「俺のものじゃなくていいからさ、誰かのものになんかならないでよ」

 それは戦地へ向かう直前、必ず俺の元へやってきて、必ず言う、台詞。

 いつもわかったわかった、なんて笑って返していたけれど、思えばあれは、自分がもし「戻ってこれなかったら」、そのときのことを想定しての、優しくて悲しい約束だったのかもしれない。







「あーあ、ムカつく」

 その日は腹が立つほどの快晴で、マフィアの仕事でデスクに縛り付けられていた俺は、窓の外を見て悪態をついた。
「今日は不機嫌なのな」
 書類を持ってきた山本が苦笑する。
「こんなに天気がいいのに」
「天気がいいからだよ」
 山本は窓に歩み寄って、観音開きのその窓を開け、空を見上げた。

 ふわふわと涼しい風が部屋の中に舞い込む。先程山本が持ってきたうち、数枚の書類がその風に拐われて、デスクの上からさらさらと零れた。

「あそこにツナがいる」
 俺を振り向いた。逆光。にかっと笑ったのが分かった。
 意味分かんない。

「何言ってんの…」
 落ちた書類を拾おうとして、椅子から立ち上がろうとした。しかし、一足先に山本が来てくれたので、俺は改めて椅子に座り直す。

「ツナがいてくれるなら寂しくない」
 落ちた書類を拾い集めながら、山本は静かに言う。
 その口調が何だか山本らしくなくて、俺は何言ってんだよ山本、とわざとらしく明るく言ってやった。

「ツナ」
 書類を手に立ち上がった山本は、俺の目をじっと見つめて言う。

「ツナは全部を包んでくれる、大空みたいなやつだって、俺、いつだってそう思ってるよ」

 そんなことを言った後。



「だから、俺のものじゃなくていいからさ、誰かのものになんかならないでよ」



――あぁ、また、だ。
「何回目?」
「わかんねー」
 山本はいつも通りに戻って、からから笑った。






 緊急事態を知らせるブザーが鳴り響いた。
 じゃ、行くな、と言って、手にしていた書類をデスクの上に置く。ぱさ。

「気をつけて」
 部屋の出口で呼び止めると、山本は振り返って、また笑った。






 相当悪い状況だったらしい。
 格下は相手にしねぇんだ、が口癖のリボーンも、俺を一番奥の部屋に閉じ込めて、どこかへ消えてしまった。
 大丈夫なのかなぁ、きっと、大丈夫じゃないよなぁ。
 何もない部屋の中を一頻りうろうろした後で、戦線に参加しているであろう皆のことを考えた。

 リボーン。獄寺くん。雲雀さん。骸。お兄さん。ランボ。そして――山本。

 その流れで、さっきの外の様子を思い出した。不愉快なほどに晴れ渡った空を思い出した。
 快晴。
 山本の言葉。
 『あそこにツナがいる』。
 いるわけないじゃないか山本、だって俺は“大空”だけど、確かにここにいる。
 思い出した。今までの山本の様子。今日の山本の様子。今日はよく晴れている。

『俺のものじゃなくていいからさ、誰かのものになんかならないでよ』。

 思い出した。晴れた空。快晴。快だって?むしろ不愉快だ!

 扉を無理やりこじ開けて部屋の外に出た。また鳴り響くブザー。知るもんか。俺は走った。苛々していた。不愉快だった。大空が。快晴が。山本の言葉が!






「わりー、やっちまった」

 案の定、だった。しかも外は快晴から一転、雨だった。
 おーいて、なんて苦笑しながら、山本は脇腹を押さえる。
 今までにも怪我を追って帰ってきたことは幾度かあったものの、ここまでの大怪我は初めてかもしれない。
 今まではどれも「かすり傷」と呼ぶに相応しい、取るに足らない傷ばかりであったのだから。
 地面は赤く染まっていた。
 雨に薄められたせいで大量出血に見えるだけなのか、それとも全部身体から流れ出たままの血なのか、見当がつかなかった。

「山本、」
 走ってきたお陰で、情けないけれど息も絶え絶えな俺は、山本の名前を呼ぶことしかできなくて、しゃがんでいる山本に視線を合わせようと膝をついた。

 戦線はどこかへ動いたらしく、辺りは静かなものだった。
 強いて言えば雨の音が、地面を叩く水の音が、うるさい。

「雨が降ってきて、」
――ツナがいなくなったと思ったら、ここにいた。

 山本は困ったような顔で、へにゃりと笑った。
 俺は成す術がなくて、とりあえず山本を抱き起こし、その上半身を抱く姿勢を取った。



「……なぁ、ツナ、料理できる?」

 不意に山本が言った。何馬鹿なこと言ってんの、と、俺は笑ってみせた。頬がひきつっている。

「帰ったらさ、食いてーな、あれ、焼鮭」

 俺に摺り寄るように僅かに身動ぎして、構わず山本は続ける。

「んでツナはさ、白いご飯炊いて、味噌汁作ってよ」
 俺それだけあればいーや、と呟き、そういやこの辺で味噌売ってるスーパーどこかなぁなんて上の空で。

 山本の視線は宙を泳いで、焦点も合っていないようだった。
 山本、と名前を呼ぶと、その焦点の合わなくなった瞳でこっちを向いた。
 その目に俺が映っているのかどうかは分からない。

「……なぁ、」
 俺のものじゃなくていいんだよ、俺のものなんかじゃなくていいからさぁ誰かのものになんてならないでくれよお願いだからさ。

「そうじゃないと俺、悲しくて死にそー…」

 だって空に行ってもツナいないんだもんな、と、俺のシャツの胸元をすがるように掴んだ。力はほとんど入っていない。

「何馬鹿なこと言ってんだよ」

 焦燥感と少しの怒りと不安で、俺の声には棘があった。
 それを聞いた山本は、晴れでも雨でも不機嫌なのな、とちょっと笑った。

「……ツナ」
 吐息交じりの小さな声。
 帰ったら約束守ってな、と呟いただけで、山本は目を閉じた。

「――え、ちょっと、山本!勝手に約束すんな!おい!」

 ゆさゆさ揺さぶる。山本は目を開けない。

「――山本……!」

 山本の身体を抱き締めた。山本の肩口に顔を埋め、ぎゅっと抱き締めた。



 すると、雨音に混じって、僅かだが息を吸う音。
 心臓に耳を当ててみると、僅かだが動いている音。

 ……寝ただけか!



「――びっくりさせんな、馬鹿!」
 そんな悪態をついても、山本には聞こえていないだろう。
 山本は俺より身長が高いし体格もいいから、俺一人でアジトまで運ぶのは骨が折れる。
 悪いけれど、引き摺っていくことにしよう。

「――約束、ね」

 山本が起きたときのために、焼魚定食を準備しておいてあげようと思った。ああ、それって朝食じゃん。
「約束だから、勝手に死ぬな」



 身勝手な山本に少し腹が立ったけれど、それでよかったと思った。

 考えてみたら、君がいるから俺は誰のものにもなるつもりはないし、山本は俺がいないと悲しくて死にそうになるけど、俺がいたらきっと悲しくなくて死なないんだ。
 何も心配することはない。



 山本をアジトまで運んだら、味噌を探しにいかないといけない。
 雨はいつの間にか止んでいて、雲の隙間から快晴が見えつつあった。












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