怖気づいちまった

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 好きっていう言葉以外の表現方法が思い浮かばなかったんだ。



   怖気づいちまった



 ベッドはふわりといい匂いがした。宗一の匂い。おそらくはシャンプーとか石鹸とか、そういう類の匂い。だからここが落ち着くのだけれど、そういう自分をまるで変態みたいだと俊介は思う。――別にもう、今更だ。
 俊介がころりとベッドを占領すると、宗一は一度だけ小説から顔を上げる。何かを確認するみたいに俊介を見て、少し呆れた笑みを浮かべて頷いて、小説に戻る。宗一はテーブルをはさんでベッドと向かい合うソファに凭れかかっている。ソファには座らず、床に座るのが俊介には不思議だった。
「宗一」
「ん?」
「それ、面白い?」
 自分は薄っぺらい旅行雑誌を捲りつつ、俊介は問う。宗一は数秒黙った。その間に俊介は、見開きページの写真を端から端までじっくりと眺める。それからぱたん、ぱたんとベッドの上で足を遊ばせ、寝返りを打って宗一を振り仰ぐ。宗一は、ゆっくりと目を瞬かせた。
「ん」
「あ、そ」
 小説を読んでいるときの宗一は面白いと俊介は思う。何かを話しかけても、大抵の場合理解するのに数秒かかるし、話しかけなければどんなに見つめても気付きやしない。現に、今も。
 触ると硬い髪。広い額。緩い弧を描く眉やその下の大きな瞳は、歳よりも幾ばくか彼を幼く見せる。それからすっと通った鼻筋。小説のせいか、今は若干口端が上がった小さな唇。何度も見たのに、どれだけ見ても飽きない。
 俊介は仰向けになって天井を見つめた。ぱたん、ぱたん、と脚を遊ばせる。
 飽きないどころか、触れたくて困る。最近は特にひどい。
 するりとした頬に触れたい。その頬に自分の頬を当てたら、どんな感じがするのだろう、試してみたい。そのまま肩を抱きよせ、背中に腕を回して首筋から背筋へと手を滑り下ろしたい。骨のひとつひとつの形を辿ってみたい。宗一は、背はあまり高くないけれど男なのは間違いないから、柔らかくはないだろう。けれどその硬さを想像するだけで俊介は欲情しそうだと思った。
(俺ってやばい人みたい?)
 ぼんやり腕で顔を覆って嘆息する。やばいなんて思うのも、今更だ。
 初めは気付かなかった。こんなふうになるなんて、思いもよらなかった。
 きっかけが何かなんて覚えていないけれど、いつの間にか好きになっていた。沼に嵌るような感覚で、じわじわと少しずつけれど抜け出せない。最悪なパターンだと俊介は思う。
(好きなんて)
 俊介は恋愛にいい経験がない。誰かを好きになることは初めてじゃないし、それなりに彼女もいた。けれど全て酷い終わり方をした。泣くか、それとも泣かされるか。時には刺されるかと思ったこともあるし、まるで詐欺のような目にあったこともある。
 だから恋愛なんてしたくなかった。
 けれど、他に言い表す言葉を知らなかった。その言葉は、俊介から簡単にぽろりと零れた。
『好きかも知んない』
 雨が上がったばかりだった。夕暮れに照らされた宗一の頬がオレンジ色で、やたらにつやつやしていた。柔らかそうで、甘く歯を立ててみたいと思ったら、止まらなくなった。
 宗一はいつもと同じように小説を手にしていた。それでも、顔を上げるのはいつもより早かった。いや、俊介がそう感じただけかもしれない。大きな瞳で俊介を数秒見詰めて、それから二度、目を瞬かせた。
 睫毛が長いなと、俊介は思った。
『好きって?』
 問いかけも静かだった。切り離された、まるで別の空間にいるように外界の音が聞こえない。
 俊介は耐えられず、がしがしと頭をかいた。
『聞き返されると良くわかんねえな。あー……触りたいとか、そんなん』
 触りたいとは思った。けれど触ろうとは、思わなかった。――怖かった。
 それでも、見つめられるままに口を開く。
『どうよ』
 宗一はかすかに首を傾げた。どうって、何が。そんなふうに。
 けれど俊介にも分からない。何を訊ねたかったのだろう。どう問いかけたって、きっと宗一は自分を拒絶しないだろうとどこかで分かっていた。
(いや、)
 拒絶しないことは、受け入れてくれることとは同義語ではない。宗一は拒絶しないだろうけれど、受け入れもしないだろう。問いかけに応えはなかった。宗一は何かしらの答えを探るように俊介の瞳を覗きこみ、それからゆっくりと首を振り、瞼を下ろした。――拒絶ではない、けれど明らかに、宗一は俊介との間に何かひとつの壁のようなものを作り上げた。
(たとえ触れても)
 手を繋いでも指を絡めても、キスをしても繋がり合っても、どろどろに溶けあって細胞さえ混じり合うくらいになったって、変わらないと俊介は思う。宗一は、宗一の世界を持っていて、そのなかには誰も入り込めない。
 どうして。
 どうしてこんなに惹かれるのだろう。どうしてこんなに恐れるのだろう。
 それが恋愛だからと、俊介は考えたくなかった。
 けれどどうしようもないくらい、宗一に囚われている自分を俊介は分かっている。
 触れたいのに触れられないのは、今まで積み重ねてきたものを崩すのが怖いからだ。どうしたって、得るものよりも失うものを考えてしまう。
 手を伸ばし、指の先を見つめた。今はもう、俊介は宗一に触れられない。これまでしてきた何気ないしぐさがぎこちなくなってしまうから。そうして距離が開いていく。それでもまだ、この視覚も聴覚も彼に囚われている。
(分かってたのに)
 分かってたのになあ。俊介は拳を握る。
「俊介?」
 呼びかけられて、はっとする。俊介は思わずベッドの上に正座するように起き上がった。宗一がぼんやりとベッドに頬杖をついている。
「なに?」
「いや、ぼーっとしてるから。寝てるのかと思った」
「寝そうではあったけど」
「そう」
 宗一の手に小説本がない。あれ? と俊介は部屋を見回し、それがテーブルの上に放られていることに気づいた。読み終わってしまったのだろう。
「今って何時?」
「六時」
 そういえばもう薄暗い。俊介はそっか、と呟いてあくびをひとつ噛み殺した。
「飯、外行く?」
「行こう」
 宗一はそそくさと立ち上がり、財布などを鞄から引っぱり出している。表情こそ変わらないけれど、実は空腹だったのだろうとそこで俊介にも知れた。
 あ、好きだなと思うのはこういった一瞬だ。何か特別なことではないのだけれど、ふとした折に見られる宗一の無防備さが、俊介は好きだった。
(好きで、それで?)
 その後、どうしたらいいのだろう。俊介は途方に暮れる。相手が、受け入れてくれるのならまだ分かる気がするけれど――そうでなかったら?
(諦める、とか)
 何もそもそも、求めていないけれど。
 俊介は宗一の背中を眺めた。きっと今、自分は苦しいのだと思う。分からない。ただ息が詰まる。すぐ近くにあるはずの背中がひどく遠く、ぼやけて感じられた。
 宗一の世界に、俊介はいつまでたっても入り込めない。
 そのことだけを、俊介は苦く噛みしめた。


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2009.04.13

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