「ねぇ、ファラにお願いがあるんだけどさぁ」 私とキスをするため爪先立ちになってた王子は、背伸びしていた踵を下ろすと、 離したばかりの唇でおねだりしてきた。 「ダメです」 私も口付け合う為に屈めていた背筋を伸ばし、頭ひとつ分小さい王子の顔をのぞき込みながら却下する。 「ボクまだ何もゆってないけどっ?!」 「お断りします、嫌です、やりたくありません」 何を企んでるかは知らないが、王子がこんなキラキラした瞳でお願いごとをしてくるときは 大抵ロクなもんじゃない……ただでさえこのちんちくりんに主導権を握られてるんだ、 これ以上つけあがらせてたまるか。 「そう言わないでよー、聞くだけタダじゃないかよー」 「タダより高い物はないと言うことわざもあります」 「……そんなぁ、僕……こんな事、ファラにしかお願い出来ないから頼ってるのに……ぐすっ」 泣き出しやがったよ、こんちくしょうめ。男の子がこの程度のことで、目の端に涙を浮かべるなっ!  いやわかってる、わかってる。王子の場合、半分は嘘泣きだ……だが泣く子と地頭にはかなわない。 「もぉっ……聞くだけですからね!」 わたしも甘いなと思うが、二人きりになれる時間は貴重なのだ、こうして揉めてる時間さえももったいない。 「ホントにっ?!」 さっきまで泣いてたカラスがもう笑いやがった。 王子はえへへと、脳天気な笑みを浮かべ、袖で浮かんだ涙をぐしぐしと拭き取ったかと思うと、 「ファラだいすきーっ」とわんこのように抱きついてきた。 ……ああもう、私ってばこの可愛さに騙されちゃうんだ。いっつも! 「とにかく時間もありません。要件があるなら早くおっしゃってください」 「うん、あのね……」 言いたいことは何でもハッキリ言う王子にしては珍しく口ごもっていたのだが、やがて……   「うん、あのね、ファラのオナニー見せて欲しいんだけど」   右でぶん殴った。 左でぶん殴った。 愛槍を王子の襟元にぶっ刺して、そこらの樹の幹に磔にした。   「痛っ?! 痛いよファラっ!! 苦しいよファラっ!!」 ちゅうぶらりんになりながら、声変わり前のきぃきぃ声でわめきたてる。 「自業自得です! いきなり何言い出すんですか!!」 「それに手甲ついた手で殴らないでよっ?! 顔にあと残っちゃうよ?! 君がDV嫁だってバレちゃうよ?!」 「誰がDV嫁ですか!?」 「違うの? だって君、僕の恋人だろう」 しかし王子ってば、無礼を責めたら真顔でそんな事を言い出した。 「……それは、違いませんけど。嫁だなんて」 うー、わたしも未熟だ。恥ずかしい……そしてちょっとだけ嬉しい。 「そのうちそうしてみせるよ。僕が縦方向にもう少し大きくなったらね」 ああもう、子供のくせに口だけは上手いんだからっ! 「王子、ちょっと黙っててください……」 「いい……いふぁっ?! ふぁ、ふぁら、い、いひゃいよっ!?」 このままだと、何でも言うことを聞いてしまいそうだったので、 照れ隠しに王子のほっぺたを左右にみょーんと引っ張って口をつぐませた。                   ♂♀   私たちの関係は、彼が主君でわたしが家来。見ての通りの間柄だ。 ひねりのない話で恐縮だが、ここらに乱立する小王国の多くがそうであるように、 “王位を継承せんと欲するならば、武勇をもって証だてよ”との伝統と格式に従って、 王子はアーモロードの攻略という試練にいどみ、わたしはそれに付き従っている。 そしてまたもやひねりのない話で申し訳ないが、樹海を旅する私たちによくある苦難が迫ったのだ。   “アリアドネ糸の買い忘れ”という、ごくごくありふれて、そして致命的な苦難。   いつものように樹海を歩き、いつものように魔物を撃退し、いつものように地図を書き、 「じゃ、疲れたしそろそろ帰ろっか♪」と、いつものように王子が帰還の指示を出し ……続くわたしの言葉がいつもと違った。 「糸が……ありません」と。 “アリアドネの糸”を含む消耗品の買出しは、わたしの役目であったのに。 そして思い出す。 前回の探索の帰還時に“商会より先に酒場に行かないとクエスト品を間違えて売ってしまうかもしれない”と、 蝶亭へと顔を出し……そのまま宴会になだれ込んだ仲間を諌めようと試みるうちに、 何時の間にやら本来抑え役であるべきわたしまでもが、アルコールを口にしていたのだ。 酔って潰されて目がさめてみれば次の昼。採取用バックパックは空になってたから、酔った頭で ネイピアの所へ足を運んで戦利品を換金していたようであった。メディカやアムリタも必要量を 購入していたから“おお、さすがはわたし。酔っていても変なところで生真面目だ”と、 我ながら感心したものだが……肝心要を忘れていては馬鹿丸出しだ。   もちろんその場の全員が青ざめたが、誰もわたしを責めるような真似はしなかった。 自責の念に耐えかねて、わたしがごめんなさいを連呼していると「阿呆! 文句は地上に帰ってからだ堅物女!」と、 怒鳴りつけたヲリ夫の声で――魔物共がやってきて、回復アイテムをほぼ消費しつくしていた我々は大打撃を負った。 ヲリ夫の阿呆。いや、もちろんわたしが一番悪いんだが。 そこからはまさに苦難の連続だった。 ひとり、またひとりと魔物の爪や牙で仲間は倒れていき、どうにか野営地まで逃げ込んだときには まともに意識を持って歩けるのは、王子とわたしの二人だけという有様となっていた。 とりあえずここまで担いできた半死人3人を茂みや岩陰に隠した所で、王子の緊張の糸が切れて泣き出して、 ……つられてわたしも泣き出した。ああ、情けない。 そのまま二人ともゆっくりと絶望に押しつぶされそうになっていった。恐怖をごまかすためだろうか、 互いに寄り添い、半ば抱きしめ合っていたのだが、そのうち王子がこんな事を言い出した。 「女も知らないで死ぬなんて嫌だ」と。 意味が分からないほど小娘でも無かったが、どきんとした。 いつもだったらこの手のセクハラ発言は、たとえ主であろうとも頬をひっぱたいてやるのだが、 わたしの平手は飛ばなかった――王子の目は真剣そのものだったから。 それにわたしも言われて気づいてしまったのだ。 「わたしも……男も知らずに死ぬなんて嫌です」 ええ、そうですとも。ハタチをとっくにぶっちぎってるのに処女でしたとも。 妥協といえば妥協だし、ましてや8つも年下な主君筋の少年に手を出すなんて、 堅物と生真面目がウリな普段のわたしだったら絶体にありえない話だったろう。 ……けど一度自覚してしまった“せめて死ぬ前に”という想いと誘惑は、逆らえぬほど強烈だった。 「え……じゃぁじゃぁ、ファラ……ボクと」 「うるさいです、王子……ちょっと黙って」 経験の無さという意味では王子とドッコイだったが、照れ隠しもあって気づけばわたしから王子にくちづけていた。 「初めてって割に……ずいぶん積極的だね、ファラ」 「いやまぁ……一応わたしがずっと年上なんだしリードしなきゃなぁ、と。 一応言っておきますけど、わたしも流石にこの歳だし、キスの経験ぐらいはあるんですよ?」 もっともファランクス養成所での女子寮で“お姉さま”と、慕ってくる同室の女子が相手だったことは秘密だ。 「いいって、そんなの。今ぐらいはかわいいトコ見せてよ」 「……王子の分際で生意気です」 そして、二人ともどうかしてたんだと思う。そのあと互いに重装鎧を脱がせあった。 コレのおかげで首の皮一枚で命を繋いだ、プリンスとファランクスの重装鎧を、樹海のど真ん中で、だ。 もちろん素っ裸になったりはしなかったが、それでも肌の露出はグッと増し、 王子の視線に晒されたわたしの皮膚が熱を持つのを感じた。 「うん、ファラ、きれいだよ」 陳腐なセリフだったが、とても嬉しかった。 「王子こそ、女の子みたいでとっても可愛いですよ」 「ボクがそれ気にしてるって知ってるよね?! ボクがそれ気にしてるって知ってるよね?!」 大事なことらしくニ回言われてしまったが