convenientlife






オリキャラが出てきます。






 上京して一年と半年、肉体労働に飽きた常吉は、自宅アパート近くのコンビニでアルバイトを始めた。
 両腕に入った刺青で、接客は難しいか、と履歴書を出しに行く道すがら、考える。
 ダメ元で受けた面接で、けれど、店長兼オーナーのオッサンは、ユニフォームの下に長袖シャツを着ることを条件に、常吉を雇ってくれた。
 そうして始まった、コンビニバイトライフ。
 首尾は上々である。
 オッサンは気さくなオッサンだったし、仕事も難しくない。
 時給は高くないけれど、深夜に入れば手当てが付いた。
 ちょうど夏休みだったこともあって、バイト仲間は学生が多かった。
 これまでに味わったことのない、青春の雰囲気も悪くなかった。
 よく深夜のレジで一緒になる、大学生のスズキ君(仮名)とは、仕事上がりに一緒に朝飯を食うくらい仲良くなった。
 たまにヘルプで入る休日の昼間には、かわいい女子高生と一緒にレジを打てる。
 それもグッドだった。
 高校を卒業して上京して、一年前に加入したバンドは、完全にプロ志向のバンドだ。
 常吉だって、成り上がりを目指している。
 けれど、客の少ない夜の店内で、レジに立ってゆらゆらしていると、時にそれを忘れてしまいたくなる。
 俺一生バイトでいいかも……と一瞬思ってしまうほど、居心地が良かった。

 深夜勤をしているときとには、たまにバンドのメンバーも顔を出してくれた。
「よお」
 その夜も、自動ドアが開いて、姿を見せた派手な金髪は、ボーカルのヒロミだ。
 ヒロミに続いて、ギターでリーダーの阪東も入ってくる。
 まだまだ売れないバンドで、音楽だけでは食っていけない。
 二人も、常吉のコンビニ同様、バイトをしていた。
 今行っているのが常吉の家の近くらしく、時どき常吉の働くコンビニに寄ってくれるのだ。
「今帰り?」
「おお、もうどっか寄って晩飯食うのも面倒だから、弁当買おうと思って」
 そう言うと、ヒロミはカゴを持ち、弁当の棚に向かった。
 阪東は特に挨拶もなく、飲み物の棚の方へ。
 いつものことだから、気にもならない。
 そのときは他に客もいなくて、特にやることもなかったので、常吉は店内をウロつく二人を何となく観察した。
 弁当を二つ取ってカゴに入れると、パンの棚の方に歩いていくヒロミ。
 そこへペットボトルを持った阪東が近づいて、物も言わずにペットボトルをカゴの中へ投下。
 阪東を睨んで、ヒロミは遠目にも今イラッとした空気をまとって、でも、一瞬後にはため息をつく。
 雑誌の立ち読みをしている阪東。
 カゴを持ってレジに向かうヒロミ。
「あたためますか?」
 バイト仲間のスズキ君が、カゴから弁当を出して聞いた。
「あっためるのかよ?いーじゃん、どーせウチ遠いんだから、ウチに着くまでに冷めちゃうだろー」
 せっかくあっためてもー、と横から常吉が口を出すと、うるせーなあ、とヒロミは苦笑する。
 つられてスズキ君も笑った。
 最初に阪東やヒロミが来たときは、この彼も、確か盛大にビビッていたはずだ。
 彼だけじゃなく、他のバイトも、ついでに言えば店長兼オーナーのオッサンも。
 この見た目じゃ無理ねーよな、と己のことは棚に上げて、常吉は思う。
 金髪をツンツンに逆立てたヒロミも、全身革でキメた阪東も、一般的に見れば決して係わり合いになっちゃいけない人種だ。
 それが、常吉のツレと分かり、何度か来店するうちに、スズキ君も、ビビる様子はなくなった。
 今ではこうして、お弁当あたためますか?なんて、まともな扱いをしてもらえるようになっている。
(良かったなあ、お前ら、俺のおかげだな)
 常吉が勝手にしみじみしていると、立ち読みしていた雑誌から顔を上げた阪東と目が合った。
 不気味なツラしてんじゃねーよ、と店を出ていきざまに言われた。

 そんな感じで、何か月か経った頃。
 夕方、常吉が出勤してくると、バックヤードに人影があった。
 誰だ?と思って目をこらすと、今日も一緒にレジに立つ予定のバイト仲間、スズキ君(仮名)だった。
「オハヨー、早いね」
 常吉が声をかけると、彼はビクッと肩を揺らす。
 おそるおそる、まるで恐いものでも見るような顔で常吉の方を見た。
「……ツネさん」
「何かあったのか?」
 不審に思って聞くと、無言で首を横に振る。
 そのまま、逃げるように行ってしまった。
「何だ?アイツ」
 常吉は呟いた。
 嫌な予感がした。

 その夜、予定どおり一緒にレジに入ったスズキ君の様子は、やっぱり変だった。
 妙にソワソワして、ミスも多い。
「具合でも悪ィの?」
 常吉が聞くと、またも無言で首を横に振る。
 気まずい雰囲気のまま、数時間が経った。
 夜も更けてきた頃、スズキ君は、意を決したように口を開いた。
「あ、あのっ……」
 ちょうど客のいない時間帯で、常吉が商品の前出しをしているときに、話しかけてきた。
「どーした?」
 彼は真っ青な顔をしていた。
 常吉は立ち上がって、スズキ君をレジの方へ連れて行く。
 レジ奥のイスに座らせると、彼は常吉を見上げて言った。
「あの、いつも来てる人たちって、ツネさんの友だちですよね?あの、金髪の人と……」
「あー、阪東とヒロミな」
 バンドのメンバーを友だちと表現していいのか迷ったが、常吉は頷いた。
 常吉の家の近所でのバイトが終わった後も、二人は、時どき常吉の働くコンビニに顔を出す。
 常吉がいるときしか来ないから、アイツらなりに俺のこと心配してんだろうと常吉は思う。
 つい昨日も来た。
 阪東もヒロミもちょっと酒が入っていて、地元の奴が来たから近くで飲んだ、と言っていた。
 飲み足りない、とビールか何か買って、二人が帰った後、コイツが裏にゴミ出しに行って……。
 そういや、帰ってくるのがやけに遅かったな、と常吉は、スズキ君の項垂れた小さな頭を見下ろして思う。
(そんで、帰ってきたときも、そういや青い顔してた)
 常吉は、黙ったまま次の言葉を待った。
「……」
「……」
 沈黙の店内に、今ならオニギリ全品○○円!的な、場違いに明るい声とBGMだけが響く。
「……あのっ!」
 退屈した常吉が、レジの後ろに並んだ煙草の箱を見て、吸ったことのない銘柄を覚えているときだった。
 スズキ君が、腰をおろしていたイスから、突然立ち上がった。
 その勢いに常吉は思わず後ろに下がり、踵を何かにぶつけて後ろに転ぶ。
 立ち上がった彼もなぜか一緒に、二人は転倒した。
「すみません!」
 転倒して、いてえと呻く常吉の上で、スズキ君が謝罪する。
 いいから早く下りろ、と常吉が言うと、すみません、と彼はもう一度同じ言葉を口にした。
「すみません、俺、びっくりしちゃって、マジで驚いて、いいのかなとか、すみません、それで店長に、でも、ツネさんに迷惑がかかるかもと思ったら、俺……」
 体の上で、わけの分からないことを突然まくしたてられて、常吉は驚いた。
 呆気に取られていると、言うだけ言ったスズキ君は、すみません!と叫んで立ち上がった。
 そのまま店を飛び出して、どこかへ走り去る。
 コンビニの制服を着たまま。
 家に帰ったのか?と、彼の背中が完全に見えなくなって、ようやく我に返った常吉は思う。
 何がなんだか分からない。
 結局、その日、スズキ君は戻ってこなかった。

 バイト仲間の奇妙な言動の理由を、常吉が知ったのは、翌朝のことだ。
 深夜勤が終わって、常吉が帰ろうとしていると、
「奈良岡くん、ちょっといいか?」
 店長兼オーナーのオッサンに呼び止められた。
「何スか?」
 常吉は不機嫌に振り向く。
「ちょっと、ちょっと話があるんだけど」
 そう言って、オッサンはバックヤードの控室に常吉を招いた。
 パイプ椅子に常吉を座らせ、オッサンは、しばらく話しにくそうにしていたが、
「ちょっと聞いたんだけどね」
 なぜかモジモジしながら口を開いた。
「ハア……」
 常吉は頷く。
(早く帰らせてくんねーかな)
 一応頷いて返しながらも、常吉は、そんなことを考えていた。
 何しろ、昨日はあの後、大変だったのだ。
 相棒のスズキ君がいきなり帰ってしまった後、急に店は混み出すわ、明け方が近づくに連れて方々から商品を運ぶトラック等がやって来るわで、大忙しだった。
 もう一刻も早くうちに帰って寝たかった。
 それでも、常吉が素直に従ったのは、昨夜のよく分からない出来事が、頭に残っていたからだ。
 オッサンが、君の友だちのことなんだけど、と言ったときには、だから、ああやっぱり、と思った。

 君の友だち、とは阪東とヒロミ。
「その、ちょっと聞いたんだよ」
「……何を聞いたんスか?」
「いや、まあ、それはね……それでね、その、あんまりああいうことはウチでやらないで欲しいっていうか……」
「ああいうことって何スか?」
「いやあ……」
 言葉をにごすオッサンに、常吉はイラッとした。
 嫌な予感が当たった気がした。
 常吉自身もそうだけれど、阪東もヒロミも、地元では相当名の知れたヤンキーである。
 元ヤン、と自分たちでは思っているが、傍から見れば未だ現役バリバリに違いない。
 金髪、刺青、阪東の三人組である。
 電車で隣の席が空いても、誰も座ってくれないし、接客のバイトに採用されたのだって、実は常吉のコンビニが初めてだった。
 自分たちが、世間でどう見られているかは知っている。
 この前、テレビで、大型スーパーの倉庫に深夜入りこんで商品を盗んでいた少年グループが捕まったというニュースも見た。
「証拠でもあるんスか?」
 証拠がなかったら許さない、と思った。
 もし阪東やヒロミが、単に店の周りをウロウロしているだけで、何か疑われているとしたら……。
 オッサンといえども許さない、スズキ君(仮名)といえども許さない、と思った。
「いや、証拠っていうかね、うーん……」
 オッサンはまたも言葉を濁す。
 ポケットからハンカチを取り出し、薄い頭の広い額を何度も拭いた。
 小柄なオッサンは、常吉の前にあるイスに腰を下ろすと、まるでそういう置物のようだ。
「証拠、証拠ね、うーん……」
 汗を拭き拭き、しかし、オッサンは常吉が睨みつけると、観念したように顔を上げた。
「……あのね、ボク、裏の防犯カメラの映像をね、見たんだよ」
 一応、と語尾が口の中に消える。
「俺にも見せてくれよ!」
 次の瞬間、常吉は叫んでいた。
 常吉と、阪東やヒロミとの付き合いは、それほど長いものではない。
 上京してからだから、まだ二年にもならない。
 それでも、常吉には分かっていた。
 アイツらは、盗みとか、そういう汚いことをやる奴らじゃない。
 だから、何か疑われているとしたら、それは冤罪に違いないのだ。
「き、君は見ない方がいいと思うな」
 それなのに、オッサンは言った。
「君は友だちだろ?見ない方がいいよ」
「いいから見せろよ」
 常吉は言った。
 オッサンは、きっと何か勘違いしている。
 阪東!ヒロミ!お前らの疑いは、俺が絶対に晴らしてやるぜ!と、そんな気分だった。
「いいから見せろよ!アイツらがそんなことするハズねーんだ、俺が見れば分かるよ、なあ、なあ!」
 今にも殴りかかりそうな剣幕で、常吉は言い縋る。
 その迫力に、止めておいた方がいい、と言っていたオッサンもとうとう折れた。
 分かったよ、と立ち上がり、研修用のビデオを見せるためのテレビが置かれた下から、一本のビデオテープを取り出した。
「じゃあコレ……ボクは店の方にいるから、あのね、見てショックだったら、すぐにストップするんだよ、いいね」
 なぜか念押しするように言って、常吉にテープを渡すと、控室を出て行った。

 ショックだったら、というオッサンの言葉が少し気になりつつも、常吉はテレビをつけた。
 テープをビデオデッキに入れた。
 仕事の疲れ、眠気など、とうに飛んでしまっている。
(俺はお前らを信じてるぜ)
 呪文のように心の中で唱え、再生ボタンを押した。
 そして、我が目を疑った。

 テレビ画面に映ったのは、常吉の想像していたような、(社会的に)バイオレンスと疑われる行動を取る阪東とヒロミ……ではなかった。
 そういう意味では、二人を信じた常吉は正しい。
 しかし、再生されたビデオが映し出したのは、それとは全く別の方向で、常吉の予想を大きく裏切る場面だった。
「……」
「……」
 コンビニの裏口を出たところの、大きな室外機の陰になった場所で、二人の人物が向かい合っている。
 何か話している。
 防犯カメラの映像だから、音はない。
 割と激しく動いている。
 防犯カメラの映像だから、音はない。
 けれど、ビデオを見ている常吉の耳には、二人の声も、動いているときの音も、リアルに再生することができた。
 数日前の晩、常吉はアパートの自分の部屋で、AVを見た。
 そのときの声や音を当てはめてみれば、今見ているビデオの映像にはぴったりだった。
 映っている二人のうちの一人が、もう一人を壁に押しつけるような姿勢で、下半身をまさぐっているのもそっくりだった。
 ただ、違っていることと言えば、常吉が見たAVでは、壁に押しつけているのが男、押しつけられているのが女だったところ、防犯カメラの映像では、どちらも男。
 革ジャンのガラの悪そうな男と、金髪のガラの悪そうな男は、見間違えるはずもない。
 阪東とヒロミだった。

 常吉は、おそるおそるビデオを巻き戻す。
 もう一度再生ボタンを押すと、しばらく無人の状態が続いた後、画面の下の方から、阪東とヒロミが現れた。
 間違いなく、昨日……もとい一昨日、常吉のバイト先に姿を見せた二人だった。
 酔っ払っているせいか、普段より足元がおぼついていない。
 店を出てから何があったのか、二人の雰囲気は防犯カメラの荒い映像でも分かるほど険悪だった。
 音は聞こえないが、口論している。
 阪東がヒロミに何か言う。
 それに対してヒロミが言い返す。
 また何か言う。
 言い返す。
 そのうち、阪東がヒロミの腕を掴んで、道路とは逆の方向に歩き出した。
 大きな室外機の陰へとヒロミを引っぱっていき、今にもケンカが始まりそうな感じだったのに、二人が始めたのはキスだった。

 わけが分からない。
 常吉は、昨日の夜何度も思ったことを、昨日とは違う意味で思った。
 長いキスだった。
 AVだったら、キスが長すぎる、恋愛要素とか要らない、とレビューに書かれてしまうレベルだ。
 阪東は、何度か逃げようとしたヒロミを捕まえ、そのうち焦れたのか、壁にヒロミを押しつけた。
 ヒロミの手から、持っていたビニール袋が落ちる。
 地面に落ちた白い袋の中に、何が入っているのか、常吉は知っている。
 自分がレジを打って、商品を詰めたのだ。
 ビールとパンとスナック菓子と……。
 現実逃避気味に常吉が思い出している間にも、事はどんどん進んでいく。
 阪東の手は、いつのまにか自分の、次いでヒロミの下腹部の辺りで動いていた。
 しばらくモゾモゾやって、やがて規則的に上下に動き出したときには、奴が何をしているのか、同じ男なので常吉にも分かった。
 ヒロミの下半身をまさぐり、執拗に責め立てる。
 肩に縋りついた手を外し、自分のものを握らせ、何ごとか囁く。
(何なんだよ、これは……)
 眼前のテレビ画面の中でくり広げられる、見知った二人の、まるで知らない一面に、常吉は言葉を失った。
 不思議と嫌悪感はない。
 嫌悪感はなく、ふつふつと湧いてきたのは強い怒りだ。
 頭の中は、WHY?の嵐だった。

(何で男同士で……)
(何で同じバンドのメンバーで……)
(ていうか、何で俺のバイト先でこんなことしてくれてんだよ……)

 何だかもう、好き勝手にヒロミを弄っている阪東にも、弄られているヒロミにも腹が立つ。
 ああ、もうどうしてくれようか、と常吉が思ったときだった。
 画面の隅で、二人以外の何かが動いた。
 やがて現れた、小さな頭には見覚えがあった。
 後ろ姿でも誰だか分かる。
 目の前の狂宴(としか言いようがない)を硬直して見つめるのは、昨夜謎の職場放棄をして去った、スズキ君(仮名)だった。

 気がつくと、常吉は控室を飛び出していた。
 駐輪場へ向かい、原付のエンジンをかける。
 行き先は決まっていた。

 通勤ラッシュの車の列を縫うように、常吉は一散に原付を走らせた。
 東に向かって走る。
 朝の光がまぶしい。
 目的のアパートの横に原付を停め、常吉は、何度か玄関先まで来たことのある、その部屋の扉を叩いた。
「出て来い!阪東!ヒロミ!出て来いコノヤロー!!」
 扉を叩き、インターフォンを押し、反応がないので大声を上げる。
 ウルセーぞ!と道路の方から誰かに怒鳴られたが、常吉は気にしなかった。
 だって俺は怒っているのだ。
 ものすごく、怒っているのだ。
 叩き破る勢いで扉を叩き、何度も叫んでいると、扉の向こうで、ようやく物音がした。
 そして何かが近づいてきて、扉が開いた瞬間。
 常吉は、渾身の右ストレートを、ソイツの顔に叩きこんだ。

 きっと不意打ちだったからだ、と自分でも思う。
 常吉の右ストレートは、嘘みたいにキレイに阪東の頬へとめりこんだ。
 同じバンドの三人では、普段冷静なヒロミが、意外と一番ケンカっ早い。
 その次が常吉で、阪東は、何か騒ぎになったときも、ニヤニヤ笑いながら眺めているだけのことが多かった。
 が、この男はたぶん強い。
 ヒロミよりも、悔しいけれど、俺よりも強い。
 殴り合いに明け暮れてきた長年の勘で常吉はそう思い、実際、それを証明するような場面にも幾度か出くわしてきた。
 だから、きっと不意打ちだったからだ。
 常吉の拳をまともに食らって、阪東は、そこら中の物を巻き添えに倒れた。
 ヒロミが出てこないのは、留守なんだろう。
 玄関に転がっていたブーツが飛んで、常吉の頭に当たった。
 次の瞬間、バネじかけの玩具みたいな勢いで、阪東が飛び起きる。
 そして、その勢いのまま、不安定な体勢からとは思えないほど威力のある蹴りを。
 今度は、常吉の方がふっ飛ぶ番だった。
 階段の手すりに思い切り体をぶつけて、呻きながら頭を上げる。
 顔面の下半分を鼻血に染めた男前が、目の前に立って常吉を見下ろしていた。
 血も凍るほどのって、これだな、と思うほど、阪東は恐ろしい表情だった。

 その後は、大ゲンカになった。
 わざわざ近所の公園に場所を移して、第二ラウンド開始。
 常吉の勘は当たっていた。
 初めてやり合う阪東は、ものすごく強かった。
 小鳥に及ぶとはさすがに全く思えないけれど、確実に自分よりは上だった。
 その上、完全にキレていた。
 いつだったか、キレた阪東がどれほど厄介かという話を、ヒロミがしていた。
 愚痴だと思って聞いてやったそれが、実はノロケだったのかもしれないと思えば、バカバカしいことこの上ない。
 しかし、確かに厄介だった。
 一体、人生に何があれば、そんなに躊躇なく人の急所を狙えるようになってしまうのか。
 逃げるんじゃない、距離を取るだけだ、と公園の隅に走った常吉に、阪東は近くにあったゴミ箱を持ち上げ、裂帛の気合もろとも、投げつけてきた。
 あの、公園によくある鉄製のゴミ箱、もしかしなくても相当重いアレだ。
 寸でのところで常吉が避けると、地面に弾かれ転がったゴミ箱の横、土のグラウンドには大きな穴が開いていた。
 ケンカはキレた者勝ちだ。
 心からそう思う。
 だけど、負けたくない、と常吉は思った。
(だって、俺は怒ってるんだ)
 阪東に負けないくらい、自分だって怒っている。
 脳裏に浮かぶのは、あのビデオのことだ。

 裏口の防犯カメラが映した、二人の情事。
 画面の隅で硬直していた青年。
 勘違いしてると俺に思われたオッサンと、実は自分の方が勘違いしてた俺。

 俺がどんなに恥ずかしかったか、テメーに分かるか、と常吉は思った。
 少し離れた位置から、前ぶれなくダッシュして、阪東の腰に組みつく。
 恥ずかしいとか、申し訳ないとか、そんなこと言っても絶対に理解できないだろう男の腰に組みついて、常吉は渾身の力で投げた。
 投げられた阪東が飛ぶ。
 またも不意打ちがキレイに決まった。
 阪東は空中に弧を描き、地面に激突した。
 激突して、しかし、やったか?と常吉が思った直後、また立ち上がる。
 強い……だけじゃなくて、大変に打たれ強い。
 鬼の形相で駆け戻ってきた阪東は、肩で息をする常吉の腕を掴み、柔道の背負い投げの要領で。
 投げられて、視界の上下が回転して、そして、常吉は意識を失った。

 気がつくと、常吉は公園のベンチに寝ていた。
「……」
 顔を上げると、隣のベンチで阪東が煙草を吸っていた。
「……」
 常吉は阪東を睨みつける。
 そのうち、視線に気づいたらしく、阪東も常吉の方を見た。
「どうしてこんなことした?」
 煙草を消して聞く。
 阪東がもうキレていないことを、常吉は少し意外に感じた。
「どーしてって……」
 促されて、どこまで話していいか迷いつつも、今朝のことを話した。
 コンビニでのこと。
 話して、そして、後悔した。
 阪東は、自分たちの情事が防犯カメラに映っていたと聞いても、欠片の動揺も見せなかった。
「本番はしてねーぜ」
 そう、平然と言い放った。
 まったく悪びれもせず、恥ずかしそうな顔の一つもしない。
 常吉は愕然とした。
 目の前にいる、同じバンドのメンバー、顔面に鼻血の跡を残してなお二枚目と言っていい顔の男が、そのとき宇宙人に見えた。
 阪東は、常吉の怒りの意味が分からない、というようなことを言った。
 心底不思議そうに言われて、常吉はもう言葉もない。
「話がそれだけなら、俺は帰るぜ」
 そう言って、ベンチから立ち上がる。
 一人残された常吉には、呼び止める気力もなかった。

 ヒロミが常吉のうちに来たのは、その翌日のことだ。
 常吉は、夕方からのバイトに行く用意をしていた。
 ヒロミの後ろには、なぜか顔を盛大に腫らした阪東もいた。
 常吉がドアを開けるなり、
「すまん!」
 ヒロミは、体を九十度に折って叫んだ。
 ほとんど土下座せんばかりの勢いだった。
 呆気に取られている俺の前で、悪かった、もう二度とあそこでああいうことはしないし、させない、ていうか行かないようにする、とまくし立てる。
 ヒロミはひどく焦っていた。
 ヒロミのそんな顔を見るのは初めてだった。
「阪東!ほら、お前も謝れよ!」
 そう言って、ヒロミは阪東の腕を引っぱり、自分の前に出す。
「……」
「……」
 常吉と阪東は、しばし無言で睨み合った。
「……悪かったな」
 一触即発の雰囲気で、しかし、沈黙を破ったのは、阪東の小さな声だった。
 悪かったな、と言われて、おお、と常吉は返す。
 思わず返してしまった。
 一日寝たら収まった、というわけでもなかったが、それで少しは落ち着いた。
 ヒロミの焦った顔同様、阪東の謝罪の言葉も初めて聞いた。
 なぜ阪東が謝る気になったのかは分からない。
 自分のバイト先でああいうことをするのはどうかと思う。
 それは今も思う。
 阪東のことは宇宙人だと思う。
 今も思う。
 ただ、二人の関係については、自分でも不思議なくらいストンと腑に落ちた。
 店にも謝りに行かせてくれ、とヒロミには頼まれたが、それは丁重にお断りした。
 そんなことをされたら、ただでさえ残り少ないオッサンの頭髪が、ますます儚い命になってしまう。
 ヒロミの困った顔を見て、仕方がねえな、俺が代わりに頭を下げてやろう、と思った。
 恐縮している金髪に、別にいいよ、と手を振る。
 バイトまでもう時間がなかったので、常吉は早々に二人を帰らせた。
 閉じかけたドアの向こうで、ヒロミが頭を下げる。
 阪東は、またヒロミに頭を下げさせられていた。
 彼のキレやすさについて、常吉は、昨日体感したばかりだ。
 余人には、常吉にも、決して理解されないだろう倫理観も。
 だから、無理やり頭を下げさせるなんて、そんなことを、阪東が他人に許しているのが信じられなかった。
 そして、ドアを閉めて、他人じゃねーのか、とふと思った。
 窓から外を見て、並んで歩く二人の後ろ姿が見えなくなったところで、愛だな、と思わず呟いた。

 次の日、バイトが終わった後、姿を見せたオッサンを捕まえて、常吉は昨日のことを話した。
 もちろん、全部ではない。
 二人が謝っていたことと、二度とここでそういうことはしない、と言ったことだけ。
 常吉が言うと、オッサンは目に見えてホッとしていた。
 かえって申し訳なさそうな顔で、悪かったね、と何度も言う。
 そして、若いんだから仕方ないよ、と前置きして、驚くべきことを口にした。

「もし、我慢できなかったら、ボク、あっちの国道のとこにモーテル持ってるからね、あそこ使うように言ってあげて、奈良岡君の友達だったら割引するし」
 モーテル、という語感の古さと、オッサンがそんなものも持っているという事実と。
「男の子同士も大歓迎だよ、ボクも嫌いな方じゃないし」
 目を丸くしている常吉に、オッサンは、更にとんでもないことを言う。
 半分ハゲた頭の後ろ姿を見送って、常吉は、大人って計り知れねえ、と思った。
 オッサンが去った後、常吉は、控室に入って、テレビ台の横に積まれたファイルをこっそり見た。
 バイトの個人情報が書かれたファイルだ。
 バレたら危ないことだし、バレなくてもいけないことに違いはないが、背に腹は変えられないと思った。
 バイト仲間のスズキ君(仮名)は、本日、無断欠勤をした。
 常吉がこっそり調べたのは、彼の住所だ。
 原因が明らかなだけに、常吉に彼を責める気持ちはない。
 というか、常吉は、彼に謝りたかった。
 何と言うか、謝らせて悪かった、と謝りたい。
 それで、また一緒にこのコンビニで働きたい。
 阪東とヒロミの分も、と思ったら、ちょっとイラッとした。
 今度スタジオで二人にあったら、オッサンのモーテルを使うように言ってやる。
 男の子同士だから割引だよ、って言ってやる。
 半分意趣返しのような気分でそう思い、常吉は、ユニフォームの下に着たシャツの袖をまくった。






 ずいぶん後になって、ヒロミの地元の友だちと飲んだときのことだ。
 ヒロミの親友の本城が、阪東とヒロミの関係を知っているようだったので、常吉はこのときのことを話した。
 すると、本城に、
「お前、そんなことがあって、よくバンド抜けようとか思わなかったな」
 感心したように、そう言われた。
 バンドを抜ける。
 最も腹を立てているときでさえ、それは考えなかった。
 そういえば、一瞬たりとも考えなかった。
 周りを見ると、阪東とヒロミは、例によって二人で消えていた。
「テメーらのダチだろうに」
 地元の友だちと、まとめて置いてけぼりにされた常吉は呟く。
 アイツら仕方ねーな、と言い合って、本城と乾杯した。
 悪い気分じゃなかった。






戻る

ツネが阪東とヒロミの関係を知ってしまう話を書きたかった。
あと、ヒロミと乳繰り合っている(…)のを人に見られても、本番はしていない(から何が悪い)のひと言で開き直る阪東先輩も。
あの三人、実際どんなバイトしてたんだろうか。









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