片山千秋は、高梨修の顔が大好きである。 他にも好きなところはたくさんあるのだけれど、ちょっとキツめの美人顔を前にすると、ふにゃふにゃと全身の力が抜けてしまう。 それは昔からそうで、もう10年以上一緒にいるというのに、修の顔は、いくら見ても見飽きるということがない。 男女問わず、これまでに見た誰よりもきれいだと千秋は思う。 「そーっすかあ?」 喫茶店の低いソファに全身を沈め、河田二高の安藤は、呆れたような声をあげた。 「ちょ、ちょっと声が大きいよ!」 慌てて口をふさごうとした千秋の手をするりとかわす。 不審げにこちらを見た中島に、何でもないというように手を振って、コーヒーのカップを取り上げた。 「いや、確かに男前ですけどね……」 安藤はコーヒーをひと口すすり、伸びあがるようにして店の奥を見た。 黒焚連合の幹部連中がたまり場にしている喫茶店に、今日は客が2組。 1組は、連合の総長であるブルこと古川修、副総長の高梨修、そして次期総長の呼び声も高い中島信助。 対するもう1組は、千秋と安藤。 この不思議な組み合わせは、連合の今後について話すため、ブルが中島を呼び出した際、修にも同席を求めたということに原因する。 話し合いの場である喫茶店に、ブルは1人でやって来たが、例によって中島には安藤が、修には千秋が同行していた。 総長、副総長、次期総長が大事な話をする間、残り2名は別のテーブルで待っていろ。 ということで、5人は店の奥と手前の2組に分かれ、千秋は安藤と同席することになった。 しかし、千秋には安藤との間で共通の話題などほとんどない。 最初こそ、河田二高の戦力はどうだとか今年の百合南はどうだとか、ぽつぽつと話してはいたものの、元が口べたである。 話題に窮するのに、さして時間はかからなかった。 「えっと、あのね……」 金魚のようにぱくぱくと口を開閉させる千秋を横目に、安藤は何も言わない。 生意気な下級生の視線は、一応は先輩にあたる千秋が、どれほどの男かと量っているようだった。 他の黒焚連合幹部となら、ここでケンカのひとつも始まるところだろうが、そこは千秋。 (修ちゃん〜〜) 救いを求めるように店の奥を振り返った。 しかし、修が千秋の心の声に気づくことなどあるはずもなく。 幹部3人は店の奥で額をつきあわせ、何事か真剣に話していた。 上座にブル、下座に中島。2人と直角の位置で、窓を背にした修。 修はトレードマークのキャップを脱ぎ、ソファの上に置いていた。 ひそめられた眉間を指がなぞり、左眉尻の傷跡の上で止まる。 修はしばし瞑目した。 薄汚れた窓から午後の日が射し、丸められた背中の、輪郭が白く浮かび上がるように見えた。 「きれいだなあ……」 その瞬間、横にいる他校の1年生の存在も忘れ果て、千秋の視線は、ごく自然に修へと吸い寄せられる。 思わず呟いた一言を、安藤に聞かれたのが運のつきだった。 きれいって何がですか?誰がですか?と根掘り葉ほりしつこく。 とうとう、冒頭数行のようなことを、白状させられてしまった。 しかし、修ちゃんはきれいだと、夢見るように語った千秋に対し、安藤は以下のように評した。 高梨修は、確かに男前である。 おそらく、顔の良さでは、人数のやたらと多い連合の中でも5指に入るだろう。 しかし、きれい、美人という表現は当てはまらない。 彼はどう見ても男であるし、いわゆる美少年とはタイプが違う。 「そうかなあ?」 先ほどとは逆に、今度は千秋が反駁する。 珍しくもムッとしていた。 修がきれいだというのは、千秋の確信である。 彼と一緒に過ごした長い年月の間に、それは信仰にも似たひとつの思いとなっていた。 大きな拳をテーブルの下でそっと握る。 「そうっすよ」 けれど、先輩の心後輩知らず。 物事はもっと客観的に判断した方が良い。 安藤は、サングラス越しの冷めた視線で天井を見上げ、煙草をふかした。 「そんなことないよ」 修ほどきれいな人はいない。 訥々と、千秋はくり返す。 それなのに、安藤はドレッドヘアーをガシガシ掻きながら、まるで聞き分けのない子を諭すかのように言った。 「だから、高梨さんは、片山さんの言うみたいな美人とか、そういうんじゃない。 少なくとも、自分の目にはそう見えます」 だから、修がとてもきれいだと言うのなら、それは、千秋の目に問題があるのではないか。 そんなことを言われ、千秋は限界だった。 「あ、あんど……」 「千秋」 思わず声を荒げかけたそのとき、修が千秋の名前を呼んだ。 振り向くと、修は千秋の座るソファのすぐ後ろに立っていた。 店の奥では、ブルと中島も、めいめい上着を手にして立ち上がる。 「帰るぞ、話は済んだ」 そう言って、修はキャップをかぶりなおした。 自分より高い位置にある千秋の肩を、宥めるように叩いて笑う。 ニッ、と効果音のつきそうな、悪童めいた笑みだ。 その後、ふいに真顔になると踵を返し、千秋を置いて店を出て行った。 途端、千秋の頭からは全てが消えた。 安藤の存在も、言われたことも、抱きかけていた穏やかならぬ感情も、修の他の全てが。 「ま、待ってよ。修ちゃん〜〜」 千秋は、修の後を追うべく立ち上がる。 ブルに向かって慌しく1礼すると、大きな足音を響かせながら駆け出して行った。 「何だ?ありゃ」 奥の席から、先ほどまで千秋と安藤のついていた席に移動してきたブルが、心底から不思議そうに呟く。 さあ?とはぐらかしかけた安藤を、何だ?とブルの疑問を受けるように中島が見た。 安藤は肩をすくめ、ヤニで汚れた喫茶店の天井を見上げる。 「恋っすよ」 ドレッドの頭をガシガシ掻きながらひと言だけ言って、後は黙った。 |