化膿した傷は治らず、痛みも熱もどんどん広がっていくばかり。
はじめから斬り捨ててしまえばよかった。
古くからの知り合い?そんな良いものじゃないわ。
ともに戦場をかけて、唯一無二の戦友だなんて言われて、喜んでいた頃の自分がかわいらしい。
趙雲とは考え方や好みがあって、歳が近かったこともあり、よく話すようになった。
共にいるのはここちよくて距離が近くて近づきすぎて、気づいた時には・・・まぁ、ずいぶんと拗らせてしまったものだと思う。
出会ってから10年。今さら、男だ女だなんて騒ぐような関係ではなく、二人でいたって甘い空気なんて微塵もない。
男同士でいるのと変わらない、軍議さながらの熱い英伝と殿と描く未来の話。
色気なんてない、そんな間柄でもいいと思っていた。昼間の稽古も飲み明かす夜も。ただ二人で過ごす、その時間が楽しかったから。
あぁ、でも男だったのだな、なんて改めて理解して。
理解して、でも。・・・もう、今さら遅い。
「に言っておきたいことがある」
それまで何を話していたのか忘れてしまうくらい、いつもと違う空気だった。
言われたことがない、そんな言葉に急にドキドキして、趙雲の真剣な瞳と空気にときめいて。
もしかして、なんて、期待した愚かな自分を殴り飛ばしてやりたい。
名も知らぬ女官と、夫婦になるのだと話を聞いたとき、よく器を落とさなかったものだと自分を褒めてやりたかった。
見たことがないほどの優しい笑みを浮かべて幸せそうな顔で告げられて。
・・・おめでとう以外の何が言えただろう。
「おめでとう、あなたが祝言をあげるなんて私もうれしいわ」
「ありがとう、」
・・・ああぁ、本当に。泣きたいくらい愚かな自分。
今宵は、殿が二人の門出を祝おうと開いた宴の席。
側を手に入れた、幸せを絵に書いたような女性。聞けば、殿の妃である糜夫人様の遠縁にあたる者だとか。
貴方の名前は知らなかったけれど、これから私はきっと何度も貴方の名を聞くことになるんだろう。
「ありがとうございます、様」
お相手の彼女に頭を下げられ、顔を上げるようにと促した。
「私はずっと、様が羨ましゅうございました」
「そう?」
「様は美しくてお強うございますから。私の憧れです」
羨ましい?隣を手に入れた貴方がそれを言うの?
悔しくて憎らしくて、殺気立ちそうになる。でも、彼女の態度や仕草から嫌味とかじゃなく、彼女の言葉が本心なのだときづいた。
きっとこの素直さで好きだと隠さず、趙雲にぶつかっていったのね。
私には出来ない。出来なかった。
もし彼女のようになれたなら、なんて。思っても仕方がないこと。
・・・これが無い物ねだりなんだわ。
「ありがとう」
彼女から注がれた酒を飲み干した。いくら彼女が羨んでくれても、手に入れたのは彼女のほうで私ではない。
別にいい。
私には、武を極めるという目標があると言い聞かせてみても虚しいだけ。
やけ酒にならぬように幸せの杯を重ねられるだけ重ねて、酔い覚ましをするからと言って、席を立ってきた。
あぁ、絶対飲みすぎたわ。
人気のない縁側を通り、庭を見ようとつきあたりまで離れた。
欄干に寄りかかりながら月明かりに照らされた庭に視線を落とす。
ほおを撫でる夜風が涼しくて心地いい。そもそも酒は強いほうで、潰れるようなことはない。
足にきてるわけでもないけど、あぁ、酔ってるなと自覚があるくらいには酔いがまわっている。
離れたのに部屋からは笑い声やら叫びやらどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。
大きな歓声と、その後に張飛殿の騒ぐ声が一際大きく聞こえてきて、今度は苦笑いがこぼれた。
賑やかで楽しい夜。
いっそ、記憶がなくなるくらい酔いつぶれられたらよかった。
悲しい。悲しい。悲しい。
こんな幸せが満ちた夜に、そんな感情が満ちているのは私だけだろう。
二人を祝う声を聞くと苦しくなる。二人が共にいるところを見るのがつらい。
戻りたく、ないな。
ふと、庭から城内の自室のほうへ視線を向けた。
このまま部屋に下がっても、誰も咎めはしないだろう。殿はそういうことに厳しい方ではないし。
飲めないわけじゃないけど、もうあの幸せと祝福の中にいるのは・・・苦しい。
「酔い覚ましか?」
かけられた声は穏やかで聞き慣れたものだった。
ふりかえると、見慣れた影がある。
「馬超」
その顔は月明かりの下だからなのか、いつもと変わらない色に見える。
馬超も趙雲と仲がよかった。
「あなたも酔い覚ましに来たの?」
にっこりと笑って声をかけた。
私たち三人は歳も近く、気が合ったのでともに鍛錬することも多かった。
二人の槍のしなやかさや豪胆さには敵わないけど、私は身軽さとスピードでそれを補っていた。
互いにないところを持った相手と鍛錬すると、自分一人で稽古していた時とは違うところが見えてくる。
お互いが高めあえる相手。
いい仲間だった。もちろん今も。
「いや、慰めにきた」
そういった馬超が何を考えているか、読み取ることはできなかった。
何を言ってるのかと返す、その言葉に感情がのりそうになって息と一緒に呑み込んだ。
今、言葉を発したら全部吐露してしまいそうだわ。
「腹が立ってるんだろう?あいつをとられて」
驚いた。
気づかれているとは思っていなかった。言葉にも態度にも出ていなかった筈だ。
我ながらわかりにくい愛情表現だったと思うし。
カマをかけてる雰囲気は感じなかったので、素直に認めた。
「まぁ、そうね」
「そんなことはないと言うかと思ってたんだが、意外に冷静なんだな」
「そんなことはないわ。アンタを八つ当たりで斬り刻みたいくらいよ」
それは本心だった。
酔いに任せて、ぶちまけられたら楽だと思う。そんなに分別のないことは出来ないし、酔ってもいない。
「アイツよりイイ男がいるだろ」
「イイ男ねー・・・例えばアンタかしら?」
「わかってるな、そうだろ?」
「たしかに、イイ男、かもね」
酔っ払いの戯言に、適当に返事を返したが、応えてる様子はない。
視線を向けることが嫌になって、馬超に背を向けた。
少し放っておいてほしい。一人になりたい。
声に出さず、それを表したつもりだった。
途端に馬超の気配が色濃くなる。
ただ話すだけというには妙に近くなった距離に頭を傾げた。
「何してるのよ?」
「傷ついた奴は御しやすいって知らないか?」
「聞いたことはあるわね。でも、本人にそれを言う?」
「恋の傷を癒すには新たな恋だろう」
「まだアンタは対象外だけど?」
「まだ、か」
「言葉尻を取らないで。興味ないわ」
苛ついて、感情のまま立ち塞がるその体を押し返した。
馬超の様子がいつもと違うように感じるのはなぜなんだろう。
距離を開けるために押し返した手首をそのまま捕らえられる。ふり払おうと手を引いたけど放れない。力を込めているようには見受けられないのに、ふりほどけなかった。
「放してよ」
「自棄になれよ」
「なにそれ?普通は自棄になるな、じゃないの?」
「自棄にならなきゃ俺のモノにならないだろ、は」
口調は軽くて、いつもの馬超と変わらないのに捕らえられたその力は、強い。
だからこそその真剣さが伝わってきて、内心狼狽えた。
「ちょ、ちょっと、待って。まさか、こんな傷ついた酔っ払いを手篭めにする気?最低ね」
「あぁ、最低だろうな。今が好機だと思っているしな」
出来るだけ空気を変えないように茶化した言葉に、茶化して返される。でもまとわりつく空気は軽くなくて、馬超の影が私にかかる。
その身に圧迫感を感じるほど詰まった距離に怯えて、拳に力を込めてひいた。それでも、やっぱりふり払えない。
「馬超、離して」
「が好きだ」
「知ら、ない」
「ずっとが好きだった」
「やめて」
やめて。やめて。聞きたくない。
「私は、趙雲が好きなの!」
吐き出した想いと一緒に、涙がこぼれた。こぼれ出したらあふれた想いは止まらなかった。
好きだ。好き。
ただ隣にいればなんて嘘だ。ずっと隣で、一緒にいたかった。
伝えても何も変わらなかったかもしれない。気まずくてもっと後悔していたかもしれない。
それでも、伝えればよかった。はじめから甘んじるんじゃなくて、諦めるんじゃなくて。
もう伝えられない。
たった一言。たった一歩。勇気が、出せなかった。臆病な自分が悪い。
でも、でも!
「はじめからそうやって素直に泣いとけ」
押し付けられた手拭いの感触。頭を撫でられて、その手つきの優しさが、よけいに涙を誘ってくる。
「・・・っ!」
もらった手拭いを握りしめて、促されるまま目の前の温かさにすがりついた。
苦しくて切なくて、耐えられない。
趙雲が幸せそうだから、伝えられない。
白い布地に染み込んでいく涙が、広がっていく。
撫でてくれるその手の優しさが、伝えられなかった想いを吐き出すことを許してくれる。
何も言えなくて、何も形にならなくて、涙がこぼれるまましがみついた。
「・・・・・・・・・・ありがとう・・・」
泣くだけ泣いて落ち着いてきたら、泣いた顔を見られるのは照れくさくて、胸に頭を預けたまま、感謝を伝えた。
「バーカ」
かすかな動きと、小さく呟かれたあたたかさ。
頭を撫でてくれるそのあたたかさも、ただただありがたかった。
「言っただろ?泣いて自棄になって俺を見ろって」
「そう、だったわね。アンタ、最低ね」
「親切な友人のふりして慰めるほうが卑怯だろうが。には正直でいたいんだ」
不意に騒ぎが大きくなり、誰かの足音が聞こえた。
頭を押さえられたままだったけど、馬超の視線が上がったのが分かった。
「おい、そこのお前!」
「はい!・・・馬超様、いかがいたしました?」
「が酔っちまったらしい。悪いが俺たちは先に抜けると趙雲と殿に伝えておいてくれないか?」
「わかりました。お伝えしておきます。お水などお持ちいたしますか?」
「いや大丈夫だ、ありがとう」
わずかな間の後、小さな足音とその気配が消えて、少し顔を上げた。
ふりかえった廊下には、もう誰の姿もない。
「これでいいだろ?はもう部屋に戻れ。部屋まで送ってやりたいが、送り狼になりかねんからな」
「馬超はどうするの?」
「しばらく時間をつぶしてから部屋に戻る」
一人になることに寂しさを感じながら馬超を見上げたら、狼狽えたようにパッと顔をそらされた。
「お前は馬鹿か?そんな目で男を見るな」
「一人になりたくないの」
「お前な・・・」
「今夜一緒に寝てくれたらご希望通り馬超の株が上がるわよ」
「寝るって・・・文字通りの寝るだけだろ?」
問いには答えず頭をあずけた。
「若い男に惚れた女の隣でただ寝るだけって・・・かなりの苦行を強いてるんだってわかってるか?」
さっきの空気を引き寄せようとする馬超を許さず、その瞳を見つめて訴えた。
わがままで、甘えで、そんなことはわかってる。
それでも一人になりたくなかった。
「・・・。お前、俺がなんて答えるかわかってて言ってるだろ?」
「そうよ、だめ?」
頼りたかった。甘えたかった。
私も素直に態度に出した。
「今夜だけよ」
明日にはいつもの私に戻るから。だから今夜だけ泣かせてほしい。
「くそっ・・・・・・いくぞ」
緊急の呼び出しで移動する際に空いた小一時間で筆が進んで骨組みが完成した失恋ドリ。
途中、本気で襲いかからせようかと血迷っちゃった。昔、似たような話を別キャラで作った覚えが。
2020/1/19
|
|