変身魔法(metamorphosis)
死んだら新聞に載るようなロックスターになりたい俺たちだから、俗っぽいかもしれないけど、実はテレビにだって出たい。
それで、いつかはヒロトみたいにかっこよく叫ぶ。
見るのは好き!出るのは嫌い!って。
でも、まずはとにかく出なくちゃ始まらない。
「でもなあ…」
無理じゃねえか。
バンドに加入して一年、正直そう思うときがある。
ファミレスのテーブルに突っ伏して、奈良岡常吉はため息をついた。
阪東の作ってきた新曲。
今度のライブの一曲目、予定。
もちろん、リーダーがそのつもりなら、予定は既に決定だ。
今日はバイトで欠席だけど、もしもここにヒロミがいたら、やっぱり自分と同じようにため息をついたと思う。
決して悪い曲じゃない。
レポート用紙に殴り書きみたいな阪東の字で、歌詞とギターのコードだけ書かれた新曲は、シンプルだけど多分かっこいい。
これに合わせてベース弾いたら気持ちよさそうだな、って素直に思った。
「けどなあ…」
リーダーの阪東も、フロントマンのヒロミも、そしてもちろん!俺も!自分たちは決してルックスの悪くないバンドだ。
それなのに、未だに女のファンらしいファンはついてない。
ライブ会場は、いつも野郎でぎっしり。
野太い声の地鳴りみたいに響く中で、ヒロミは歌う。
きゃあきゃあ言う女の子の、黄色い声援がほしいわけじゃない。
じゃないけれど、全く無ければそれはそれで寂しくなるのが人情ってやつだ。
常吉は、飲みかけのコーヒーを啜った。
冷めたコーヒー。
ちょっと空しくなる。
「ぜってえ、この歌詞のせいだよなあ…」
オリジナルとカヴァーが半々だから、ライブで演奏する曲のほぼ半分は阪東が作る。
殴り書きに乱舞する放送禁止用語に、常吉は目眩をおぼえた。
いっそ誉め称えたいくらいの下劣さ。
阪東はさっきからずっと電話をしている。
こみいった話らしく、着信が鳴った後、わざわざ席を立ち外に出て行った。
ヒロミか女か。
ガラスの扉の向こうに見える、タバコを吸いながら話す横顔は実にクールだ。
とても、こんな下品な歌詞を書くような男には見えなかった。
東京に出てきて阪東とヒロミを知って、横浜が拠点だっていうから、常吉は隣の神奈川県まで何度かライブに足を運んだ。
サポートメンバーに逃げられがちな二人から頼まれて、一度だけベースも弾いたことがある。
そんな程度の仲の頃、常吉は、阪東に聞いてみたことがある。
聞きてーか、と薄笑いを浮かべながら聞き返してきた阪東の、顔も声も不吉だった。
そのときもファミレス。
控えめに言って人当たりのあまり良くない阪東と、二人きりで話すのは初めてだった。
一応、年はいっこだけど上だし。
それまで、同い年のヒロミとばかり話していたから、常吉は柄にもなく緊張していた。
確か、そのときもヒロミはバイトで外していた。
お代わり自由のコーヒーを、営業妨害のつもりか、と思わず質したくなるほどまずそうに飲む阪東と、常吉は音楽の話をした。
自分の好きなもののことなら、比較的饒舌になるらしい阪東と、場があたたまってきたところで切り出した。
二人のライブに通うようになってから、ずっと気になっていたことだ。
「何でこんな危ねー歌詞ばっかなの?」
阪東の書く曲だって、何も全部が全部えろかったりするわけじゃない。
ただ、ライブの一発目とか、思いきり盛り上がった後のアンコールとか、肝心なときに演るやつが、いつも、まるで狙ったみたいに危ない曲だった。
「狙ってんだよ」
狙ってんのか?
聞いてみると、即答された。
そんなことも分かんねーのかって、小バカにした顔で。
何のために?
「ヒロミのために決まってんだろーが」
一瞬のためらいもなく、阪東は答えた。
大勢の前で、自分でもちょっとこれは…な卑猥な言葉を絶叫させて。
ライブハウスだけじゃなく、いつか、真昼の公園で歌っていたのも聴いた。
さんさんと降り注ぐ陽ざしの下、常吉自身がそうだった、二人の演奏を聴きにきた人間ばかりじゃない。
ご通行中の皆様の視線にさらされながら、ヒロミは、真っ赤な顔をして歌っていた。
親御さんが知ったら泣きそうな歌詞。
途中で何かが限界に達してキレたらしく、後半は自棄のように大声で歌っていた。
「仕方ねーだろ、そうでもしなきゃあのバカ」
仕方ないと口にしながら、その実まったく仕方ないなんて思っていない。
ヒロミの理性が飛ばない。
阪東は笑いながら言った。
常吉の頭の上、ぐるりと貼られたパステルカラーの壁紙の境目あたりに視線をやる。
思い切り引き絞った弓から、勢いよく矢が放たれるみたいに、ヒロミの理性を弾け飛ばせる。
「そのためなら、俺、どんなことだってするぜ」
阪東は、うっとりとそう呟いた。
何となく通じ合うものを感じて、二人の周りをチョロチョロするようになっていたけれど、そのときはまだ、阪東のこともヒロミのこともよく知らなかった。
バンドを組む以前、ヒロミが歌うのを阪東は一度も聴いたことがなかった、って冗談みたいな話を聞いたのもずっと後のことだ。
最初からいきなりステージに上げて、何曲か演って引っこんだ後で、音痴じゃねーんだなって言ったらしい。
いつかギターの神様のバチが当たるぞっていうくらい、阪東は、自分の音楽の何もかもをヒロミに捧げている。
暴君めいた阪東の俺様ぶりに、逆だって奴もいるけれど、少なくとも常吉はそう思う。
阪東による、ヒロミのためのバンド。
そんなところにわざわざ噛んでいこうなんて、自分も大概もの好きだ。
そのとき、まだ二人のことをあまり知らなかった常吉は、それなのに、阪東の言う「ヒロミのため」を、指先ほども変だとは感じなかった。
何か、当然、みたいな。
この見た目から恐ろしい男が、もし自分以外の人間のために何かするなら、それはヒロミの他にありえない。
携帯電話での話をようやく終えて、阪東が店の中に戻ってくる。
不機嫌を装いながら、その実ご満悦。
電話の相手をヒロミと直感する。
冷めたコーヒーを飲み干して、常吉は、テーブルにカップを置いた。
気をとりなおしてもう一度、新曲の殴り書かれたレポート用紙を手に取る。
テレビに出られなくても、女に好かれなくても、それはそれで。
少なくとも、このバンドには、ブチ切れさせようとするエネルギーとブチ切れようとするエネルギーとがある。
常吉の知る平素のヒロミは、頭が切れるだけに物事を考えすぎる性質の男だ。
両腕のタトゥーを常吉が見せたとき、ヒロミが最初に抱いた感想は、こいつの部屋には風呂があるんだな、だったらしい。
常吉は刺青を入れている。
刺青を入れていると、風呂屋に行けない。
ゆえに、常吉は風呂屋に行けない。
何てすばらしい三段論法。
その割に不潔でもないし、毎日誰かの家にもらい風呂に行っているような様子もないから、風呂つきの部屋に住んでいるんだろう、と判断した。
ともすれば、頭が悪いんじゃないかと心配になるほど考えがちなヒロミのために、放送禁止用語だらけの歌は、阪東の造った壁だ。
ためらいも羞恥も、そんなヒロミだから、きっと他人が想像する以上に大きいに違いない。
壁を何枚も破ることに勢いを得て、ヒロミは高く飛ぶ。
「やっぱお前らっておもしれーわ」
目の前に座った阪東に言うと、阪東は、まあな、と答えて笑った。
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