ツメアカ

■ 第十五話 「ソフトの落とし穴」

「おい、いいのか?」
「ああ」
「だって、どんな影響が出るか分かってないんだろ」
「そうだ」
 またおかしな夢を見た。博士たちがなにかを言い争っている。
「……あいつが黙ってないぞ」
 『マロンちゃん』が恐い顔をして博士を睨んだ。
「たぶんな」
 こんな不可解な夢を見るのは、脳の損傷を免れた部分に残っている記憶のせいだと以前聞いたことがあった。の脳は、事故によって記憶を司る部分が使い物にならなくなったためその機能を補助脳に頼っている。睡眠中は脳の活動が活発になるので、奥で眠っていた記憶が補助脳に干渉を起してしまうのだそうだ。
「松下、本当にいいんだな」
 ぼやけた映像の中には『マロンちゃん』と松下博士、池田の三人が立っている。
「ああ」
 池田の問いかけに、博士は力強く頷いた。


 列車の心地よい振動で、いつの間にか眠っていたらしい。眼は覚めたが欠伸が出る。
「なんか最近眠いなあ」
 変な体勢で眠っていたために体が痛く、は腕を挙げるとそのまま伸びをした。
「あ、あれ」
 と違和感に気付いては体を見下ろした。伸びをした際、ズボンに入れていたシャツが裾までするすると上に抜けたからだ。見ると腰がさっきより細くなっている。というか服が全体的にぶかぶかだ。
 は真っ青になった。
「まずい……」
 体が元に戻っている。

 新京は建国十周年のパレードを控えているのだそうで、重々しい空気に満ちていた。楽しげな屋台が並んでいるかと思えば、その反対側では鉄線の張り巡らされた柵を隔てて兵隊がしかめっ面で何人も立っている。
 そんな厳戒態勢から少し離れ、と角松は如月の案内であるホテルに来ていた。角松の追っている吉村という男が泊まっていたのだそうだ。
「吉村さんって、いったいどういう人なんですか」
 を横目で見ながら、如月が即座に答える。
「満州鉄道調査部を追われた男だ。草加少佐と行動を共にしているらしい」
「草加少佐って?」
 如月はふざけているのかとでも言いたげにを睨んで、そのまま何も言わなくなった。しかたなくはフロントの男と話している角松を見た。角松はなにやら大変焦っているようで、その交渉の仕方はが見ていてもはらはらするものだった。
「角松さん、大丈夫かな……」
 は腹の前で手を組んで角松の危なっかしい後姿を見ていたが、ふと如月の視線に気づいて彼に目を向けた。
「なんですか?」
 如月は少し考えてから言った。
「あんた、その喋り方なんとかならないのか」
「え?」
「いや、いい。だがせめて……」
 如月の視線が組んだ手に向けられているのに気付いて、は慌ててその手を体の横に持っていった。
「ご、ごめんなさい」
「トーハイ、確かにそう呼んでいたんですね!」
 続けて如月はなにか文句を言おうとしていたが、角松の大きな声に振り返った。どうやら目当ての人物がこのホテルに来ていたらしい。
「その部屋に案内してもらおう」
 如月はすぐさまフロントの男に言うと角松の方に歩み寄った。は二人を追いながら、バレるのも時間の問題かもしれないという不安が、じわじわと迫ってくるのを感じていた。女々しい男だと気色悪く思われているうちはまだいいが、もし元の姿を見られてしまったらどう言い訳すればいいのだろう。
「こちらです」
 302号室と書かれた扉をあけて、すました顔の従業員は三人を引き入れた。清潔な、何の変哲もないツインルーム。角松たちはしきりに部屋の中を見回して探っているが、はもう本人たちがいないのなら部屋に来る意味がないのではないかと、こっそり心の中で思っていた。
「ワンさんはウラジオストクの生まれでしょう。まどからずっと外を眺めて、故郷の空が見えると……」
 角松はそのワンという人がやっていることを真似したいのか、それを聞いて窓の外に見入った。だが見入ってはいるがいっこうに窓を開けようとしない角松のかわりに、は窓まで歩いていって窓を開けた。
「変わった屋根が見えますね」
 が率直な感想を言うと、
「あれは国務院ですよ」
 と従業員が苦笑いして言って、角松と如月が横を向いた。
「え、あ、分かってます!」
 は慌てて取り繕ったが、三人にはとうに一般知識のない若者という印象を与えてしまっていた。

 吉村のいたホテルが分かって一段落付くと、三人は如月の用意していた宿に行くことになったが、さて、そのホテルのロビーで少々トラブルが起こった。
 部屋割りである。
「角松さんが一人部屋、私たち二人で一部屋でいいだろう」
 と如月が言い出したので、と角松はぎょっとした。男三人が部屋割りについてああでもないこうでもないと言いあっている姿は、はたから見ると大変気味が悪いのだが、ここは引き下がるわけが行かなかった。
「いやそれがな、俺は一人部屋というのが苦手で……」
 さすがに本当は女性であるを男と同室するわけにもいかず、角松は如月に苦しい言い訳をしていた。
「大の男がなにを言っている。つべこべ言わず、上官なら一人部屋に入ったらどうだ」
 イライラしだした如月の目を盗んで、角松は如月の後ろにいるを見た。彼女、ではなく彼は泣き出しそうな顔で首を振りながら手でバッテンを作っている。
「ほら、行くぞ」
「あ、ああ……」
 角松はに向かって小声で「すまん、後で何とか言って代わってやるから」と言った。は絶望的な気分で、角松の荷物を運んだ。借りた二つの部屋をまず如月が先に入って危険がないか確認し、が荷物を運び込む。すまなそうに自分の部屋の扉を閉める角松を恨めしく見送って、は自分の荷物を持って如月の後について部屋に入った。
 別に同室が嫌というわけではない。ただ、補助脳の追加プログラムは本人の意識がある時にしか働いてくれない。ということは、夜眠っている間は女性の姿に戻ってしまうのである。しかもその事実を知ったのは、列車で居眠りをして、戻った体を見て慌てふためいたのち、ソフトの使用許諾ファイルをあらためて参照したときだ。(;_;)
「ピンチだ……」
 が肩を落としていると、背後から如月に声をかけられた。
「おい松下。食事に行くそうだ。今度は食べるだろう」
「はい……」
 ここで断っては怪しまれる。は泣きそうな声で返事をして部屋を出た。
「うわーん、マロンちゃーん」

 

 

 

 

 

 

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