ツメアカ

■ 第七話 「No1899、1942年」

 視界が明るくなったとたん、は海に叩き落された。波に背中を打ちつけ、海水を飲む。子供のとき以来泳いだことなどなく、もがくはすぐに波に飲み込まれた。空は快晴で穏やかだというのに、自分のこの状況はなんだ。義父を殺され、その友達まで犠牲になって、そして自分は溺れかけている。
「助けて!」
 なんとかしなくてはと、とりあえず声の限り叫ぶ。叫ぶと同時に海水が口の中に入り息が出来なくなるが、それでも叫んだ。しかし、いつしか意識が遠のき、また視界が暗転した。

「もしこの時代の人間でも、一人助けちまったんだからもう二人も三人もいっしょだろ」
 が目を覚ますと、蛍光灯の明かりが見えた。部屋にいるはずなのになんだか体がぐらぐらする。いったいここはどこなのだろうか。
「おい、起きたぞ」
 男の人の声だ。そして、
「大丈夫か? 自分の名前は言えるか?」
「松下……」
 は体を起こした。頭がひどくぼうっとして、耳が詰まっている感じがする。
「よかった無事……」
 は周りを見回した。視界が少しぼやけているが、すぐに補助脳が調整を始めるだろう。男が三人、自分を取り囲むようにして立っているのが分かる。その中に見慣れたものを見つけて、はついつい口に出してその名前を言ってしまった。
「マロンちゃん?」
「マロン?」
 にそう言われた人物は一度怪訝な表情をして、彼女の視線をたどると自分の鼻を触った。
「ああ。やっぱさあ、俺の鼻ってでかい?」
 その質問に他の二人は答えなかった。その様子を見ているうち、の意識ははっきりしてきた。あの装置で自分は平行世界に飛ばされてしまい、海に転送され、溺れたのだ。
「あなたの名前をもう一度言ってもらえますか?」
 体の大きな男が訝しげな顔をこちらに向けた。は慌てて言った。
「えっと、松下です」
「生年月日は」
 眼鏡の男が身を乗り出すようにして聞いた。
「えっ」
 がどうしたものかと視線をめぐらしていると、壁にカレンダーが掛かっていた。しめた、書かれている年は200X年。自分は二十五歳だから、生まれたのは……
「1980年、2月11日です」
 ああ言えた。心臓がこれでもかというくらい速くなっている。ん、まてよ、200X年は自分が調査担当をしていた地点ではなかったか? 確かここは1942年のはず。
「ということは、俺たちと同じか……」
「え?」
 大柄の男は言った。
「俺たちは200X年から1942年にタイムスリップしてしまったんだ」


 は自分が、失踪したイージス艦『みらい』にいるのだということを悟った。津島によればこの艦がナンバー1365、200]年地点からこの世界、ナンバー1899、1942年地点に誤って転送されたことが、松下博士と出資者の対立を生んでしまったということだ。そんなすべての元凶をは途方にくれて見回した。
「へえ、そうなんですか」
 自分たちの説明に対して、あまりにも薄い反応に男たちは首をかしげた。
「だから、君もタイムスリップしてしまったんだぞ」
「え、あ、ああそっか!」
 呆気に取られる男の横で、栗田に似た大きな鼻の男が笑いをかみ殺している。
「おい尾栗」
 大柄の男がたしなめた。この栗田似の男は尾栗というのか。『尾栗』あ、この人も栗が入っている。その横にいる大きな男の名前は角松というのだそうだ。はあのイージス艦乗組員のリストを思い出した。確かこの人は副艦長だ。
「ということは、これはあの消息不明の船?」
 金属で出来た壁をは見渡した。尾栗が答えた。
「そうだよ。イージス艦『みらい』」
「あ、はい。ニュースで見ました……でもあの、自衛隊の人って私服でお仕事するんですか」
 の質問に、角松たちは自分の姿を見下ろした。横須賀への上陸を控え、彼らが着ているのは作業服ではなく当時国民が着ていた服だ。
「いや、横須賀への上陸許可が下りたんでね」
「変な格好」
 率直な感想が彼らを貫いた。咳払いして眼鏡をかけた男がに質問した。
「おぼれる前のことを覚えているか」
 眼鏡をかけた男は菊池というらしい。なんだかギスギスした人だな、はそんな感想を持った。
「いいえ。えっと、私、船から落ちたんです。それで、もがいてたらいつの間にかここに」
「大変だったな。すぐに助けてやりたかったんだけど、この時代の人間とあまり接触しないようにって思ってたから」
 尾栗は『マロンちゃん』と同じでかなり人懐っこい性格のようだ。
「でも港で溺れてるなんて、なんか間抜けだよな」
 一人で大笑いしている尾栗を見た。は自分のいた平行世界の、埋め立てられてプールのようになってしまった横須賀港しか知らなかったが、よく分からないままつられて笑った。
「尾栗、桃井一尉を呼んできてくれ」
 笑うのをやめて、尾栗は部屋を出て行く。親近感の湧く人物がいなくなり、は急に居心地が悪くなり出した。間を持たせようとしたのか、
「その船で、家族はいっしょだったのか」
 と角松がそんなことを聞いたために、は先ほどのことを思い出して俯いた。
「一緒でした」
 少し湿った服のポケットからは花束に入っていたメッセージカードを取り出した。松下博士が最後に自分にくれたものだ。目を閉じるとまだあの悲惨な光景が蘇ってくる。
「誕生日おめでとう、
 カードを開いては書かれたメッセージを読み上げた。その活字のように整った字体を眺めているうち、の顔は怪訝に歪められた。
「これ、博士の字じゃない……」
 その後、すっかり塞ぎこんでしまったをどうすることもできず、角松と菊池はやってきた桃井一尉に任せて、そうそうに部屋から退散してしまった。

 

 

 

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