=一日目=
大学二年の夏休み。気ままな大学生活、ダラダラ過ごしてきた俺は、そろそろ社会勉強を兼ねてアルバイトをしようと思った。自分で自由に使えるお金が欲しかった、というのが理由の大半を占めるのだけれど、そんなことは勿論、言わない。
体よくコンビニの面接に合格し、今日が初出勤の日だった。店長のディーノさん(この人がまたかなりのイケメンである)と一緒に売り場に出る。
「今日から七日間、研修な。研修中は時給マイナス50円」
覚えが悪い俺にとっては、この七日間が正念場になりそうだ。
「この時間はお客さんが少ねーから、まず品出しな。あと品質管理のやり方も教えるから」
時刻は午後三時。昼下がりのコンビニは比較的ゆったりと時間が流れていた。
――商品を並べていると、ピンポーンとチャイムが鳴り響いた。店内に人が出入りした時に鳴るセンサー式のチャイムだ。
「いらっしゃいませー!」
隣にいたディーノさんが元気よく挨拶をする。俺も真似して挨拶をした。棚の影になっていて、今来たお客さんがどんな人なのかは分からない。と言うより教えて貰ったことを覚えるのに必死で、俺はお客さんどころじゃなかった。
しばらくして、ディーノさんが手を止めた。お客さんがレジに向かったらしい。
「ちょっと一人でやっててな」
言い残してディーノさんも向かった。会計をするレジの音が聞こえてくる。俺もいずれはレジに入るんだよな……と思いながらそちらへ視線を投げ掛ける、と。
会計待ちをしていたお客さんと、ばちりと視線が合った。
俺は慌てて視線を反らす。びっくりしたー、まさか見られてるとは思わなかった。実際はちょっと余所見をしただけなんだけど、サボりを見抜かれたような気分で落ち着かない。
ありがとうございましたーとディーノさんの声がして、ちらりとレジに視線を向けた。今度は視線が合うなんてことはなく、その人は商品を受け取って店の外に出ていった。
――さっきの人。若い男の人だった。と言うよりちょっと幼さの残る顔立ちで、多分俺より年下だろうという気がした。
……にしては背が高いような気がしたけど……それは、見間違いということにしておこう。
=二日目=
その日、俺は午前中からバイトに入った。アルバイトの先輩である入江くん(違う大学だけど俺と同い年だ)のアシスタントをして、袋詰めや煙草の銘柄を探したりした。お昼にはディーノさんが出勤してきて、ピークタイムが過ぎたらいよいよレジ打ちを教えてくれるという。
「二日目でもうレジですか?」
俺は正直あまり自信がなかった。間違ってお釣多く渡したりしそう。
「大丈夫だって、入江がフォローしてくれるから」
ディーノさんは然程深く考えていないらしく、軽快に笑う。
「いずれレジ打ちもやらなきゃいけないんだから、覚えるなら早い方がいいよ」
入江くんが言う。ごもっともです……。
そんな感じで俺は渋々レジを打ち始めた。最初は「ここを押して、金額を入れて……」なんて入江くんに横から教えてもらいながら打っていたけれど、二時間もレジ打ちをしていたらだいぶ慣れてきた。
時計を見ると、あと三十分で上がりの時間だった。もう混まなければいいな……と思いながら、レジにぼんやり突っ立っていた時だった。
ピンポーンとチャイムが鳴る。
「いらっしゃいませー……あ、」
店内に入ってきたのは、昨日俺と目が合った少年だった。彼は店内に入ってすぐを右に曲がり、雑誌コーナーを物色している。俺はそんな彼の後姿をレジの中から観察していた。あの制服……近所の中学校のだ。って、中学生!?最近の中学生ってあんなに発育いいのか?彼は今度は店の奥にある紙パック飲料のコーナーを物色している。肩からエナメルのドラムバッグを提げていた。運動部の生徒がよく使ってるやつだ。
彼は棚から商品をひょいと取って、そのまままっすぐレジへ向かってきた。く、来る。俺は何故か内心身構えた。
トンとレジに置かれたのは紙パックの牛乳ひとつ。
「いらっしゃいませ」
とりあえず営業スマイルを作って接客する。バーコードを読み取ってレジのキーを押して、お金を受け取って金額を入力して会計。ただそれだけの作業だ。
「84円になります……袋にお入れしますか?」
俺は顔を上げて尋ねた。げ、こいつ中学生の癖に俺と同じくらいの身長だ。
「そのままでいいです」
彼は笑顔で元気よく答えた。お?いい子じゃん。恐れ入ります、と返して、バーコード部分にシールを貼り付けた。
「16円のお返しです、ありがとうございました」
お釣を渡すと、彼はまた笑顔になって「どーも」と言った。コンビニで接客をしていてそんなことを言われるとは正直期待してなかったから、ちょっと嬉しい。コンビニってどうしても、お客さんと最小限の会話しかしないイメージがある。
「綱吉くん、もう上がっていいよ」
は、と気づくと、上がりの時間を過ぎていた。
「ありがとうございます、お疲れ様でした」
ディーノさんと入江くんに挨拶をして、先に上がる。
あの彼のお陰で、今日はいい気分で帰れそうだった。
=三日目=
コンビニバイト三日目。正一くんにフォローをして貰いながら、俺は今日もレジに入っていた。肉まんとか唐揚げとかの品質管理の仕方を教えて貰ったり、公共料金支払いや宅配便のことも覚えなきゃいけないし……コンビニって結構大変だ。
今日もあと少しで上がれる……って頃に、昨日の中学生がやってきた。彼はまた紙パック飲料のコーナーから牛乳を取って、まっすぐレジに向かってくる。
「いらっしゃいませ」
昨日声かけてくれて嬉しかったよ……とは言えないから、なるべく笑顔で丁寧に接客することにした。俺が笑顔を向けると彼も笑顔を返してくれた。
「84円になります……袋は、」
「いらないです」
顔を上げると図ったように返事が返ってきた。また嬉しくなる。
「あの」
バーコードにシールを貼っていると、唐突に声をかけられた。
「はい?」
俺は純粋になんだろうと思って、何か注文でもあるのかなと顔を上げた。でも実際はそんな話じゃ全然なくて、彼は興味津々の表情でこんなことを訊いてきた。
「あの、沢田さんって恋人いるんですか!」
唐突かつ脈絡のない質問に、俺は驚きのあまり硬直した。こ、こい?何でそんなことを聞かれなくちゃいけないんだ?
「い、居ませんっ! 16円のお返しです、ありがとうございましたっ!」
変な風に声が上ずった。彼は釣り銭を受け取ると牛乳パック片手に、
「良かった! じゃあ沢田さん、また来ます!」
……と言い残して出ていってしまった。
俺に恋人がいなくて何が良かったのかよく分からない。ものすごい話しかけられてしまった。なつかれているのか、からかわれているのか、それすらよく分からない。
「……最近の中学生ってよく分かんない……」
俺の呟きに、ちょうど売り場から戻ってきた正一くんが怪訝な表情をした。
=四日目=
今日は来ないのかな、と思っていたら今日も来た。誰を指しているかと言えば勿論、あの中学生だ。このコンビニの常連さんなのだろうか。毎日牛乳を買って帰る。……だからあんなに背が高いのか。
牛乳パック片手に少年は、今日はレジの近くにあるガムのコーナーを物色している。
「綱吉くん、もうすぐ上がりだよね?」
不意に後ろから声をかけられた。振り向くと正一くんがペーパータオルで手を拭きながら立っている。
「はい、上がりです」
「じゃあ俺、唐揚げだけ準備しておくね」
ちょうど廃棄の時間が迫っていた。正一くんは要領がよくて羨ましい。
と、少年がニコニコしながらレジにやってきた。今日は牛乳パックとガムが一つ。
「いらっしゃいませ」
俺は笑顔で対応する。
「183円になります」
少年は財布を開けながら言った。
「沢田さんって下の名前、ツナヨシさんって言うんですね」
突然そう言われて、一瞬意味が分からなかった。何で俺の名前?あぁ、さっきの正一くんとの会話、聞いてたのか?
「はい、そうですけど……」
答えると少年は笑顔を向けてきた。な、何だ?
200円をレジに置きながら、少年は言った。
「俺、ツナヨシさんに一目惚れしました。付き合ってください」
後ろにいた正一くんが吹き出した。俺はただ呆然と彼の笑顔を見つめていた。ものすごくニコニコしている。
「……200円お預かりしまーす」
「あ、ちょっと、シカトしないでくださいよ!」
少年は慌てて言ったけれど、俺はどうしたらいいか分からなさすぎてとりあえず一旦スルーした。
一目惚れ?
付き合って?
……冗談。
「大人をからかうのもいい加減にしなさい……はい、17円のお返しです」
「からかってない、本気です」
言いながら少年はやはりニコニコしている。どう見てもからかわれているとしか思えない。
「はいはい、分かった分かった」
俺はだいぶ面倒になって適当にそう返した。
「マジで、考えといてくださいね!」
少年は元気よく言い残して、店を出ていく。
店の奥から出てきたディーノさんが、モテモテだな〜と変なことを言った。
=五日目=
上がりの時間近くになって、今日も彼はやってきた。
が。
「こんにちはツナヨシさん!」
「ツ、ツナヨシさん……素敵だ……!」
……何か増えた。
今日彼は、同じ制服を着た銀髪の男の子と二人で店に入ってきた。友達だろうか。ぎゃーぎゃー何か言い合っていて、喧嘩してんだかじゃれてるんだか分からない。
いつものコースを経由し、牛乳パックをトンとレジに置いた彼は、笑顔で言う。
「俺、返事待ってますからね」
……え、マジで言ってんの?
俺が呆然としていると銀髪の少年が割って入ってきた。
「お前、いきなり失礼だぞ! ツナヨシさんが困っていらっしゃるじゃねーか!」
困ってるのは事実だけど……一体この子は誰だ?
「おい、ツナヨシさんは俺と喋ってんだから邪魔すんなよ」
「うるせー野球バカ」
「バカって言った方がバカ」
……中学生通り越して小学生か。
俺はレジに出された100円を受け取り、いつものように16円の釣り銭を手渡した。
「あ、そういえば忘れてました」
少年がはっとして言った。
「名前、言ってませんでしたね。俺は山本武っていいます」
相変わらずの笑顔でそう自己紹介する黒髪の彼。
「俺は獄寺隼人といいます!」
また横から割り込んできた銀髪の少年は歯切れよくそう挨拶した。
「あ……あっ、そう……」
俺はもう何とリアクションを返したらいいのかさえ分からない。最近の中学生ってよく分かんなくて怖い。大人をからかうのが流行ってるのか?
「じゃ、また来ます」
「ツナヨシさん、失礼します!」
山本くんの方は爽やかな笑顔で、獄寺くんはきっちり90度にお辞儀して、店を去った。
「嵐みたいだったな」
店の奥から出てきたディーノさんが呟いた。
「で、お前は何て返事するんだ?」
「バカなこと言わないでください。お疲れさまでした」
そう言い残して、俺は裏に引っ込んだ。あんなのただ、からかわれてるだけだ。だいたい、俺だって向こうだって男なんだから。
「最近の中学生って怖い……」
まず何を考えているのかさっぱり分からない。俺は密かに呟いて、脱いだエプロンをロッカーに突っ込んだ。
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