■ 第十六話 「修羅場前」
酒家で出された野菜炒めは、憂鬱な心持ではまったく味を感じることが出来なかったが、は怪しまれまいという一心でそれを片付けていた。
「記念パレードだ!」
右隣ではさっきから角松がやたら「パレードに違いない!」と言っていて、如月はそれを軽くあしらっていた。いったい何が違いないんだ。ちゃんと説明していただきたい、と先日から事情が分からず混乱しきりのは野菜炒めを頬張った。
「どうやって、警備は厳重だぞ」
如月の揶揄にも耳をかさず、角松が草加少佐という人物がなにを仕掛けるのか考えているとき、近くの席で大きな声がした。
「なんでしょうか」
が言うと、
「関東軍の連中が……あの人は満州国軍か」
「黙っていろ」
迷惑そうに如月が言って、たちは口を閉じた。三人だけでなくほかの客たちも怯えた顔をして押し黙っている。
だがは、短い付き合いではあるが角松の性格を考えると、彼はこのまま黙っているような人間ではないだろうと考えた。案の定、関東軍将校の中傷がピークに達したとき、角松は声を発した。
「戦わない軍隊こそが最強の軍隊なんだよ」
ああやっぱりと気絶しそうになったが、角松さんが銃を構えたら要注意、銃を構えたら要注意、はそうやって角松の前に飛び出すタイミングを自分に言い聞かせた。
「立て!」
将校が言った。角松が大柄な体を生かして彼らを見下ろす。は心の中で必死に唱えた。銃を構えたら飛び出す、銃を構えたら……
「和をもってと尊しとす」
すると絡まれていた国軍の将校が立ち上がった。その一言で店の中の空気が、これ以上のいざこざはごめんだとでも言うような、うやむやなものになった。
「軍人もそうありたいものだな」
そう言って柔和な笑顔の将校は店を出て行く。そしてすぐに関東軍の将校たちも、この店は酒がまずいだの文句を言って出て行った。
「なんであんなことしちゃうんですか」
何事もなかったかのように席に戻った角松に、はそう言って非難した。
「すまん、心配だったか」
「当たり前じゃないですか! もう、バカ!」
の(まるで女みたいな)癇癪に如月は目を丸くし、角松は苦笑いするばかりだ。コップに残っていたビールをぐっとあおると、新たに注いでに差し出した。まるで花見の席で酔ったオヤジみたいに。
「悪い悪い。だから、まあ飲めって」
「酔っ払いは嫌いです!」
差し出されたビールには絶対に飲もうとしなかった。如月は食事にすらあまり箸をつけず、おかげで角松は頼んだビールをほとんど自分で飲んでしまい、本当に酔っ払いになってしまった。
「角松さあん、部屋変わってくれるって約束だったじゃないですかあ」
ホテルに帰ってから、角松の言葉を信じては部屋で一人待っていた。情報収集のために如月が留守にしている間に入れ替われればと思っていたのだが、なかなか角松はやってこない。そこで思い切って角松の部屋を訪ねたのである。
「もしかして寝ちゃったんですか?」
何度もノックしているが返事は返ってこない。角松はそうとうお酒が入ったようだったから、のことなど忘れてもう休んでしまったのかもしれない。
「最悪……」
時計はそろそろ12時を指そうとしている。いいかげんも休みたい。だがここで眠ってしまったら、帰ってきた如月が部屋に入った瞬間仰天することになる。
とにかくこうなったら如月が帰ってくるまで起きていて、彼が休んでからベッドに入って寝よう。そして彼より先に起きてまた男の姿に戻ればいい。
「眠いよお」
目を擦りながらは窓辺に腰かけた。ガラスにいくらか見慣れてしまった顔が映る。列車の中で見たときよりもまたいくらか疲労が出ている気がする。
頭の上には大きなつきが乗っている。ガラスに映った月と本物の月で二重になっているその錯覚を、無理やり楽しんでなんとか眠らないようにしていたが、そのうちは眠気に負け始めた。
うつらうつらとの頭が揺れるたび、彼女の体は男性の姿になったり元の女性の姿になったりする。そしてとうとうが窓に寄りかかって眠り始めると、その姿は完全に松下の姿になってしまった。
「記念パレードだ!」
右隣ではさっきから角松がやたら「パレードに違いない!」と言っていて、如月はそれを軽くあしらっていた。いったい何が違いないんだ。ちゃんと説明していただきたい、と先日から事情が分からず混乱しきりのは野菜炒めを頬張った。
「どうやって、警備は厳重だぞ」
如月の揶揄にも耳をかさず、角松が草加少佐という人物がなにを仕掛けるのか考えているとき、近くの席で大きな声がした。
「なんでしょうか」
が言うと、
「関東軍の連中が……あの人は満州国軍か」
「黙っていろ」
迷惑そうに如月が言って、たちは口を閉じた。三人だけでなくほかの客たちも怯えた顔をして押し黙っている。
だがは、短い付き合いではあるが角松の性格を考えると、彼はこのまま黙っているような人間ではないだろうと考えた。案の定、関東軍将校の中傷がピークに達したとき、角松は声を発した。
「戦わない軍隊こそが最強の軍隊なんだよ」
ああやっぱりと気絶しそうになったが、角松さんが銃を構えたら要注意、銃を構えたら要注意、はそうやって角松の前に飛び出すタイミングを自分に言い聞かせた。
「立て!」
将校が言った。角松が大柄な体を生かして彼らを見下ろす。は心の中で必死に唱えた。銃を構えたら飛び出す、銃を構えたら……
「和をもってと尊しとす」
すると絡まれていた国軍の将校が立ち上がった。その一言で店の中の空気が、これ以上のいざこざはごめんだとでも言うような、うやむやなものになった。
「軍人もそうありたいものだな」
そう言って柔和な笑顔の将校は店を出て行く。そしてすぐに関東軍の将校たちも、この店は酒がまずいだの文句を言って出て行った。
「なんであんなことしちゃうんですか」
何事もなかったかのように席に戻った角松に、はそう言って非難した。
「すまん、心配だったか」
「当たり前じゃないですか! もう、バカ!」
の(まるで女みたいな)癇癪に如月は目を丸くし、角松は苦笑いするばかりだ。コップに残っていたビールをぐっとあおると、新たに注いでに差し出した。まるで花見の席で酔ったオヤジみたいに。
「悪い悪い。だから、まあ飲めって」
「酔っ払いは嫌いです!」
差し出されたビールには絶対に飲もうとしなかった。如月は食事にすらあまり箸をつけず、おかげで角松は頼んだビールをほとんど自分で飲んでしまい、本当に酔っ払いになってしまった。
「角松さあん、部屋変わってくれるって約束だったじゃないですかあ」
ホテルに帰ってから、角松の言葉を信じては部屋で一人待っていた。情報収集のために如月が留守にしている間に入れ替われればと思っていたのだが、なかなか角松はやってこない。そこで思い切って角松の部屋を訪ねたのである。
「もしかして寝ちゃったんですか?」
何度もノックしているが返事は返ってこない。角松はそうとうお酒が入ったようだったから、のことなど忘れてもう休んでしまったのかもしれない。
「最悪……」
時計はそろそろ12時を指そうとしている。いいかげんも休みたい。だがここで眠ってしまったら、帰ってきた如月が部屋に入った瞬間仰天することになる。
とにかくこうなったら如月が帰ってくるまで起きていて、彼が休んでからベッドに入って寝よう。そして彼より先に起きてまた男の姿に戻ればいい。
「眠いよお」
目を擦りながらは窓辺に腰かけた。ガラスにいくらか見慣れてしまった顔が映る。列車の中で見たときよりもまたいくらか疲労が出ている気がする。
頭の上には大きなつきが乗っている。ガラスに映った月と本物の月で二重になっているその錯覚を、無理やり楽しんでなんとか眠らないようにしていたが、そのうちは眠気に負け始めた。
うつらうつらとの頭が揺れるたび、彼女の体は男性の姿になったり元の女性の姿になったりする。そしてとうとうが窓に寄りかかって眠り始めると、その姿は完全に松下の姿になってしまった。