サヨナラ主義

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 好きになっちゃったんだ。だからバイバイ。サヨナラね。



   サヨナラ主義



 大塚さんは、好きになったひととは付き合わないらしい。真鍋がそう知ったのは今さっきだ。
 たまには宅呑みもいいよな、なんて言って大塚さんは玄関先でビニール袋を掲げた。約束も連絡もなかったので、真鍋は驚いた。上下スウェットのままだったから、着替えたほうがいいんだろうかなんて考えていたらそれも見透かされて笑われた。男同士なんだから、変なとこ気にすんなよ。大塚さんは言った。
 別にこれが同級生だったり、部活仲間だったりしたら、真鍋も気にしない。
 けれど大塚さんだ。
 大塚さんは、真鍋の五つ上だ。バイト先の先輩から紹介された。時折ふらりとバイト先に現れては、真鍋とその先輩を食事に誘い、奢ってくれる。終電が過ぎてしまえば、タクシーで送ってくれるという贅沢ぶりだ。
 大塚さんが何者なのか、真鍋は知らない。先輩も、実のところ知らないらしかった。ただ知る必要はないだろうとだけ、真鍋に告げた。それがおそらく牽制であるということは、真鍋にも知れた。それでも真鍋は知りたかった。
 いつもぴしりとしたスーツ、無造作に整えられた髪、ふわりと漂う煙草のにおい。真鍋から見た大塚さんは、格好いい男の人。なのだった。
「好きな人に好きになってもらったら、嬉しいもんなんじゃないですか?」
 低い卓袱台に、ぺちゃんこの座布団。そんなものさえも、大塚さんが使っていると格好よく見えるのだから、不思議だ。真鍋は缶ビールを煽った。
「好きになっちゃったらおしまいなんだよ」
「? よくわかんないです」
「終りが来ちゃうだろ、いつか」
 大塚さんの言い方はあまりに断定的で、そうかな、なんて真鍋は首を傾げる。
「それで恋人同士の終わりなんてものは、大抵美しくない。相手のことが好きだった大切にしたかったことをすべて忘れて、――あるいは置き去りにして、別れは泥沼試合だ。だったら綺麗なまま、何もなしに別れてしまいたいと思う」
「大塚さんの場合、別れは絶対なんですか」
「絶対なんてものは存在しない。ゆえに永遠も存在しない」
 はぐらかすように大塚さんは笑い、畳に手を付いた。「真鍋はどう思う」
「よくわかんないです」
 頭の悪そうな発言をしていると、真鍋は顔を俯けた。
 よく分からないのは、本当だ。好きになった相手には、好きになってほしいと願うし、一緒にいたいと思う。簡単なことだ。別れなんて、そのときになるまで考えたりしない。別れることに、絶対なんてないから。そう言うと、大塚さんは笑った。
「いいな、真鍋は」
「馬鹿にしてます?」
「してないよ。羨ましいと言っているんだ」
 うっとりと大塚さんは目を閉じる。
 羨ましい? 何が。真鍋は目を瞬かせた。大塚さんが羨む何かを、自分が持っているとは到底思えなかった。
「――好きになったらさ」
 大塚さんはふっと目を開けて微笑んだ。その微笑み方があまりに綺麗で柔らかく、真鍋は息を詰めた。
「好きになったら、俺はいろいろ相手に求めてしまうんだ。それが嫌なんだ」
「相手が許してくれても?」
「自分が許せないから」
 あ、このひともしかして、今し方失恋してきたのかな。真鍋は気が付いた。美しい微笑みのなかに、雨のような気配がある。新緑が芽吹く頃に感じるような気配。
 慰めたいような、ほうっておきたいような。真鍋はむずむずとしながら、新しい缶のプルトップを引いた。
「案外不器用なんですね」
「よく言われる」
 好きになったらサヨナラなんて、好きになったほうもなられたほうもたまらないんじゃないだろうか。真鍋は肩を竦める。もしかしたら、大塚さんが好きかも知れない自分が可哀想になってくる。
「なあ、真鍋」
「何ですか」
「お前、俺と付き合ってみる?」
 真鍋は一瞬ぽかんと惚けた顔をして見せてから、「俺、男ですけど」と応えた。まあ真鍋だって男である大塚さんが妙に格好よく見えるのだからお互いさまなのだが。
「知ってるよ。俺、あんまり気にしないから」
「気にしないって、何がですか」
「年齢性別国籍その他もろもろ」
「年齢は気にしたほうがいいんじゃないですかね」
 大塚さんは普通に子供を誑かしそうだ。真顔で諭すと、大塚さんは神妙に頷いた。「冗談だ」
「あ、そうですか……まあ、どのみち、お断りします」
「どうして」
 どうしてなんてどの口が言うのか。真鍋は缶ビールをぐいぐいと煽った。「たとえば大塚さんと付き合ってですね」
「好きになられたら振られるんでしょう? その時俺が大塚さんを好きだったとしたら、やってられないと思うんですよ」
「そういうもんかね」
「振る側は分かんないんです、きっと」
「そういうもんかね」
 そういうもんですよ、真鍋は言う。大塚さんが、真鍋を好きになることがあるだろうかと考えると、ちょっと途方に暮れるけれど。大塚さんいわく、絶対なんてないそうなので分からない。
 だからこれでいいと真鍋は思う。たまにご飯を食べるくらい。たまにお酒を飲むくらい。
 ちょっと好きかも知れないと思うくらい。
 そう思いながら大塚さんを窺うと視線が合う。大塚さんは、ビールを飲みながら、そんなもんかもなと微かに笑った。


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2009.03.20


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