促されるまま、前の席に後ろ向きに座った。顔を上げて山本を見ると、山本は人懐っこい笑顔を向けてきた。
「まさかツナに会えるなんてな」
山本は言った。
「……俺も、山本に会えるとは思わなかった」
山本……山本武は、俺の中学時代の同級生だ。別々の高校に進学してからは会っていないし連絡も取っていなかった。連絡を取り合うほど仲がいいわけではなかった。むしろ一方的に憧れを抱いていたのは俺の方で、山本は多分ただのクラスメートの一人くらいにしか思っていなかったはずだ。それでも俺は山本のことを忘れてなんかいなかったし、事あるごとに思い出していた。なぜなら……山本にとっては何の事もない仕草かもしれないけれど、俺は山本が向けてくれる笑顔に救われていたのだから。あまり友達のいなかった俺にとって、玄関先で山本が笑顔で「おはよう」と声をかけてくれることが何より嬉しかった。分け隔てなく声をかけているだけ……なんてことは知っている。それでも俺はこの瞬間、確実に俺だけに向けられる笑顔が何より大切だったんだ。
「……これ、夢?」
俺は思わず尋ねていた。山本が俺の目の前にいるなんてあり得ないことだから。
「ツナがそう思うならそれでいーんじゃね?」
山本は軽い調子でそう言う。
「そんな適当でいいの?」
「いーのいーの」
山本は笑った。そういえば山本と向かい合って二人で話したことなんてあったかな?俺と山本が同じクラスになったのは中学二年の一年間だけで、三年になってからは朝の挨拶すらなくなってしまった。
「何で俺の夢に山本がいるの?」
俺は尋ねた。
「多分、ツナが呼んだからじゃねーかな」
夢の中にいるはずの山本はやけにしっかり俺と会話している。俺の夢はいつも一方的で断片的なような気がするけど、やけにはっきりした輪郭を持った夢だ。
「俺が呼んだら山本は来てくれるの?」
「ん、多分な」
山本は曖昧に笑う。っていうかこれが夢なら、夢の登場人物相手に何変なこと聞いてるんだろう。見たい夢を選んで見れるなら最初からやってる。見たい夢を見れたことなんか今まで一度もない。
山本に会いたいと思っていたのは確かだ。想いが強すぎて夢に出してしまったのかもしれない。それならありうる。
けれど、夢にしてはやけにリアルだ。この教室に一歩踏み入れた瞬間から、暗闇の中でぼんやりしていた五感が戻ってきた感じ。起きているときと何ら変わりないレベルに、俺は自由に考えて自由に行動している。夢を見ている、というより、夢で生きている、と言った方が的確かもしれない。
「ホントに夢なら、何でも俺の思い通りになる?」
俺の呟きに、山本は頬杖をついて俺の目を覗き込む。
「……ツナは何が望み?」
意味深に口の端を吊り上げた。
何でも思い通りになるのなら、現実じゃ叶わないことだって願ってみたいと思う。無理難題を押し付けて、山本がそれに従ってくれればいいと思う。そして、今ならそれが出来る。夢の中だから、多分できる。
「俺……また山本と話したい」
山本は表情を変えずに、俺をじっと見つめていた。窓から入り込む風が山本の制服の裾を揺らす。夕日に照らされた横顔は相変わらずかっこいい。そういえばいつも山本の姿を目で追いかけていたような気がする。
「いいぜ」
山本は言った。その答えを聞いて、俺は何だか酷く安心していた。夢の中なんだから遠慮しなくたっていいはずなのに。肯定も否定もどうせ嘘なんだから。
「……この夢は、いつ終わるの?」
夢の終わりはいつも唐突だから、思わずまた尋ねてしまっていた。
「ずっと夢ん中にいるつもりなのか、ツナは」
山本は笑う。確かに、ずっと夢の中にいるわけにはいかない。起きて学校へ行って、生活をしなきゃいけない。
でもまだ、覚めたくない。せっかく山本に会えたのに。
「ツナが呼んでくれたらまた会えるよ……多分」
山本はまるで夢の操り方を知ってるみたいな口調でそう言って、俺の頭をくしゃりと撫でた。夢のくせに、やけにリアルな感触がした。何だか懐かしくて泣きたくなる。
「そろそろ帰さねーとな」
山本は窓の外を何気なく見下ろして呟いた。帰すって山本が?俺を?つられて俺も窓の外を見た。
誰もいない。
「ツナ」
なに、と言おうとして振り向いた。すると視界が埋もれて、唇に柔らかいものが触れた。一瞬だった。掠めるように触れてそれは離れていった。
「またな」
視界を覆ったのが山本の手で、恐らくキスをされたのだろうと気がついたのは、思考が完全に暗闇に吸い込まれた後だった。
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