リスタート





ひと月前のこと。
鳳仙の美藤竜也に敗けて、ヒロミは、いわゆる病院送りになった。
送られた先は、いつもの新田医院。
すっかり顔みしりになった医者には、
「君は一年で何度ここに来れば気が済むんだね」
と、呆れたように言われた。
川原で美藤に投げられたとき、運悪く石に頭を打ってしまったため、半月ほど病院のベッドに縛りつけられた。
見舞いに来た桂木さんは、やっちまったな、と笑って、
「タバコ吸えねーの、辛いだろ」
と言いながら、ヒロミの引き出しから、誰かが持ってきたマイルドセブンをひと箱、失敬していった。

(確かに)

図々しくも愛すべき先輩を見送った後、ヒロミは思う。
確かに辛い、と。
タバコが吸えないことではない。
もちろん、齢十七にしてニコチン中毒の身に、予期せぬ禁煙が全く辛くなかったと言えば嘘になるが、そうじゃない。
少なくとも、それだけじゃない。
ヒロミは、入院中、自分の中に生じたある変化に戸惑っていた。



大川橋の下で美藤竜也に敗けた後、ヒロミは、駆けつけたポンと春道によって病院に運ばれた。
運ばれた先は、いつもの新田医院。
すっかり顔みしりになった医者に、
「君は一年で何度ここに来れば気が済むんだね」
と、呆れたように言われたのは、しかし、ヒロミ一人ではなかった。
同じく美藤にやられた阪東も、ヒロミと一緒に病院に運ばれていた。
ちょうど空いていたから、という理由で、二人部屋に詰めこまれたのは、不運という他ない。
顔を横に向けると、隣のベッドで、阪東が眠っているのが見えた。
頭を打ったヒロミとは違い、阪東は、早くも翌日には退院していったが、同じ病室で過ごした、そのひと晩が決定的だった。
何がどうしてそうなったのか、自分でも分からない。
隣で眠る阪東の姿に胸が高鳴り、阪東が退院した後も、空っぽのベッドが視界に入るたび、そこに横たわっていた男を思い出して動悸がする。
ヒロミに生じたある変化とは、恋だった。



相手は同性。
しかも、一度は本気で潰し合った仲である。
数か月前、ヒロミは下校途中に阪東に襲われて、重傷を負った。
後頭部には、今もそのときの傷が残っている。
傷あとと言うには生々しい。
昔のこと、と切って捨ててしまうには早すぎた。
そんな阪東を相手に、何が恋だ、と思う。
自分で自分が嫌になる。
だけど、消せない。
病院のベッドの上で、終日阪東のことを考えて、「恋」という単語が頭に浮かんだときには、パニックになった。
気の迷い、同情に過ぎないと打ち消し、打ち消しして数日。
それでも収まらない胸の高鳴りに、一週間ほど経つ頃には、ほとんど諦めの境地だった。



数か月前、抗争にあけくれていた頃だって、ヒロミは別に、阪東ヒデト自身が憎かったわけではない。
もちろん、好きか嫌いか聞かれれば、胸をはって大嫌い!と答えられただろう。
しかし、当時のヒロミにとって、阪東は武装の尖兵に過ぎず、その意味で目的ではなく手段だった。
阪東が何を考え、何を欲して鈴蘭を狙ったのか。
彼が本当はどんな人間なのか。
正直なところ、阪東が春道に敗れるまで、考えてみたこともなかった。
そのことが、今になって悔しい。



退院時、ヒマつぶしと称してポンが迎えに来てくれた。
「お前、顔色悪くねーか?」
ヒロミの荷物を受け取りながら、ポンが言った。
退院しても大丈夫なのか、と心配してくれる。
さすがに、五年来の親友の目はごまかせないらしい。
「鳳仙はどうなった?」
ヒロミが聞くと、ポンは未だ心配そうな顔をしつつも、春道が美藤竜也に勝って終わった、と教えてくれた。
「マコは弟の方に圧勝」
誇らしげに言ったポンは、ついでのように付け加えた。
「そーいや、阪東が見に来てたらしーぜ」
その名前は、不意打ちのように効いた。
「ヒロミ?おい!どーしたヒロミ!」
その場に立ち止まり、動かなくなってしまったヒロミを、無理やり病院に戻すべきか、ポンは真剣に悩んだらしい。
ある意味、ヒロミは重症だった。



検査の結果が出るまでは、自宅で安静にしているように、と退院に際して医者から言いつけられた。
ヒロミの家には父親がおらず、母親も仕事に出ているので、昼間は一人だった。
誰もいない家で、特にやることもないので、ひたすらゴロゴロする。
一人でいると、阪東の顔がどうしても頭に浮かぶ。
気晴らしに音楽を聴いても、音がまともに耳に入ってこなかった。



退院した翌日、見舞いに来たポンとマコによれば、桂木さんたちのときのような話し合いこそ持たれなかったが、鳳仙は鈴蘭から完全に手を引いたらしい。
ただ、これまで表に出てこなかった美藤兄弟が鳳仙のトップに立ったことで、この街の力の均衡は必ず変わる。
そうしたことに、さほど興味のない親友たちも、大ニュースらしく、さすがに興奮気味に語っていた。
阪東はどうしてる?などと、聞ける雰囲気ではなかった。



(あいつは、もう学校には来ないかもしれない)

二人が帰った後、再び一人になった部屋で、ヒロミは思った。
美藤竜也と戦ったことで、たぶん、阪東の気は済んでいる。
高校卒業と高校中退。
世間では違うのかもしれないが、卒業といったところで、出るのは鈴蘭である。
千田や山崎といった、昔の仲間がいるわけでもない。
阪東が鈴蘭、ひいてはこの街に執着する理由は、何もないように思えた。
そして、もし阪東が学校をやめたなら、きっともう二度と会えない。
そんな気がした。



けれど、ヒロミは阪東にもう一度会いたかった。
好きだ、と気づいたばかりの気持ちを打ち明けたいわけじゃない。
ただ、阪東の顔が見たかった。
ヒロミが最後に見た阪東は、病室の眠る阪東である。
入院した翌朝、目を覚ますと、隣のベッドはもう空だった。
「しっかり見ててくれ」
と。
美藤竜也と対峙する、阪東はヒロミに言った。
確かにそう言った。
阪東の目は、負けを覚悟してそれでもなお挑もうとする者だけが持つ、愚か者の、けれど、真っ直ぐな目だった。
大川橋の下の川原で、やられてもやられても立ち上がる。
茜色の空を背に、投げられた阪東の長い足が宙を掻いた。
最後に吹っ飛ばされた阪東が地面に激突する瞬間、ヒロミは思わず目をつぶってしまった。
見ていてくれと頼まれたのに、最後の最後で、見ていることができなかった。
まずは、そのことを彼に詫びたい。
そして、できることならもう一度、あの目で自分を見てほしかった。



階段から屋上に続く扉を開ける。
瞬間、吹きつけてくる冷たい風に、もう冬なんだなと思った。
空は晴れているけれど、空気は冷たい。
真昼だというのに太陽は低い位置にあり、それでもまぶしく照りつけてくる。
秋口まで屋上を根城にしていた春道は、冬の訪れとともに巣穴を変えた。
ほとんどが幽霊部員ならぬ幽霊部活化しているが、鈴蘭にも、他の高校にあるような運動部はひととおり揃っている。
たぶん、それらのうちの一つ、あるいは二つ三つの部室を乗っ取ってでもいるのだろう。
春道の舎弟を自任するヤスや亜久津の姿も今日は見えず、ポンとマコは本日登校していない。
誰もいない屋上で、鉄柵にもたれてタバコに火をつける。
あの日以来、初めて吸うタバコの味は、記憶にあるよりも苦かった。
空を仰いで煙を吐くと、風が吹いて、白い煙はあっというまに消えた。



ヒロミが復帰した日、校内にやはり阪東の姿はなかった。
やめたという話は聞かないから、まだ籍はあるのだろう。
けれど、生徒たちの大方は、阪東はもう退学したものとして、鳳仙との喧嘩について噂していた。
学校に毎日出てくる勤勉な生徒が少ないからか、鈴蘭では噂の広まる速度が遅い。
ニュースはひと月経っても鮮度を失わないようで、ヒロミも教室にいるとあれこれ話を聞かれ、それがうるさくて屋上に逃げてきた。



北町第三駅で、鳳仙の偽トップ3人とやりあっていたとき、突然阪東が現れた。
自分では否定していたけれど、傍から見ればヒロミたちを助けに来たとしか思えない状況で。
けれど、町田の顔をいきなりナイフで切り裂くクレイジーさは、武装にいた頃と少しも変わっていなかった。
阪東が菊地と、ヒロミが国本と。
背中あわせで戦う。
昔、映画の中で見たようなシチュエーションは、ヒロミの憧れだったが、まさか阪東とそんなことをするとは思わなかった。
更に、その後、十日も経たないうちに阪東のことが好きでたまらなくなるなんて。
そんな自分になってしまうなんて。
人生が予期せぬ出来事の連続なら、阪東がもう学校には来ないという予想も、覆されることがあるかもしれない。
「Tomorrow Never Knows」と、何度か聴いたことのある歌のタイトルを、鉄柵に指でなぞった。
「Turn」「off」「your」「mind」と、埃の上に書かれた文字は増えていく。
俺は何をやってるんだ、と苦笑して、顔を上げた。
希望的観測は重々承知の上だ。
何もかも全部承知の上で、あいつにまた会いたい、とヒロミは思う。






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覆されます。
「キリシマシークレット」より前の話。ヒロミが片思いでぐるぐるしているのが書きたかった。
そんなに会いたきゃ自分から阪東の家にでも行けばいいのに、とセルフでつっこみも入れてみたり。
阪東卒業できたってことは、鳳仙とやった後学校に復帰したんですよね。
学年は下だけど、ヒロミの方が勉強はできそうなので、教えてもらってたりしたらかわいいな。 教えてもらってるのに、すごい態度大きい先輩。





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