近づいてきた鮮やかな唇を波児は避けなかった。



















弁解の言葉もありません・・・。

2003/10/20



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