背後にあるもの

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 そうかな、と言うだけだった。
 それでもふと、何かが触れた。



   背後にあるもの



 目の前で繰り返される主張に、俊介はいい加減うんざりしてきていた。少しわざとらしく溜息を吐き、首を回す。それでも目の前にいる同級生は、気付かないようだった。
「だってあいつ何考えてるか分かんねーじゃん」
 学食特有の騒音が、ありがたいと思ったのは初めてかも知れない。俊介は手のなかの缶コーヒーをちらりと見降ろした。先程販売機で買ったばかりだったが、すっかり温くなってしまっている。あまり口にする気にはなれなかった。
「あー、まー、そうか」
「だろー?」
 俊介がだるそうにであっても頷くのを、同級生は嬉しそうに眺めた。そうしてラーメンを啜る。
 珍しく二限が宗一と被らない授業だった。だから自然と、授業で一緒になった別の同級生と学食に来たのだが――すでに俊介は後悔していた。
 一緒に来たのは、比較的仲の良い同級生だ。入学式でメアドを交換し、オリエンテーションでは同じグループだった。試験前ともなればノート交換もするし、コンパではよく一緒になる。
 俊介には、そういった友達は少なくない。容姿も愛想も頭もそれなりにいいせいか、大学内では少しばかり目立つ存在でもある。そのおかげで受けた恩恵も少なからずあるけれど、それが今は、酷く面倒くさかった。
「本ばっか読んでて、ぜんぜんこっち見ねーし」
「ああ、まあ、なあ」
 それは確かにな。続く友人の主張に俊介は頷く。
「俺とか淳が話しかけても無視だよ、無視」
 そんなつもりは、本人にはないだろうと俊介は思ったが、言わない。苦く笑みを浮かべ、缶を強く握る。
 先程から友人が愚痴っているのは、宗一のことだ。宗一の人付き合いは酷く限局されており、その一握りの中に俊介は入る。だからこそ、友人は自分に対してその不満を口にしているのだろう。
(無理に構わなければいいのに)
 目が大きくて童顔のせいだろうか、宗一は一見すると人懐っこそうに見える。しかし、見えるだけだ。実際には、あまり人を寄せ付けない。そして反応速度が遅いので、話しかけた相手が無視をされたと時折思いこんでしまうこともある。この友人のように。
 人見知りするタイプなのかと俊介も最初は思っていたのだが、そうではなく、単純に周りに興味がない。と今では俊介も知っている。流行しているドラマ、映画、音楽。大学のどこの学部にいる誰が美人か。可愛いか。飲み会に最適なチェーン店は。誰がどこでバイトをしているか。誰と誰が付き合い始めて、別れて、泥沼だとか妊娠騒動だとか。他愛ない噂話。そういったものは全て宗一には届かない、あるいは留まらない。するりとすり抜けて、まるで何も聞こえなかったような顔をする。
「文学部のさー、真中ちゃん、あの子が割と頑張ってたんだよねー。あいつ飲み会に誘うの。無理だったんだけど」
 真中ちゃん――それは誰だったか。俊介は記憶を探る。おそらく顔もメアドも知っているだろうし、一緒に飲んだりもしたのだろうが思い出せなかった。しかしそんなそぶりは見せずに「へえ」と相槌を打つ。
「宗一飲み会来ないだろ、いつも」
「そーだけど。だから『宗一君と話してみたくて』とかって誘ってた。あいつ何て言ったと思う?」
「『行かない』の一言」
「……よく分かんな」
 ちょっと驚いた顔をする同級生に、疲れを滲ませないよう笑顔を見せる。俊介は、こんなことでいちいち優越を感じる自分を心底馬鹿だと思う。けれど『真中ちゃん』とやらよりも宗一に近い自分に、俊介はほっとする。
(俺が)
 たった数ヶ月。それでも、朝も昼も夜も、馬鹿みたいに一緒にいた。今も一緒にいる。
(俺が一番、あいつのことを分かってる)
 ――少なくとも現状では。もしかしたら、いやうぬぼれるなら、家族以上に。
 友人は箸を置いた。湯呑みに注いだ茶を啜り、「大体」と口を開く。
「お前さあ、あいつと一緒にいて何話すの、話すことあんの。話題あわなそーだけど」
「あー……」
(話題)
 あったかな。俊介は腕を組んで、天井を眺めた。友人の声が遠くなり、周りの雑音ばかりを耳が拾う。
(話題、ねえ)
 ないようなあるような。一緒にいたって、ふたりで会話することはあまりない。ただ一緒にいるだけだ。
 ――帰って、俊介が宗一のベッドを占領する。宗一は仕方なさそうな顔をしてソファに寄りかかる。
(それで事足りるから)
 あの部屋の空気をなんと表現するのか、俊介には分からない。そしてそれを、誰かに伝えたいとも。
 俊介はコーヒーを一気に煽った。俊介は自負している。自分が、宗一の特別な存在であることを。あの誰にも興味を持たない宗一が、話しかける自分を。
 ――でも、それでも、宗一の世界には入れない。
(不毛だ)
 馬鹿だ。俊介は自嘲する。どんなに近くても、自分だって『真中ちゃん』とやらと立ち位置は同じだ。線引きされ、隔たりを見せられる。これ以上は、不可侵ですよ、と。
「なんつーか。理解、できないよなあ」
 ごちそーさん。と、手を合わせる友人を、知らず俊介は凝視した。どうした? と友人が目を瞬かせている。
「何? 俺何か変なこと言った?」
「あ、いや。何でもない」
 俊介はぎこちなく首を振り、空になった空き缶を手に立ち上がる。
(理解できない?)
 そうだろうか。あの世界を知りうることは、もちろん俊介にもできないけれど。
(理解、できない?)
 でも、分かる。宗一は自分の世界を大事にしている。自分の世界だけを。だから、周りに触れることも、触れさせることも、しない。それを、分かる。
 俊介も、同じだ。俊介は誰彼構わず友人を作るし、共通の話題もある。流行を追いかけもする。けれど、宗一と同じだ。興味はない。
(触れて、触れられて、それで――嫌悪する)
 ある意味きっと、無関心より余程たちが悪い。友人を作っても、その中に本当に友情を覚える者はどれほどだろうか。ゼロに等しいのではないだろうか。ただそういう――一男子大学生としての体裁を、整えている。
(何のために?)
 その方が、楽だからだ。宗一のように、びくびくと手を伸ばされたりするよりも、最初から触れやすいものとしてしまえば、誰もそこに特別な何かを感じたりしない。
「俊介?」
 友人が、不思議そうな顔をしてる。取り繕うことを、俊介は忘れて彼を見つめ返す。
 ――だから惹かれるのか?
(違う)
 俊介は首を振った。違う。違う、そうではない。
 惹かれた理由を、今も、俊介は分かっていない。それでもこれは答えではない。――ただ、触れた。
「何でもない」
 理解できないとは思いたくないのだ。理解できるとも思っていないけれど。そう考えると、何かが、心の奥底を掠めた。
(だから好きなのか?)
 あの世界に、自分は存在しているのだろうか。ふと、俊介はそんなことを考えた。


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2009.08.19


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