ツメアカ

■ 第一話 「オーバーホール」

「平行世界より帰還を確認、平行世界より帰還を確認」
 機械アナウンスが部屋の中に響き渡った。部屋の中にたくさん並んだ、鉄の箱のような機械の一つが低い唸り声を立て、冷却装置からは湯気が吐き出された。鉄でできた、カプセルのような箱の中がバチバチっと光り、その後に人間が現れた。肩まで黒髪を伸ばした少女だ。
「時空ナンバー1365より帰還を確認。生体反応を感知、身体活動正常。登録識別名とIDを入力してください。入力方法は音声入力です」
 機械アナウンスが終わると、カプセル状の箱の中に現れた少女が目を開け、機械アナウンスの質問に答えた。
「IDナンバー3432YDD、識別名は松下です」
「識別名およびIDを確認。おかえりなさい、
 すぐさま機械アナウンスの返事があって、機械の扉が開いた。
「旅はいかがでしたか、
 機械アナウンスの質問はパターン化されていて、いつもこの質問か「お疲れになっているのでは?」のどちらかだ。は苦笑いしながら「まあまあよ」と答える。機械アナウンスは「それは良かったですね」と見当違いな相づちをうった。
「そろそろバージョンアップしたほうがいいんじゃないの」
 は眉を寄せて部屋の扉に近づき、あることを思い出して振り返った。
「ああそうだ。私は明日から二週間休暇です。かわりの方がいらっしゃると思うので、登録の仮変更をお願いします」
「承知しました、休日はお父様と遊園地にでも?」
 は「遊園地?」と首をかしげた。
「いいえ、予定が入っているの……ねえ、あなた私をいくつだと思ってる?」
「個人的な情報にはデータベースからアクセス制限がかけられています。ですが、身体的特徴から予測して、、あなたの年齢は十三歳から十六歳と推定されます」
 はため息をついて首を振った。と言っても、彼女の体は小さく、声も少女期特有のキンキンしたものである。
「あなたには、私の体のことを知ってもらっておいた方がよさそうね」
「では、責任者に申告を行ってください」
「……分かったわ」
 うんざりした表情では扉をあけた。
「良い休日を」
「ありがとう」
 機械アナウンスの味気ない送り出しにもう一度苦笑いして、は部屋を後にした。

 部屋を出ると廊下の向こうに見知った男が立っていて、は手を振った。
「マロンちゃん!」
 は男に走り寄ると、そのぼろぼろジャケット男に抱きついた。『マロンちゃん』はちょっとしたタックルに顔をしかめた。
「やあ、こっちの研究棟にはあんまり来ないから迷っちまった。なに、今ご帰還?」
「うん。ちょっと疲れた」
 が猫のように『マロンちゃん』のお腹にゴロゴロ頬ずりしていると、その後ろを何かがものすごい勢いで通り過ぎて二人の服をびゅうんとはためかせた。
「ちょっとお!」
 が振り返ると、そのものすごい勢いのものは数メートル先で止まり、ゆっくりとこちらに戻ってきた。戻ってきたのはローラースケートのような靴を履いた若い男である。
「すみません……」
 もごもごと曖昧に謝って頭をかく青年に、は少し背伸びをして苦情を申し立てた。
「あなた、研究所内でのエアスケーター制限速度をご存知?」
「は、はい。分かってます……」
 青年は萎縮しきりだ。
「時速十五キロ。私の記憶では、2028年から二十五年間、これは変わっていないはずですけれどね!」
 はその後、青年に始末書と反省文を提出するように言い、彼を逃がしてやった。そしてまだ怒りが収まらず鼻息を荒くしていると、後ろから押し殺したような笑いが聞こえて振り返った。
「なによ、マロンちゃん」
 ぼろぼろジャケットの『マロンちゃん』は、腹を抱えて笑いをかみ殺している。
「いやさ、中学生の子供が大の大人に説教してると思って……!」
 は「まあ!」と非難の声を上げた。
「子供じゃないもん! 二週間後には二十五歳よ!」
 だがの姿は誰がどう見ても、十五歳程度のお子様である。「子供じゃないもん!」というかなぎり声に近い叫びに、『マロンちゃん』は膝をたたいて笑い出した。
「それそれ、完全に子供じゃん! いやあ、これが全身サイボーグの悲しい性か」
「ひ、ひどいよ!」
「あ、研究室ではいつもさっきみたいなのか? 『あたくしの記憶では、二十五年間、これは変わっていないはずですけれど』!」
 『マロンちゃん』はの口真似をする。
「マロンちゃん! こ、このでかっ鼻!」
 このままでは脛でも蹴ってきそうなの勢いに、『マロンちゃん』はやっと笑うのをやめた。
「わかった、わかった。だからこれから大人にしてやろうってんだろ?」
「ふん! 『身体機械補助』協会に訴えでてやる!」
「ごめんごめん。 機嫌直せよ」
 は『マロンちゃん』に噛み付くように言った。
「マロンちゃん! もう、いいから早くオーバーホールして!」
「わかたって。でもその前に、所長に報告! だろ? 俺、整備室で待ってるから」
 は『マロンちゃん』にナイフを突きつけてでも、このまま整備室に行きたいところだったが、しぶしぶ所長室に行き先を変更した。

 所長室とプレートがかかったその部屋は、研究所の長がいるとは思えないほどに簡素だ。これまた簡素な机と椅子が部屋の奥にあって、窓を眺めるようにして初老の男性が座っている。
「所長。です」
 開いたままのドアをノックして、は部屋の中に入った。椅子から立ち上がった所長はにこやかにを迎えてくれる。
「やあ、帰ったのかい」
「はい、報告です」
「よかろう」
 所長が机の前に立ってに視線を合わせる。はこのとき、所長の目線が幼稚園児でも見るような穏やかさになるのを、あまり嬉しく思っていなかった。
「本日は時空ナンバー1365の200]年の地点に定期調査に行ってまいりました。さほど異常は確認されませんでしたが、自衛隊のイージス艦一隻が消息を絶ったとの報道が流れていました。他の平行世界に誤って転送されたものと思われますが、私以外の担当者からそのような報告はありませんでしたか」
 所長はちょっと眉を吊り上げてから、顎に手をおいて考え込んだ。
「いや、まだそのような報告はないが……オペレーターにスキャンをかけるよう指示しておこう」
「お願いします……あ、そうだ」
「なんだね?」
「私の研究室のオペレーションシステム、そろそろバージョンアップしていただけません? それと、私の実年齢をちゃんと登録しておいてください!」
 が言うと、所長は吹き出した。それを見たは、
「あ! 所長さんまで!」
 と抗議したが、所長はそんなを手で制して、
「よかろう。休暇の間に手配しておくよ。でもまあ、その必要もないじゃないか。今日からオーバーホールだろ」
「そうですけど……」
 しぶしぶが引き下がると、所長はなんとか厳格さを取り繕って首をかしげた。
「さて、報告は以上かな?」
「あ、はい。以上です」
「それなら、お父さんに一度顔を見せに行きなさい。十五歳最後の日なんだから」
「十五歳じゃありません!」
 熱心な非難もむなしく、所長は簡単にをあしらって部屋を追い出してしまった。

「はーかーせ!」
 が研究室の扉をくぐってそう言うと、奥の机に座っていた松下博士は振り返った。
「おお、。おかえり!」
 松下博士は椅子からあわてて立ち上がってこちらに歩いてきた。彼が立ち上がった瞬間、椅子は大きな音を立てて伸び上がる。それくらい松下博士は大柄であった。
「ただいま帰りました」
そう言っては博士に抱きつき、義父でもある彼の顔を覗き込んだ。松下博士は眼鏡をかけていてそれは大きな顔に窮屈そうに収まっている。
「真っ先に栗田のところに行くと思ってたぞ」
「ほんとはすぐにでも行きたいの。でもその前にちょっとご挨拶にって思って」
「所長に報告は?」
「終わった終わった。所長さんてどんな報告しても『よかろう』しか言わないもの」
「人の口真似はするもんじゃないぞ」
「マロンちゃんはいつもやってるよ」
「あいつの真似もだめ」
「はあい。ねえほら、さっさとお別れ言っちゃって」
 は自分の胸をぽんぽんと叩いた。博士は首を傾げる。
「お前にか?」
「そう。憎き十五歳の私に」
 はくるりと片足で一回転して見せた。博士はの言いように笑って、彼女の頭を撫でた。
「オーバーホールしたら、こうやって頭も撫でられないかもな」
「そんなに背は高くしてもらわないつもりよ」
 は怪訝な顔をした。博士は自分の二倍はあろうかという身長なのに、それより大きくなったらそれはもう巨人並みだ。
「いやいや、頭を撫でるなんて申し訳ないくらい、大人っぽくなって帰ってきたらってことさ」
 は嬉々とした。
「セクシーなのになって帰ってくるからね」
「俺は愛嬌があればそれでいいと思うけどなあ」
「今はセクシーなのが流行なの!」
「そうかあ」
 このままではいろいろオーバーホールにいらぬ注文をつけてきそうで、は早々に松下博士の研究室を後にした。はずむような足取りで薬品くさい研究棟から油の臭いが漂う技術棟に渡り、『マロンちゃん』こと栗田技術師の部屋を訪れた。栗田はすでに制御装置をスタンバイさせ、工具を並べているところであった。
 は栗田に駆け寄った。
「お願いしまーす」

 

 

 

 

 

 

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