東京に来て1年、あの街にいた頃ほど知り合いも多くない。 午後からバイトだっていうアニキを置いて土曜日の昼、俺は1人で街に出た。 ここでの俺はもう鳳仙の頭とかじゃなくて、単なる高校生の1人。 ワンオブゼムに過ぎない。 ふらふらしていても襲撃されたりする心配がないのは、いいことかもしれないけど、正直退屈だった。 駅を出て、大通りを何となく歩く。 とりあえず飯でも食うかと思った。 そのときだった。 「あ」 「…おお」 前から来た金髪の男が、俺の顔を見て立ち止まった。 「弟ギツネじゃねーか」 「桐島…」 それは、元鈴蘭の桐島ヒロミだった。 「弟ギツネたぁ何だよ」 「悪ぃ、マコがそう呼んでたもんでな」 うつっちまった、と桐島は笑う。 「マコってのは…杉原誠か?」 「おお。よく覚えてんな」 「忘れねーよ」 俺たち兄弟にとっては、忘れようったって忘れられないケンカの相手だ。 「あいつ、今どうしてんだ?」 確か、高校は3年でやめたと噂で聞いた。 「ああ、地元で大工やってるよ」 言いながら桐島はポケットから煙草を取り出す。 肩にかけたギターケースを背負いなおして火をつけ、 「あいつはすげーよ、大工見習いから早くも見習いが取れそうだぜ」 煙を吐きながら、我がことのように嬉しそうに。 何か、ガキみてえな顔。 確か、この男と最後に会ったのは、うちのアニキが坊屋春道や龍信と一緒に県南の方へ行ったときだ。 今みたいに偶然、あのときは夜だったけど、街で会って少し話した。 桐島ヒロミは、鈴蘭の参謀格。 あのとき、そういう認識で俺は話をした。 多分、桐島の方もそのつもりだっただろう。 少ない言葉で多くのことを伝え、また知ろうとするのが、いかにも油断のならない感じだった。 でも、こうして、鳳仙とか鈴蘭とかの縛りを離れて対峙してみると、桐島はずいぶんと印象が変わる。 あのバカ学校の出身にしてはマシっぽいところはそのままだけど。 杉原が来年結婚すると聞いて、マジで?と思わず勢いこんだ俺に、それダチの反応、と俺の肩を小突く。 顔にも声にも裏がない。 こいつ実は割といい奴かもな、と俺は思った。 「一緒に飯でも食いに行かねーか?」 誘ったのは、だから勢いみたいなもんで。 昼飯は適当に食おうと思っていたから、特にどこに行くというあてもなかった。 近場に何かあったかな、と脳内地図を検索してたら、そういや近くにいい店がある、と桐島が。 「俺の知り合い…っていうか、うちのバンドの奴の先輩がいる店なんだけど」 味は保証するぜ、と言われて。 こいつが言うなら多分そうなんだろうな。 俺としてはこだわりもない。 素直に桐島に従った。 大通りから2本ばかり奥に入ったところに、桐島の言う「いい店」はあった。 土曜日の昼時だったからか、割と分かりにくい場所なのに店は混んでいた。 東京に来て何が驚いたかといえば、飲食店の待ちの多さだ。 アニキなんかはこの並ぶのを嫌がって、こっちに来てからはあまり外食しない。 俺はもう慣れたけど。 そんなことを考えていたら、待たせて悪いな、と桐島は言った。 俺の胸のうちを読んだみたいに。 「や、別にいいぜ…でも、意外だな」 桐島につれてこられたのは、何だか小洒落た感じの洋食屋だった。 並びの列には女のグループやカップルばかりで、俺たちみたいな男の2人連れなんて他にいない、そんな店。 前から回ってくるメニューも店相応で、目の前にいる元ヤン丸出しの男にはそぐわなかった。 そういやバンド仲間の先輩がいる店だって言ってたっけか。 「桐島、バンドやってんのか?」 桐島の肩にかけられたギターケースを眺めて、 「ギター?」 「いや、俺はボーカル」 でも諸事情により、今は楽器の練習中。 桐島によれば、肩のケースはギターじゃなく、ベースのケースだという。 ギターケースとベースケースって、素人目には区別がつかない。 「ギターは別にいるんだけど…」 桐島はちょっと言葉をにごした。 「この店で働いてんのはドラムの奴の先輩」 はぐらかそうとしてるのがみえみえなのが、この男にしては珍しい。 お前のバンドのギターは誰だ?と、俺が追及しようとしたとき、 「2名でお待ちのキリシマさまー」 グッドタイミングか、バッドタイミングか。 いつのまにか列は進んでいて、俺たちが呼ばれた。 結論から言うと、飯はうまかった。 俺たちが食ってるうちに緩やかに混雑の解消されてきた店で、食後のコーヒーを飲む。 コーヒーもうまい。 厨房の方からちょっと顔を出した若い男に、桐島が会釈した。 優男だけど、妙な迫力のある男。 つられて頭を下げた後、 「あいつケンカ強えだろ?」 小さい声で俺が聞くと、よく分かるな、と桐島は頷く。 桐島も実際やってるところは見たことがないけど、後輩にあたる桐島のバンドのドラムによれば相当強いらしい。 今でも地元じゃ伝説みたいな存在の男だって話だった。 「まあ、春道ほどじゃねーとは思うんだけど」 そう言った桐島の目が笑ってたから、うちのアニキには負けるだろって俺も言った。 何かそれで同時に吹き出して、一気に打ち解けたみたいな雰囲気になって。 コーヒーを飲み終わる頃には、携帯電話の番号まで交換しちまった。 アニキに話したら驚くよな。 ワン切りで送られてきた番号に、桐島の名前を付しながら俺は考える。 次のライブには観に来いよ、って言うから、アニキも連れてくぜ、って答えた。 桐島は、何故か悪童めいた顔でニヤッと笑う。 その後、話はアニキのことからボクシング、ボクシングから龍信で武装の方に流れて。 結局、俺は桐島のいるバンドのギターが誰なのか聞けなかった。 夜、バイトから帰ったアニキに今日の話をすると、予想どおりアニキは驚いてた。 いつも冷静なアニキをびっくりさせられたのがちょっと嬉しい。 「東京もそんな退屈じゃなさそう」 調子に乗って言ったら、 「頼むから恋にだけは落ちんなよ」 意趣返しの冗談かと思ったら、アニキは真顔で。 桐島には一緒に暮らしてる恋人がいる、って言った。 俺は10年分脱力しながら、誰?って聞いたけど、アニキは答えてくれない。 「何でアニキがそんなこと知ってんの?」 こうなると頑固だ。 兄弟だからよく知ってる。 追及は無駄。 今日は聞き損ねることばかりだと思いながら、とりあえず、今度のライブは一緒に行こうぜ、って俺は言った。 アニキが頷く。 ホント、東京もそんな退屈しそうにない。 |