どうして闇に生きようとするのですか?

私にすら見えない深い闇のなかに。
















一番はじめに目に入ったのは馴染まない見慣れた天井。
頭がボーっとして、一瞬なぜ自分がここにいるのかわからなかった。
「お目覚めですか?美堂くん」
かかったのは低く聞きなれない声。その手には水の入ったグラスが一つ。
「テメェ‥」
ゴゴゴ‥と地響きのような効果音が聞こえてきそうな雰囲気。地獄の底からの声とはまさにこの時の蛮の声を言うのだろう。
「おや?何を怒っていらっしゃるのですか?お好きにしていいと言ったのは美堂くんのほうですよ?」
まったく悪びれたふうもなく赤屍は聞く。その様子が余計に頭にきて、蛮は声を荒らげた。
「加減ってもんをしろよ!」
怒りまかせに怒鳴ったその声は少しかすれている。蛮もそれに気づいたらしく、喉を押さえて眉間に皺を寄せた。
「十分したつもりですよ。その証拠に余韻は残っていてもダメージは残っていないでしょう?」
言葉に詰まって半ば引ったくるようにコップを受け取った。赤屍はクスっと笑ってベッドに座った。
「銀次くんはこのことをご存じなのですか?」
「わかってるくせに聞くんじゃねぇよ」
蛮は赤屍のほうは見ずに答えにならない答えを返した。
「…………………」
やはりそうですか。
聞く前からなんとなくわかってはいたけれど。
蛮が銀次に言うわけがないであろうことを。
なぜなのかは知らないが、蛮は自分から汚れ役を務めようとする。
銀次には黙って。哀しすぎるほど器用に隠して。彼に気づかせもせずに。そう、まるで自分がやるのが当たり前であるかのように。
「なぜ…」
たしかにあの少年は小さな子どものように純真だと思う。
優しいあなたはそんな彼の手を汚したくないのでしょう。
ではあなたは?
あなたの手は汚れているとでも?汚してもかまわないとでも?
私はあなたも彼と同じくらい綺麗だと思っているのに。むしろあの少年よりもずっとずっと綺麗だと思っているのに。
なぜあなたは自分を大切にしないのですか?



「なんだよ」
言いかけたまま黙った赤屍をいぶかしんで蛮は赤屍を見た。
硝子なんかより綺麗な紫蒼の瞳をみつめて赤屍は諦めたように目を伏せた。
わざわざ口に出さなくてもわかっている。
この優しすぎる少年に言ったところで答えてはくれないだろうということも。わかってはくれないだろうということも。
きっと、これからも笑って、となりにいる彼には気づかせずに。泣くことすらせずにその手を血で染めていくのだろう。
決して汚れることはないその綺麗な手を。
「いえ、なぜお金が必要なのかと思いまして」
蛮たちが借金しているのは知ってるが、どうもそのためではないようだ。
こんなことをして稼がなければならないほど急を要するということは仕事のためだろうか。
「てめぇに話す義理はねぇな。それより今、何時だ?」
空になったコップを赤屍に差し出して部屋を見回した。
時計を見ると九時すぎ。
まだ夕飯を食べていなかったことを思い出したらお腹が空いてきてしまった。
「腹が空いたな」
独り言のように呟いた言葉を赤屍はちゃんと聞きとめていた。
「よろしければなにか食べに行きましょうか?フランス料理なんかいかがです?」
赤屍からの魅力的なお誘いに蛮は少し考え込んだ。
きっと銀次は誰かにたかって既に食べてしまっているだろうし(というかそうしろと言ってきたし)帰ってももちろん食べるものはない。
「そうだな。テメェが奢ってくれるんならいいぜ」
コップを片づけて戻ってきた赤屍はまたクスっと笑った。
「それはべつに構いませんが、美堂くん、立てますか?」
「!当ったり前だ!!」
赤屍のからかいに怒鳴って立ち上がったら、やはり足もとが少しふらついた。
支えようとのびてきた手を叩いて、脱ぎ捨ててあったバスローブを翻した。
「シャワー浴びてくる。テメェはここで待ってろ」
蛮の見せた笑みはいつもと変わらない。赤屍はごゆっくりと言ってその背中を見送った。





料理を食べ終わった二人はゆっくりと公園まで歩いてきた。
昼間賑わっている公園もこんな時間には人気がなく、噴水の水音が大きく感じる。ベンチに座った蛮は満足そうに息をついた。
「気に入っていただけましたか?」
「まーな、なかなか美味かったし。よく行ってるわけ?」
「そんなに行っているわけではありませんが。でも気に入っていますね。またいつか行きませんか?」
「あ?べつにいいぜ。奢ってくれるんならな」
赤屍の誘いを適当にあしらって時計を見た。
そろそろ帰らなければ、銀次が心配するだろう。
立ち上がった蛮に併せて赤屍も静かに立ち上がった。
無言のまま自分の前に出された手の意味を一瞬だけ考える。
「あぁ、そういえばまだ渡していませんでしたね」
確認してくださいと言って、赤屍はどこからか白い封筒を取りだし蛮に差し出した。
嬉しそうに受け取って、中を見た蛮が驚いて顔を上げた。
「ちょっと待てよ。いくらなんでも多すぎるぜ。俺が言ったのは20だ」
本当なら20万だって多いと思ってふっかけたのに、封筒の中にはどうみても30万以上入っている。
「私の気持ちも入っていますから。それにリップサービスはなしでしょう?」
それがあるにしてもこんなに受け取るわけにはいかない。
蛮は20万だけ数えて引き抜くと、ポケットに札を突っ込んで残りは突き返した。
「夕飯ご馳走になったし、美味かったから残りは勘弁しておいてやる」
じゃあなと背を向けた蛮を赤屍は腕を掴んで引き留めた。なにかとふりかえればバッチリ視線があった。
瞬時に赤屍の思考を察して向き直ると、サングラスを外して目を伏せた。
感じる吐息。深くなる闇。
羽根のように軽いものから海の底のように深いものへ。

何度も交したキスの中で、今日初めてのディープキス。

「…んっ…っぅんん…」
口の端から声とともに唾液がこぼれていく。
崩れてしまわないように赤屍の首に腕をまわした。赤屍も蛮を支えるために、そして逃がさないために強く抱きしめる。
さんざん口内で遊んで、甘く痺れるような余韻を残すと赤屍は離れていった。二人同時にゆっくりと目を開く。
「どうしました?」
「一度もやらねぇから知らねぇのかと思ってた。言っておくがリップは別だぜ?わかってるだろ?」
「えぇ、そうでしたね。では次回にツケておいてください」
「なに言ってんだ。次は……」
ねぇよと言いかけた言葉を飲み込んで蛮はうつ向いた。
次はない、なんて言い切れるのか?
そんなことはわかりはしない。
また今日みたいな日があれば。どうしても金が必要になれば。その時、どうせならば…
「美堂くん?」
「しかたねぇからこれもサービスにしておいてやるよ」
うつ向いていた顔を上げると、押し当てるように荒っぽくキスをした。
すぐ離れると、びっくりした赤屍の瞳に自分が映っていた。
「驚いた?」
いつもの赤屍のように、少し悪戯っぽく笑うと、口を塞がれてしまった。
さっきのキスよりずっと深く長く甘く。あの時のからだの中の熱が呼び覚まされるような。まるで爆弾を抱えているみたいな気分。
膝がガクついてきて、漆黒のコートに波ができる。
解放された頃、蛮の口からこぼれたのは吐息だけだった。
「おやすみなさい、美堂くん」
蛮の耳もとに小さく囁いて赤屍はコートを翻した。
闇に溶けるように消えた背中を見つめ続けて、いなくなってしまったつかの間の客人に挨拶を返す。
「…おやすみ、赤屍」

















なんと一日で書き終わりました。笛!の藤代くん以来です(=約10ヶ月ぶり)
いつもこれくらいのスピードで書ければ更新も早いのにな。
蛮ちゃん、最後の最後でやっと赤屍サンの名前呼んだよ‥

2002/10/27



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