ツメアカ

■ 第十八話 「決意」

「最悪です」
 ダブダブのシャツ、ブカブカのズボンとベルトを引きずって、は角松に恨み言を言った。角松はすっかり酒が抜けた様子で、彼女の言葉を申し訳なさそうに聞いている。
「わ、悪かった。だって二人とも酒を飲まないもんだから、俺が……」
「だからって、ひどいです! 何回も呼んだのに」
 が大きな声を出したので、角松は人差し指を唇の前に立てた。
「隣に聞こえたらどうする」
「聞こえたからってなんだってんですか、どうせ如月さんは、如月さんは、ああ……」
 烈火のごとくまくしたてかと思えば、は手の中の金を手放してその場にへたり込んだ。
「どうかしたのか」
 角松が座り込んだを見下ろした。
「私もう少しで、うう」
「おいおい」
 泣くのか? というふうに角松が慌てだして、は顔をあげた。
「だいたい、ずっと聞こうと思ってたんですけど、角松さんはここに何しに来たんですか? 草加少佐って? 記念パレードでなにがあるんですか! なんで私が娼婦だと思われちゃうんですか!」
 立ち上がっては角松を問い詰めた。その勢いがあまりにも強くて、角松は詰め寄るに合わせて後ろに下がってしまった。だが、
「ん、草加? なんだ、知らなかったのか」
 きょとんとした顔で角松が答えたので、は余計に腹が立ってきた。
「知りませんよ! 誰が、いつ、私に教えてくれたって言うんですか」
「いや、俺の行き先まで知ってたから、なんとなく知ってそうな雰囲気が」
「どういう雰囲気ですか。角松さんの目的を知ってて、草加っていう会ったこともない人のこと知ってて、その人が記念パレードで何しようとしてるか見当が付いてて、娼婦に間違われるって、私どんな雰囲気出してるんですか!」
「いやまあ、本当に知らないなら草加と通じてるわけじゃなさそうだな」
 また噂の草加少佐の名前が出てきて、は顔をしかめた。
「だから草加って誰ですか」
 角松は少し考えてから話し始めた。
「元帝国海軍少佐だ。ミッドウェーで死ぬはずだったんだが、俺が助けた」
 なんだかありがちのお話が見えてきて、は「ああなるほど」と相づちをうった。
「それで、その人が歴史を変えようとしてるってことですね」
「よく分かったな」
「ありがちです。よくあるじゃないですか」
 は自分の世界でも同様の事件があったことを思い出した。無断で他の平行世界に飛び、歴史を思い通りにしようとするあまりその文明に大きな打撃を与えてしまうケースが、年に何度か起こった。そのたびに津島所長が民間用の説明シンポジウムなどにかり出され、取り締まり強化のために池田が無駄に活き活きしながら出向、そしてそれらのしわ寄せが研究員のデスクに報告書の山となって現れる。
「よくあること?」
「あ、いえいえ! ほら、SF映画なんかでよくあるなあって」
「そういうものとは、わけが違うんだぞ」
 そう、わけが違う。そういう事件を起こす者達にありがちなのが、平行世界間の移動とタイムスリップを混同していることだ。理論上タイムスリップというものはありえないことであって、他の平行世界で自分が何をしようと自分たちの世界自体にはなんの変化もないのだ。
 は角松に言った。
「角松さん。その草加って人、放っておいていいんじゃないですか」
「なんだって?」
「だって、この世界って私たちのいた未来に繋がってるわけじゃないんだし。ここで何したって私たちがいた世界にはなんの影響もないんですよ」
「それはそうだが……」
「そうですよ!」
 は角松が多世界解釈を理解しているらしいことに驚き、同時に嬉しく思った。
「大連でも連れ去られそうになって。角松さんは早く日本に帰るべきだと思います」
「駄目だ」
「どうして」
「あいつは未来を知ってしまったんだ。その未来を、日本をあいつは自分の都合のいいように変えようとしている。そして、そうさせたのは俺だ」
 変えようとしている、と聞いて はため息をついた。やはり角松は平行世界の概念を理解していない。多世界解釈の証明された時代の人間でなければ、この世界が自分のいた世界とは別物であるとは信じられないだろう。
「角松さん、だから……」
 説得を続けようとするを角松は遮った。
「俺の親父は、八歳で死んでいた」
「え……」
 角松の張りつめた声につられて、は一瞬凍りついた。角松は多世界解釈を理解しているわけではなく、自分の父親の死を知ることでこの世界が自分の知る未来に繋がらないと確信したのだ。はどうにか説明しようとする。
「時間が一本の線だって考えちゃだめなんです。200X年じゃまだ統一学が発展してないでしょうけど、ほらあれ、量子力学的に考えましょう。多世界解釈って知ってます? 平行世界が無限にあるってあれなんですけど……とにかく、ここはそういうことの起こる世界だったってことです。角松さんのいた世界とは違うんです」
 と矢継ぎ早に言ってから、は頭を押えた。どうしてこんな小難しい言い方しか出来ないのだろう、研究者ってのは。
「それでもだ。今俺がいる世界はここなんだ」
「そんなの……」
 うつむくに、角松は聞いた。
「そろそろ聞いてもいいと思ってるんだが。松下さん、あんたはどうして俺についてきたんだ」
 はこの際本当のことを打ち明けてしまおうかと思った。あなたはこのまま満州にいると撃たれてしまうんです。だから日本に帰ってと。
「俺は最初、あんたが俺の邪魔をしようとしているんじゃないかと疑っていた。だが君は俺の盾になろうとしたり……俺のことを守ろうとしているんじゃないか」
「あのときは如月さんがナイフもってたからびっくりして、とっさに、それで、だから……」
 が口ごもっていると、角松は意を決したように言った。
「俺はこっちで死ぬ」
「何言ってるんですか。そんなことありませんよ!」
 間髪いれずそう言ったに、角松は笑った。
「……かもしれんと言いたかったんだ。それでも、俺は草加を止めなくちゃならん」
「ああごめんなさい。つい早とちりしちゃって」
 角松はにっこり笑った。
「いいんだ」
 どうしようもなくて、はこう言うしかなかった。
「角松さん。自分たちの世界にさえ帰れないのに、他の人たちの世界まで守ろうなんて、無茶ですよ」
 研究者としての理論に従っていたいがためにはそんなことを言ってしまってから、自分も角松と同様の理由で行動していることを思い出した。自分のことさえ世話ができないのに、他人を救おうと満州までついて来た。それは、その人の未来を知ってしまったからだ。そして、そうさせたのも自分。
 ベッドに腰かけた角松は、泣きそうな顔をしているに向かって笑いかけた。
「あんたは絶対に無事に帰す。だからもう俺を守ろうとしなくていいんだぞ」
「何言ってるんですか。私が角松さんについて来たのは、ただの通訳のためですよ。それに、角松さんって私の父にそっくりで、どうにも頼りない感じなんです」
 赤い目で笑い返してみせるに、角松は言った。
「松下さん、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

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