■ 第九話 「ホームシック」
「さ、博士。私にさよなら言って」
「さよなら十歳の」
「さ、博士。私にさよなら言って」
「さよなら十五歳の」
そのどちらの時も、は爪先立ちで博士の頬にキスをした。おやすみを言うみたいに。
「ちゃん、十五歳の誕生日おめでとう」
目覚めたに『マロンちゃん』が言った。は起き上がり、自分の体を見下ろした。
「うわ、すごいよ。手も足もおっきい」
「五歳分いきなりだったからなあ。びっくりしただろ」
十歳のときにサイボーグになって、それから初めてのオーバーホールだった。鏡で顔を見てみようと思ったは立ち上がろうとしたが、首が何かに引っ張られてこれ以上動けない。『マロンちゃん』は笑っての首筋にささったコードを抜いてくれた。
「ちょっと大人になった?」
手鏡を受け取り、は髪の長さを確認しながら言った。
「なったなった」
『マロンちゃん』は茶化してばかりでまじめに答えてはくれない。は後で博士に感想を聞こうと決め、とりあえず立ち上がって歩いてみた。今までの体に比べて一歩一歩がすごく大きく感じる。嬉しくなっては部屋の中を走り出した。
「ああ、ちゃん、いきなり走っちゃダメだって」
『マロンちゃん』がそう言ったが、そのときすでには工具の山の中に突っ込んでいた。あーあ、と『マロンちゃん』はため息をつく。
「ばかだなあ」
崩れた山の中からを引っ張り出して、『マロンちゃん』は笑った。
「走ると危ないぞ。怪我からばい菌が入ると熱が出るからな」
「うそお、人工皮膚にはそんな影響ないって博士が言ってたもん」
「ちぇ、昔はびーびー泣いてたくせに」
「もう子供じゃないもの」
そう言って、はあることを思い出した。
「ねえ。マロンちゃん、アレは?」
もじもじと聞いてくるに『マロンちゃん』は首をかしげた。
「アレ?」
「あ、アレはあれだよ」
「ちゃん顔真っ赤だよ。色素設定間違え……」
「生理ってくる?」
それを聞いた瞬間『マロンちゃん』は大笑いし始めた。
部屋を出るとケーキの箱を持った池田が立っていて「お祝いしよう」と言った。
「ハッピバースデートゥーユー」
ケーキにのった虹色の蝋燭が皆の顔をほのかに照らしている。歌がおわると池田はに火を吹き消すように言い、『マロンちゃん』は「一息で消せないと生理が来ないぞ」と趣味の悪いギャグを言った。
「じゃあ消すよ」
は思い切り息を吹きかけた。一本、二本と蝋燭は消えていったが一本だけ火が消えずに残ってしまった。
「あーあ、残っちゃった」
は口を尖らせた。すると突然、不思議なことに残っていた蝋燭の火が掻き消えたのである。偶然の出来事には歓声を上げた。それは残りの二人も当然上げると思われたことだったが、いくら待っても二人の声は聞こえなかった。
「あれ、マロンちゃん?」
返事がない。
「池田さん?」
は暗闇の中に手を伸ばした。
「やめてよマロンちゃん」
手を伸ばしたが、は何も掴むことができない。そして二人の体どころか自分の前にあったはずのケーキにさえ、触ることができないのである。
「マロンちゃん! 池田さん!」
気づくと椅子もテーブルもなくなっていた。はいっこうに目の慣れない暗闇の中を歩き続けた。
「どこに行っちゃったの? ねえ!」
は走り始めていた。自分の中で、何にもぶつかりはしない、ここには何もないということが分かっていたからだ。
「やだよ! 池田さん、マロンちゃん! ……博士!」
そのとき、遠くで銃声が聞こえた。
「博士!」
これは夢だ! そう直感した瞬間に目が覚めた。
は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。自分のものではない簡素なベッドと窓のない鉄の壁。どこからかかすかな振動が伝わってきていて、それは鉄の壁に触れるとジンジンジンと規則的に、はっきりと感じることができた。
「あ、そうか」
思い出したはベッドから降りた。自分は平行世界に飛ばされてきたのだ。それでここは1365から飛ばされてきたイージス艦『みらい』の上。
靴をはいたはドアを開けて廊下に誰もいないか確認した。確か桃井に出歩かないようにと言われたが、今見た夢のせいでどうしても外の空気が吸くなっていた。誰の足音も聞こえないことを確かめては甲板に向かった。
甲板に出ると、ちょうど日の出を拝むことができた。まだ暖まっていない甲板はひんやりとしていて涼しいくらいだ。波の音がもっと聞こえるかと思っていたが意外と静かだった。
「日の出見るの、久しぶりだな」
はしばらく潮風に当たって気持ちを落ち着かせようと思った。
「博士……」
口をついてその名前が出るのは仕方のないことだった。は溢れてきた涙をぬぐったが、何度ぬぐっても太陽はゆがんで見える。
「だめだな、昨日いっぱい泣いたじゃん」
それにしても我ながらひどい夢を見たものだ。は十五歳のころの幸せな生活を思い出して胸が締め付けられた。最初のオーバーホール、自分の名前が書かれたケーキ、高校の入学式。オーバーホールで突然大きくなった体を扱いきれなくて、自分はよく転ぶ子供だった。いつも『マロンちゃん』に言われたっけ、走ると危ないよ怪我からばい菌が入ると熱が出るよ。人工皮膚が破損してもあまり影響はないというのに……あのころは、十年後にこんな目にあうなど予想もしていなかった。
ましてや義父が死ぬなんてこと。
「博士、いったいなにがあったの」
が呟いていると、遠くからなにか聞きなれない音が聞こえてきた。波を掻き分ける音とモーター音。顔を上げたの目に入ってきたのは、一隻の内火艇だった。それに乗っている一人の人物に目をとめ、は声を上げた。
「博士!」
白いスーツの大きな男が、には自分の義父に見えた。今の自分は体格の似た男なら全てそう見えてしまうのかもしれない、その考えを振り払っては駆け出した。内火艇は艦の脇についた。
「よかった、博士!」
走っているはそのまま博士に飛びつく勢いだった。だが実際に上がってきた人間を前にすると、はぱたりと立ち止まってしまった。
「はか……あ、ごめんんさい」
博士だと思ったのは、昨日会ったこの船の副長だった。角松とかいったか。角松はの姿を見ると仰天した。
「君、何してるんだ」
内火艇にはまだ二人残っていた。だが二人とも『みらい』の人間ではなく、この時代の人間のようだ。「女がいる」と目を丸くしながら囁きあっている。体の大きい角松はの姿を隠すように立ちはだかった。
「部屋から出ないようにと聞いていませんか」
「え、でも、あ……ごめんなさい」
怒っている角松の顔を見ると、は言い訳することができなかった。
「とりあえず、部屋に戻ってください」
「はい」
角松に先導され、は中に入った。
「さよなら十歳の」
「さ、博士。私にさよなら言って」
「さよなら十五歳の」
そのどちらの時も、は爪先立ちで博士の頬にキスをした。おやすみを言うみたいに。
「ちゃん、十五歳の誕生日おめでとう」
目覚めたに『マロンちゃん』が言った。は起き上がり、自分の体を見下ろした。
「うわ、すごいよ。手も足もおっきい」
「五歳分いきなりだったからなあ。びっくりしただろ」
十歳のときにサイボーグになって、それから初めてのオーバーホールだった。鏡で顔を見てみようと思ったは立ち上がろうとしたが、首が何かに引っ張られてこれ以上動けない。『マロンちゃん』は笑っての首筋にささったコードを抜いてくれた。
「ちょっと大人になった?」
手鏡を受け取り、は髪の長さを確認しながら言った。
「なったなった」
『マロンちゃん』は茶化してばかりでまじめに答えてはくれない。は後で博士に感想を聞こうと決め、とりあえず立ち上がって歩いてみた。今までの体に比べて一歩一歩がすごく大きく感じる。嬉しくなっては部屋の中を走り出した。
「ああ、ちゃん、いきなり走っちゃダメだって」
『マロンちゃん』がそう言ったが、そのときすでには工具の山の中に突っ込んでいた。あーあ、と『マロンちゃん』はため息をつく。
「ばかだなあ」
崩れた山の中からを引っ張り出して、『マロンちゃん』は笑った。
「走ると危ないぞ。怪我からばい菌が入ると熱が出るからな」
「うそお、人工皮膚にはそんな影響ないって博士が言ってたもん」
「ちぇ、昔はびーびー泣いてたくせに」
「もう子供じゃないもの」
そう言って、はあることを思い出した。
「ねえ。マロンちゃん、アレは?」
もじもじと聞いてくるに『マロンちゃん』は首をかしげた。
「アレ?」
「あ、アレはあれだよ」
「ちゃん顔真っ赤だよ。色素設定間違え……」
「生理ってくる?」
それを聞いた瞬間『マロンちゃん』は大笑いし始めた。
部屋を出るとケーキの箱を持った池田が立っていて「お祝いしよう」と言った。
「ハッピバースデートゥーユー」
ケーキにのった虹色の蝋燭が皆の顔をほのかに照らしている。歌がおわると池田はに火を吹き消すように言い、『マロンちゃん』は「一息で消せないと生理が来ないぞ」と趣味の悪いギャグを言った。
「じゃあ消すよ」
は思い切り息を吹きかけた。一本、二本と蝋燭は消えていったが一本だけ火が消えずに残ってしまった。
「あーあ、残っちゃった」
は口を尖らせた。すると突然、不思議なことに残っていた蝋燭の火が掻き消えたのである。偶然の出来事には歓声を上げた。それは残りの二人も当然上げると思われたことだったが、いくら待っても二人の声は聞こえなかった。
「あれ、マロンちゃん?」
返事がない。
「池田さん?」
は暗闇の中に手を伸ばした。
「やめてよマロンちゃん」
手を伸ばしたが、は何も掴むことができない。そして二人の体どころか自分の前にあったはずのケーキにさえ、触ることができないのである。
「マロンちゃん! 池田さん!」
気づくと椅子もテーブルもなくなっていた。はいっこうに目の慣れない暗闇の中を歩き続けた。
「どこに行っちゃったの? ねえ!」
は走り始めていた。自分の中で、何にもぶつかりはしない、ここには何もないということが分かっていたからだ。
「やだよ! 池田さん、マロンちゃん! ……博士!」
そのとき、遠くで銃声が聞こえた。
「博士!」
これは夢だ! そう直感した瞬間に目が覚めた。
は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。自分のものではない簡素なベッドと窓のない鉄の壁。どこからかかすかな振動が伝わってきていて、それは鉄の壁に触れるとジンジンジンと規則的に、はっきりと感じることができた。
「あ、そうか」
思い出したはベッドから降りた。自分は平行世界に飛ばされてきたのだ。それでここは1365から飛ばされてきたイージス艦『みらい』の上。
靴をはいたはドアを開けて廊下に誰もいないか確認した。確か桃井に出歩かないようにと言われたが、今見た夢のせいでどうしても外の空気が吸くなっていた。誰の足音も聞こえないことを確かめては甲板に向かった。
甲板に出ると、ちょうど日の出を拝むことができた。まだ暖まっていない甲板はひんやりとしていて涼しいくらいだ。波の音がもっと聞こえるかと思っていたが意外と静かだった。
「日の出見るの、久しぶりだな」
はしばらく潮風に当たって気持ちを落ち着かせようと思った。
「博士……」
口をついてその名前が出るのは仕方のないことだった。は溢れてきた涙をぬぐったが、何度ぬぐっても太陽はゆがんで見える。
「だめだな、昨日いっぱい泣いたじゃん」
それにしても我ながらひどい夢を見たものだ。は十五歳のころの幸せな生活を思い出して胸が締め付けられた。最初のオーバーホール、自分の名前が書かれたケーキ、高校の入学式。オーバーホールで突然大きくなった体を扱いきれなくて、自分はよく転ぶ子供だった。いつも『マロンちゃん』に言われたっけ、走ると危ないよ怪我からばい菌が入ると熱が出るよ。人工皮膚が破損してもあまり影響はないというのに……あのころは、十年後にこんな目にあうなど予想もしていなかった。
ましてや義父が死ぬなんてこと。
「博士、いったいなにがあったの」
が呟いていると、遠くからなにか聞きなれない音が聞こえてきた。波を掻き分ける音とモーター音。顔を上げたの目に入ってきたのは、一隻の内火艇だった。それに乗っている一人の人物に目をとめ、は声を上げた。
「博士!」
白いスーツの大きな男が、には自分の義父に見えた。今の自分は体格の似た男なら全てそう見えてしまうのかもしれない、その考えを振り払っては駆け出した。内火艇は艦の脇についた。
「よかった、博士!」
走っているはそのまま博士に飛びつく勢いだった。だが実際に上がってきた人間を前にすると、はぱたりと立ち止まってしまった。
「はか……あ、ごめんんさい」
博士だと思ったのは、昨日会ったこの船の副長だった。角松とかいったか。角松はの姿を見ると仰天した。
「君、何してるんだ」
内火艇にはまだ二人残っていた。だが二人とも『みらい』の人間ではなく、この時代の人間のようだ。「女がいる」と目を丸くしながら囁きあっている。体の大きい角松はの姿を隠すように立ちはだかった。
「部屋から出ないようにと聞いていませんか」
「え、でも、あ……ごめんなさい」
怒っている角松の顔を見ると、は言い訳することができなかった。
「とりあえず、部屋に戻ってください」
「はい」
角松に先導され、は中に入った。