そいつはどうやら俺のことが好きらしいということは、風の噂で知った。それを知った俺は鼻で笑った。何だそれ。ホモかよ。
 確かに言われてみればそうかもしれなかった。何気なく視線をそちらに向けると必ずと言っていいほど視線が合って、すぐに反らされる。見られている。あまりいい心地ではない。可愛い女の子ならまだ許せた。けれど相手は男だ。

 沢田綱吉とかいう目立たないクラスメートだ。小さくて細くて白くて何となくナヨっとしてて、たまにからかいの対象になっている。その度に彼は肩を縮めて怯えた。言い返したいのを堪えてるみたいに口の端を結んで真っ赤な顔をしている。それが俺のことを好きだって、冗談じゃない。ホモならホモで勝手にすればいい。けど俺はホモじゃない、だから困る。

「わ、」
「おっ、」
 ホームルームも掃除もとっくに終わった放課後。部活の忘れ物を取りに教室に戻ろうとしたら、廊下の角を曲がったところで何かにぶつかった。俺より軽いそれは弾き飛ばされてすっ転んで尻餅を着いた。
「わり、大丈夫か?」
 と手を差し伸べて、あ、と気付いた。
 沢田綱吉。

「あ……」
 沢田は顔を上げて、目の前の人物を確認した途端パッと顔を反らした。
「だ、大丈夫だから」
 顔を赤くしてもじもじ話す。ああなるほど、これは。からかいたくなる。

「沢田さ」
 手を差し伸べるのをやめた。真っ直ぐ立って見下ろす。沢田は上目遣いに恐る恐るこちらの様子を伺う。俺の中の何かがむくむくと頭をもたげるのが分かった。
「俺のこと好きなの?」
 その言葉は誰もいない廊下に馬鹿みたいに大きく響いた。沢田は目を見開いた。そしてまた視線を反らす。言葉を探してか唇が微かに動いている。震えているのかもしれない。
 顔を真っ赤にしてもじもじして震えて小動物みたいにされたらちょっかい出してみたくなる。それはまるで猫が動くものを追いかけるのと同じ、本能のようなものだった。
「女の子にするようなことしてーとか思うの、いや、されたい方か」
 沢田は耐えるようにぎゅっと目を瞑った。何だその態度、俺が苛めてるみたいじゃん。あ、苛めてんのか。

 腕を掴んで無理矢理引っ張って立たせた。思ったより腕は細くて体重は軽くて、傷つけようとしたら簡単に傷つけられる、そんな脆さと隙がある。
 どうでもいいとか思うのは同じ男だからかな。女の子だったらそりゃ、ちょっとは大事にするかもしれないけど。相手は男だ。何だか無性に掻き立てられるのは多分そのせいだろう。乱暴にしてみたい。

「沢田って男が好きなの?」
 沢田は殴られる寸前の子供みたいに身をすくませた。背けた顔は泣きそうだった。どうせなら泣けばいいのにと思う。それで二度と俺に近づかなければいい。

 魔がさしたとしか言い様がない。俺は沢田の細い両肩を掴んで壁に押し付けていた。些細な抵抗を腕力で押さえつける。泣きそうな顔をした沢田が目の前にいた。
「俺とキスしたい?」
 沢田は目を見開いて俺の顔を見た。その瞳の中には悪どい顔をした俺が写っている。俺ってこんな顔できたんだ、と他人事みたいに思った。
「キスしてやったら嬉しいの」
 少し開いた唇は震えていた。その唇に唇を押し付けるふりをして、顔を傾ける。吐息がかかる距離で、沢田がぎゅっと目を瞑った。

「や、だ……!」
 その声に俺はぴたりと動きを止めた。今何つった?沢田は目尻に涙をいっぱい溜めて上目遣いで俺を見ていた。
「山本君にとっては、違うかもしんないけど……っ、俺は、本気だから……!」

 ……何でだろうな、無性に腹が立った。キスの一つくらい冗談でくれてやってもいいと思っていたのに。そんなマジになられても白けるっつーか。ため息を吐いてゆっくり身体を離した。

「……お前、もうちょっと何かねぇの。冗談なんだから。白ける、そういうの」
 俺を見て黄色い声をあげる女の子たちは、俺がこんなことしてやったらきっと、戸惑ったふりして期待するんだろう。それなら少しは可愛いげがあるものをこいつは、冗談にもならない。俺のことが好きらしいくせに妙に生真面目で、そういう所が気に入らない。

「何で俺が好きなの」
 俺は訊ねた。
「こっちが訊きたいよ」
 どうして好きなんだろう。呟かれた言葉に笑いが込み上げた。むきになった俺が馬鹿みたいだった。俺は。何を。期待した?沢田はそんな俺を不思議そうな顔で見ていた。本当、冗談にもならない。












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