ツメアカ

■ 第二十二話 「案内犬」

「ここだ」
 と如月に言われて車から降りたは、少なからず困惑した。
「え、どこですか」
 が角松を見上げると、彼もその光景を見回していた。辺りから漂ってくる熱気と匂いに困った顔をしながら。
「私、もっと違うのを想像してました」
「どんなのを想像してたんだ」
 の呟きに如月が問うた。
「えっと、ギャングのたむろしてる治安の悪い町で、酒場の奥に行くと黒人がポーカーとかコカインとかやってて、その中のサミュエル・L・ジャクソンみたいなボスが『お前もやるか?』なんて言って白い粉の入ったビニール袋をくれてお金を……ん、あれ、麻薬買っちゃった」
 誰も何も言わなかった。
「この中にあるのか?」気を取り直したように角松が言う。
「そうだ」
「私、お腹すいてきました」
「じゃあ何か食うか」
 のウィットを知ってか知らずでか、如月はのん気に答えて、その食べ物屋の群にさっさと歩いていってしまう。これにはと角松も驚きの声を上げて如月を追いかけた。というのも、タクシーが止まったのはなぜか屋台のずらりとならんだ繁華街で、昼飯時のいまは安価な食事を求める人で特に賑わっているのだった。
「おい如月」
 角松は少しイライラし始めていた。
「何を食べる? 安くて腹が膨れるぞ、ここは」
「何を食べるじゃないですよ、目的忘れちゃったんですか?」
「忘れてないさ。お、あっちのイカの足、旨いぞ」
「そんな……え、あ食べたい」
「松下さん!」
「よし奢りだ」
「わーい」
「おい!」
 イカの足につられて如月と先を歩くを、今度は角松一人が追いかけた。
「三杯くれ」
如月が屋台の店主に小銭を渡し、中国語で言った。
「あいよ」
 小銭をざるの中に放り込むと、店主は流れるような動作で椀を取り箸で鍋をかき混ぜた。ちょいちょいっとイカから汁を切ると並べた三つの椀にすばやく入れる。地面にこぼれた汁を、店主の足元にいた犬が舐めた。
「ほいよ三人分」
 店主は仕切りの板から身を乗り出して、椀を三人に渡した。角松もしぶしぶ椀を受け取る。と、如月が箸をつける前に言った。
「もう一人分頼めるか」
 店主が鍋から顔をあげて聞き返した。
「誰の分です」
「そこの犬にだ」
「……分かった」
 店主は箸で小さめのイカを鍋から取り出すと、如月の差し出した椀に入れた。如月はそのイカを箸でつまむと、尻尾を振って待ち構えている犬に与えた。鼻に砂をつけながら犬はそのイカを平らげると、ふいっと回れ右をして行ってしまった。
「如月さんって犬好きですか」
 がそう聞くと、如月はまだ手の付けていない椀を店主に返した。
「どうした、如月」
「追いかけるぞ」
「ええ!?」
 仰天する二人をよそに、如月は掛けて行ってしまう。たちは慌てて椀を机の上に置くと、如月を追いかけた。
「あ、あの如月さん?」
 追いついたは如月の横から声をかけた。如月は犬と一定の距離を置いて歩いている。角松はというと、短い尻尾のキュートな黒いワンちゃんと如月を交互に見て当惑中だ。
「本当に犬好き? いやでも、いま追いかけなくたって」
「いいから黙って歩け」
「如月、まさか」
 角松がなにやら気付いたようで、如月は角松を振り返ると頷いてみせる。はまだなんのことか分からず、首をかしげた。そんなに、
「松下さん、情報提供者だ」
 角松が声を抑えて言った。は眉をひそめる。
「え……だって」
 短い尻尾のキュートな黒いワンワンを指差すと、は控えめに言った。
「犬ですけど」
「「そういう意味じゃない」」
 そう言っている間に犬はどんどん先へ歩いていって、人を縫って細い路地に入って行った。たちも自然と駆け足になる。
「どこへ行った?」
 路地に入り込むと犬の姿が見えなくなっていた。
「あっちだ」
 角を曲がる小さな影を捉えて、如月は駆け出した。
 その後も犬は何度も角を曲がった。の計測では合計37回。普通の人間にはとても覚えられない順路だ。これはまだまだ時間がかかりそうだと思ったとき、犬はやっと足を止めた。
「どうしたの」
 角松も如月も息があがっている。が犬に近寄ってそう聞くと、犬は前にある木の扉に向かって一声ワンと吠えた。
「これか?」
 角松が犬に近づこうとすると、犬は扉の前で鼻をツンと上げて座った。どうやらこれが入り口らしい。
「私、もっと違うのを想像してましたよ」
 本当にこんなもので良いのかとが呟いた。如月は扉の前に進みながら聞いてくる。
「どんなのを想像してたんだ?」
「え、暗い路地で怪しいおばあさんが座ってて、カッコいい合言葉とか交わして中に入れてもらって、狭い部屋に年齢不肖な女の人がいて水晶玉を……あれ?」
「あんたの想像力には感心するよ」
 呆れたようにそう言うと、犬がガリガリと引っかき始めた扉を如月は押した。

 

 

 

 

 

 

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