「ふふ」  言った。言ったっ。言ったっ! 「〜〜〜〜〜っ」  今のわたしは絶対ヘン。  だって、顔を枕に押し付けて脛でベッドをバタバタと叩いている姿なんて、人には見せられないような事をしているから。  そんなのでも、体力が無いからすぐに息切れしちゃって、仰向けに転がって薄暗い天井を見上げた。 「……♪」  あの後ご飯食べてる時も、寝る前にお話をしてる時も、今こうしていても心臓のドキドキが止まらない。 「えへへ……あは」  にーさんへ告白したことを思い出しては口元が緩んで笑うと幻のにーさんが柔らかく笑い返してくれて、 「やーだーもうっ!」  先の事を考えればゴロゴロとシーツをくしゃくしゃにしながら転げまわっちゃう。  初めて好きになった"人"に『好き』と言ったんだからコレくらいは仕方ないよね? うんうん、仕方ない仕方ない……! 「んふ〜、て、え、わわっ」  勢い余ってお尻から床へと落ちたわたし。  あいたた……と、声を上げて打った所を擦っていると、どこかがおかしかった頭の中が少しずつ冷えていく。 「むぅ」  わたし自身がこうして盛り上がってもにーさんからの答えはもうちょっと後で、「ロジェさんの結婚式の後くらい」とは言ったのだけれどどうくるのかは全く分からない。  断られるだけならまだいい。もし、避けられるようなるのはもっと嫌だ。  そんな不安ばかりが募って、きゅっと心臓が締められるような感覚に襲われる。 「にぃ、さん」  こういう時、となりに居て欲しいと思う。  そうすればこんな思いをせずに済むし、好きなだけ甘えられる。わたしにとってはいいことずくめだ。  でも、今はダメ。……まだ答えを貰ってないから。 「あ、やだっ」  不安な事を考え込んでいるうちに一粒、冷たいのが落ちる感触がして慌てて袖で拭う。  こんな事で泣いていたら、もしもふられた時に泣きじゃくってにーさんを困らせてしまう。……そんな展開がわたしにとって一番イヤだ。 「っ」  だから我慢我慢と念じてはみるのだけれど、どうしても"ふられる"という恐ろしさと、『もう一つの理由』で体が竦んで声も出せないし、胸の辺りが泣きそうなくらいすごく痛い。  その『もう一つの理由』というのはもし、わたしが"振られなかった"としてもねーさんからりょーにーさんを取っちゃうという事。  あのちょっと不器用なねーさんがにーさんにだけふわふわ笑うのを見ていればわかる。……多分、今のわたしと同じ気持ちだと思う。  そこに割って入ってあまつさえ、それを持っていく……本当ならそんな事したくない。  でも止められない。  無理矢理に気持ちを伝えて強引にキスしてから、にーさんの事になるとそうなってしまう。 「うぅ」  まるで自分がとてもズルイ子になったみたい……"みたい"じゃなくホントにズルイ子で凄く嫌な感じ。  だから、早く。早くして。  わたしが"わたし"を嫌いにならない内に言って。  待つのは……つらいよ、にーさん。                      §     §     1     §     §        「ねーさん、ねーさんっ」  食後の紅茶なりコーヒーなりを各々で飲み、のんびりとしているといきなりロレッタが急かす様な口調でご主人様へそう声を掛ける。  ……しかし、あんなことがあったのにロレッタの態度は変わらない。まるで昨夜の事が夢であったみたいにだ。 「もう、家出る時間じゃないの?」 「んー?」  いつもの青っぽいアオザイ風の服装のご主人様から目線だけで時間を聞かれ、カップを片付けながら懐中時計を覗き込むと、確かにもう家を出なくてはいけない時間の一歩手前という所に長針が指している。  いつもならごたごたしながら「いってきまーす」なんて言っている筈なのだけれど、時間を伝えてもご主人様は「ありがと」と短くお礼を言ってのんびりと残り少ないコーヒーを飲み干してカップをソーサーへと下ろす。 「ちょっとリゼットが貴女に用事があるの。それが終わったら仕事に行くつもりよ」 「わたしに用事?」  まるで心当たりがないようで、ロレッタは首を捻って疑問の表情を浮かべるが、結局思いつかなかったのか、 「その用事の中身、ねーさんは聞いてる?」 「それが話してくれなくて、全然知らないの」 「そっかー」  なにかなー? とどこか楽しげに壁越しに玄関の方に視線を向けるロレッタだが、リゼットさん絡みというのが俺には不安に思えてならない。  あの人には色々助けてもらったりしてとても好印象を持っているのだけど、如何せん何か騒動を起こさなきゃいけないのかと思うほどのトラブルメーカーだし、発作的に人の背中に抱きついてくるのが玉にキズな人だ。  何も起こらないのが一番いいのだが、もしもの時はロレッタには悪いけれど盾になってもらうしかない……!  改めて後ろ向きな決意をしたところで、タイミングよくチャイムが鳴ってリゼットさんの声が届く。 「ごめんね、遅くなっちゃって」  出迎えの為に、玄関の方へ3人で出てみるとパンパンに膨らんだボストンバックに一つを床に置いて息を切らしているリゼットさんの姿があって、びっくり。慌てたように走り出したご主人様に若干遅れつつも俺もその後を追う。 「ちょっと、大丈夫?! 」  何だかんだでいつも余裕のある雰囲気のリゼットさんだが、今回ばかりは声を掛けられでも息を切らしたままで対応できていない。  これは飲み物でも持ってきた方がいいかな? 「お水、持ってきたよっ」  背後からとたとたと軽い足音を立ててロレッタが小走りでこちらへ駆け寄り、息も絶え絶えなリゼットさんへいつの間に用意していたのか水の入ったコップを差し出される。  そして、今にも死にそうな声でありがとうと言って両手で受け取り、ゴクゴクをすぐに飲み干してしまう。 「はぁー! 生き返ったぁ!」  その本人の言葉通り、生気に満ち溢れたいい笑顔でとりあえずは安心。  脇を見ればご主人様やロレッタは"何をやってるんだか"と少し呆れ気味に苦笑いをしていたけれど、これはこれで胸を撫で下ろしているのだろう。 「あははー、ごめんね。心配掛けちゃって」 「それはどうでもいいけど、何この荷物?」 「明日に備えての秘密兵器」  ……なんだそりゃ?  多分、俺達3人の考えはそれで一致していたと思う。 「ま、とりあえずはそれをロレッタの部屋の前まで運んでくれる?」 「はぁ」  リゼットさんがあれだけ息を切らせていたのだから、さぞかし重いのだろうと想像して根性据えて掴みあげたものの、あまりの軽さに思わず2、3歩よろめいてしまう。  そうして、若干の間を置いてバランスを取り、改めてバックの重さを確認してみると、確かにそれなりに重量はあるものの、バックのサイズの割りには少ないくらい。  持った感触から言えば、多分中身は布の塊――というか服だと想像してみると大体重量的には一致する。  が、リゼットさんがこの程度の荷物であれほど息を切らすのだろうか? 「いやー、久しぶりに全力疾走したわー。たまに体を動かさないとダメよねー」  ……あぁなるほど。  晴れやかな表情で、参った参ったなどと笑うこの人を見ていると、だんだんこの人だから仕方ないなどと思わせる辺り、人徳の一種なのかもしれないが。 「なんでまた、全力疾走なんかしてるのよ……」 「だって、今日最大の楽しみは"ロレッタが明日着るドレスの衣装合わせ"をするなのよ?」 「!」  刹那、ニコニコと機嫌良さそうに見えたロレッタの表情が凍りつき、どこにそんな瞬発力があったのか分からないくらい素早い動きで逃げ出そうとして――それを読んでいたのか、リゼットさんが背後から抱きついての"捕獲"。  体格も力も格段に劣る彼女では、当たり前だがそこから逃げ出せるはずもない。というか、俺やご主人様の似たような魔手で捕まえられた事があるが、その結果は当たり前だが脱出不可能なのにできる筈が無い。 「なぁに、逃げ出そうとしてるのかにゃー?」 「え、えっとねー」  助けを求める視線が俺とご主人様へと向けられている感覚はするものの、絶対無理。  薄情ながら沈黙を決めていた俺の横から予想外の声が上がる。 「リゼット、ロレッタだって子供じゃないんだから自分の着る物くらい自分で決められるんだから、無理矢理はダメじゃないの?」  ご主人様の正論っぽい道理が、一瞬リゼットさんの怯ませたのかぽかんをした表情になり、 「ロジェの結婚式ってイベントがせっかくあるのに、このタイミングを逃したらあたしはいつロレッタを着飾ったらいいの?!」 「しらないわよっ?!」  だめだこの人。  思いっきり手段と目的が逆転しているようだった。 「あーもう、しょうがないなぁ」  しばらくヒートアップしたリゼットさんを消化すべくご主人様が突っ込み続け、ようやく鎮火まで追い込めたらしく、ロレッタが解放され、自由の身になった途端に若干の距離をとっていつでも逃げられる体勢をとられるのは自業自得としか言いようが無い。 「アタシは商人なのよ、ロレッタ」 「……?」  あまりに唐突なその言葉に俺たちは一斉に耳を傾ける。いや、傾けざる得なかった。 「イメージ的には物を売り買いして利益を得るって感じだろうけどそんなのやってたらすぐに破産しちゃう……だから、色々知恵を絞るの」 「そ、それは分かるけど」 「よしよし……んで、効率的にお金を稼ぐにはこの時期はコレが売れる。アレが安い。だったらソレも一緒にしたらもっと売れるんじゃないか? 値崩れしそうだからさっさと在庫を放出していこう……って風にね」  一房だけ紐で結わえてある髪の毛に触れたリゼットさんは少し自嘲的な笑みを一瞬だけ浮かべ、すぐに誰でも安心しそうな笑顔に変えて、ロレッタの肩へ手に置く。 「その根底にあるのはね、"あの人には今これが必要なんだ"って分かっている事が大事なのよ」  需要と供給……というやつなのだろうか。 「そういう事をするのは別に商人だけではないわ。一流の料理人は客の顔色をみて体調を考えてレシピを一部変える事は良くあることだし、お茶葉のブレンドも似たようなものよ」  料理をよくするロレッタにとっては、なんとかレシピ通りに作るのがやっとの俺にはわからない例えも、納得できる部分があるのか感心したような表情に対し、合わせた様にリゼットさんは右手の人差し指をピンと伸ばし、 「そして、アタシはあなたに今、自信が必要だと思うの」 「自信……?」 「そう――どんな壁だって超えてみせるって自信」 「っ」  その言葉にロレッタは息を詰まらせて1歩2歩とよろめき、「危ない」と感じた瞬間に彼女はなんとかギリギリの所で踏みとどまるが表情は可哀相なほど強張ったまま。  もし、指先で押せるのならそのまま倒れそうな感じがしてならない。  「ねえ、ロレッタ」  そんな俺の考えをよそに、リゼットさんは胡散臭さと人の良さを絶妙のバランスでブレンドした魅力的な笑顔で腰を下ろして、目線を合わせてそう声を掛けて、 「アタシの口車に乗ってみない?」  少し。  ほんの少しだが、ドキリとした。  悪徳商法とやらには引っかからないと思ってた筈なのに、一応この場には関係のないはずに、リゼットさんは比較的苦手なはずなのに……結構、心が動いた。  詐欺に引っかかる心境ってのはこういうものなのだろうかと思えてくると、なんとなく居心地が悪くなる。 「わ、わたし……」  時計を見た訳ではないから正確なことは分からないが、大体5分ほど経ってようやく聞こえたロレッタのか細い声。  始めは脆く弱い声色だったのが、 「の、乗る――その口車に、乗るっ」  ……一度言い切ると堰を切ったように何時も以上に力強いものへと変わった。  こんな風に怖がって、震えて、怯えていても何が何でも進もうという意思がロレッタのいい所なのだろう。  俺では、「すみません、今回は……」などと理由をつけて断る所だ。 「はい、契約成立!」  満面の笑みなどという言葉さえ生ぬるいほど輝かしい笑顔でリゼットさんが宣言し、普段の大人の女性という雰囲気をかなぐり捨てて、まるで夕食が大好物と知らされた子供のように喜んでいる姿はギャップが激しすぎて苦笑いしか出てこない。 「んじゃ、時間も押してるからさっさとやったほういいんじゃないの?」 「そうだったわね! つい契約成立の時点で満足してしまったわ!」  本当に。  本当に大丈夫なのだろうか、この人。  そんなこんなで、リゼットさんとロレッタは2階の一室(どうやら、衣装部屋というのがあるらしい)へ。  ご主人様は、ある程度出来上がってから別視点の意見を訊きたいからということでしばらく出番待ちになってしまった。  ただ、俺の場合はちょっと事情が違う。 「まあ、あの子の意思だから私達がなんだかんだ言えないしねー。リゼットも未完成品は見せないタイプの性格だし」  午後のおやつにするつもりだったマカロンを幸せそうに食べながら、ご主人様はどこか言い訳めいた事を口にする。  その理由は、単純明快。  今回の衣装合わせに俺は参加できない、ということだ。  恥ずかしがり屋のロレッタとどうせ見せるなら完成品……というか万全な状態にしたいリゼットさんの思惑が一致し、こうした事態になったのだがちょっとした疎外感が胸の中をぐるぐる回る 「それは分かりますけど、今日見せるのも明日見せるのもあんまり差がないんじゃ?」 「いや、そうでもないらしいよ?」  微妙な寂しさからでた素朴な疑問に一口だけ紅茶に口を付け、言葉を続ける。 「なんか『すごい秘密兵器』があるらしくて、それが明日の早朝に届くらしいのよ」  うわぁ、すごい不安。  どのくらい不安かというとノビ○くんに守備をさせるジャイ○ンの発想くらい不安だ。 「まさか当日に衣装合わせはマズイって事で今日にしたんだろうけど、……何時も通りに急ねぇ、ホント」  しみじみと言った口調でかなり早いティータイムを満喫しているしているあたり、ラッキーと思っているのかもしれない。 「む……」  そこでようやく、自分で用意した紅茶に口を付けてあんまりおいしくない事に気づかされる。  昨日はそこそこよくできたとは思ったのがだ、今日はダメ。点数にしてみれば100点中50点と言った所で、正直、今すぐご主人様に頭を下げて淹れなおして来たい所だ。……というか、今すぐそうするべきだよな。 「すみません、ご主人様。紅茶入れなおしてきます」 「え〜、まだ入ってるのに?」  中身がまだ3分の2も残っているのだから、もったいないよという抗議はその通りといえばその通りなのだが、自分だけが飲むならば我慢すればいいがご主人様の口に入るのだから、少しでも良くしたいと思うのは思い上がりなのだろうか? 「確かに、味単体でみればおいしくはないわね」 「それなら……」 「でもね、りょー」  そう言ってから、"おいしくない"紅茶を口に含むご主人様だがその表情は"おいしい"といわんばかりの笑顔で、その落差に何を考えているの分からず、少なからず戸惑う。 「自分で淹れて、自分ひとりだけで飲むなら捨てちゃうってのはアリだとは私も思うよ……けど、りょーが淹れてくれて、一緒に飲んでくれるならそれは勿体無いと思うな」 「……?」 「えっと、簡単に言えば、ね」  俺が理解できなかったのを表情から読んだのか、言い換えようとするご主人様だが少しだけ照れて恥ずかしがるような表情で一瞬躊躇したものの、またニコニコと気持ちのいい笑顔に戻って、 「――りょーと一緒になら、なんでもおいしいって事よ」  う。  まずい。  ご主人様が予想もしない剛速球のストレートを投げる人という事実をすっぽり頭から抜けていた。  あぁもう、たったこれだけの言葉なのに心臓が痛いほど脈打つのは何故だろう? 「あらら、赤くなってる?」 「な、なってませんから」  強烈な鼓動の影響で、首から上が熱くなってるのを自覚しつつ、見破られるのを分かっていながら虚勢を張るが、それだけではいつもと同じ。 「……そっちこそ、少し赤いんじゃないですか?」  それで少しだけ捻くれた口調での小さな反撃を加えてみる。  ただ、言えた内容は苦し紛れもいいところだったが。 「む」  嫌な所を突かれたのか、ご主人様の形のいい眉が眉間に寄って皺を作って不機嫌な表情に変わってしまう。  彼女がこんな表情をするのは滅多になくて、何かとんでもない物を踏んでしまったのかと頭の中が焦りでいっぱいになって、冷や汗として背中から溢れ出てくる。 「わ、私だってこういう事言うのにも勇気いるのよ? ……顔が赤くもなるわよっ」  滅多に見ない表情から、滅多に聞く事のない拗ねたような声色が聞こえてきてその落差にさっきの倍は汗が出た。  それだけならまだしも、一旦は焦りで収まった鼓動も壊れるんじゃないかと心配するほど脈を打ち始めて、謝りの台詞が出そうだった口はこの混乱で言葉を形作れずに金魚のようにパクパクとし続けている。 「……」  言うべき事、やるべき事は俺にもご主人様にもあるはずなのに何をする訳でもなく、お互いに俯きながらスローテンポで甘さ控えめのマカロンとマズイ紅茶を味わうという訳の分からない状況になってしまった。  これを一言で表せば、まさに"薮蛇"。……いや、ご主人様はネズミだからこの場合は"薮鼠"か。 「そ、そういえば、ロレッタが衣装合わせって聞いたら逃げ出そうとしたけれど……どうしてですか?」  ずっしりとした重量の空気を両肩に感じながら、何とか方向転換を図る。 「別に大したことじゃないと思うんだけど、うーん」  と、ご主人様はどうやら何かを悩む仕草で口を閉ざす。  『別に大したことじゃない』とは言ったものの、そうしてうんうんと唸りながら悩む姿をみていると実はとんでもない話が隠されているんじゃないかという邪推がムクムクと湧き上がってくる。  ただ、そんな俺でも一応はデリカシーはあるつもりなので、 「言いづらい事なら別に言わなくてもいいです……無理には訊きませんから」 「あ、いや本当に大した事じゃないんだけど――」  そこまで彼女は口にして、もし見えるなら頭上に電球が光る様子が出るように表情がぐんっと明るくなって、 「後で、私からの質問にしっかりと答えてくれるなら、言ってもいいよ」  そんなことを唐突に言い出した。  なんとなく嫌な予感はするものの、訊かれてそんなに後ろ暗い事はない。  もしかしたら、ヒトの世界のことなのかもしれないとアタリを付けて、「分かりました」と俺は答え、ウンウンと目の前の彼女は満足そうに頷いて、 「りょーは、自分にスカートが似合うと思う?」 「はい!?」  いきなり意味不明だ。 「俺は男ですよ? 似合う訳ありませんよっ」  民族衣装でそういうのがあるというのは知ってるには知ってるが、似合うかというのはまた別の話。  少なくとも俺はスカートを穿く=女装の似合うような人間ではない。 「私もそう思うよ、うん」  この人は何を言っているんだろうか。  言っていることが滅茶苦茶で意味が通らない。 「でも、3歳くらいのりょーだったら分からないよ〜?」 「……そんなに小さい頃でも似合わないものは似合いません」  俺は彼女に何を聞いたのか忘れてしまいそうになりながらも、謎掛けの答えを見つけようと慣れない考えを巡らせる。  今現在、スカートが似合わないというか、似合うわけがないのは俺とご主人様では同じ意見だ。  でも、小さい頃なら似合うんじゃないかと、意味不明な事を言っている。 「なんか、すんごく失礼な事を考えられてる気がする……」  そんな呟きを意図して無視し、レンガの家を建てるようにコツコツを答えを探して――なんとか思い当たる。 「ロレッタは、自分で、似合うと思ってない……?」  そうだ。  今の年齢で似合うはずがないというのは一致している。これは、俺から見た俺と、ご主人様からみた俺が一致しているからだ。  でも小さい頃ならどうだ。  自分の小さい頃なら写真で見た事あるが、お世辞にも無理がある。でも、彼女から見たガキの頃の俺は想像でしかないから一致するはずがない。  それはつまり、さっき口に出した事が答えになる――と、自信はないがそう思う。 「うん、正解ー」  パチパチを小さく拍手をして種晴らし。 「あの子って、ずっとベットの上だったからドレスとか着る機会が皆無だったのよ……だから、今ようやく着れるようになってからはそういうのにすごく臆病になっちゃったのよ」  なんとも悲しい話だ。  とはいえ、ちょっと前に"苦手が羨ましい"なんて言っていたがこうしてちゃんとあるじゃないかと心の中で苦笑い。  "なくて七癖あって四十八癖"とはフォームの基礎を教えてくれたコーチの言葉だが、まさにその通りだなぁと改めて言葉をかみ締める。 「そういう事情はリゼットも知ってるから、今回ので治そうって考えもあるんじゃないかなぁ」  ホントの目的を言わず、表向きはああやっていたのかと考えると色々失礼な事を考えていたので、自分が凄く恥ずかしくなる。  今すぐ行って土下座して謝り通したいくらいだ。 「……将来の生きたマネキン候補の確保も同時に考えてたとは思うけどね」 「そ、そうですか」  皮肉げにそう言って、遠くに視線を向けた姿を見るとこれ以上訊くのは危険と本能が警報を鳴らして、相槌もほどほどに「大変でしたね」と切り上げて、遂に来たのは例の約束だ。 「約束したんだから、しっかりと答えてよね?」  軽い語調ではあるが、その裏にかすかに透けて見える妙な重圧を感じつつも頷き、身構える 「昨日、ロレッタと何かあったの?」 「っ」 「――いえ、何があったの?」  表情に出ないようにするなんてのは無理だったようで、ご主人様の最初の質問で動揺してしまったのをきれいに見抜かれた。  毎度毎度の事ながら、この人の観察眼と勘は恐ろしい。 「ちゃんと答えてくれるって、言ってくれたじゃない」  薮をつついて何か出てきてそれをやり過ごしたらオシマイなどと考えちゃいけない。  もしかしたら薮のヌシが出てくるのだ、こういう風に。 「もしかして、私にはいえない事?」  大藪鼠――もとい大藪蛇だ。 「そ、そういうわけじゃないんですが……」 「じゃあ、言って頂戴?」  言う事自体は"相談"とかなんとか折り合いを付ければ、さほどハードルが高くは無い。  ただ、相談相手と相談内容の人物が姉妹という距離があまりにも近すぎる。経験上最低でもリゼットさんとロレッタの距離感くらいないと色々な意味で危ない。  その経験もあまり大した事ではないが、ねえさんに恋愛相談してきた親友がいたのだが、その内容が好きな異性に告白したい人がいるのだが、その人はどうやら別の人が好きなようで……まではよくある話。  しかし、そこからが問題でその三角関係の端の相手がねえさんだったというのが分かってからはその気も無いのに拗れに拗れた。  結局、互いの家に遊びに来る人だったが、今では目も合わせてくれない……と、珍しく弱気になっていたのを俺はよく覚えている。  それがそのままなる事はまず無い……と思いたい。  でも、何かの拍子でそうなったらすべては俺の責任で、その癖、それを取る手段が無いのだから無責任の極みだ。  今までの様に『どうにかなる』ではない。『どうにかする』しかない。 「ラヴィニアー、見てくれないー?」 「「……!」」  唐突に上の方から聞こえるリゼットさんの声。  それを聞いてご主人様は「今行くわー」と返事をして、俺へと寂しそうな顔で笑いかけて席を立って"時間切れ"と教えてくれる。 「最後に、ひとつだけ」  できれば見たくは無かった無理をした笑顔で彼女はそう言って、 「もしね、今言えないのなら言えるようになったら言ってよ――仲間外れはさびしいしね」  俺の返事は確認せず、すっ、と背中を見せて階段の方へと歩いていき、そのまま姿が見えなくなった。 「何、やってるんだろ」  最初に俺にここに居ていいと言ってくれたのは誰?  最初に俺に家族だと言ってくれたのは誰?  最初に――俺を拾ってくれたのは――。 「……!」  いつもなら、一度は振り返って「ちょっと行って来るね」とか言う筈のご主人様。  それが今はどうだ。 「ご、ごめん、なさい」  目の裏に焼きついた後姿が猛烈な罪悪感になって押しつぶされそうになって。  今、ここにいない人に謝る俺は――酷く、惨めだった。  中央通り。  わたしやにーさん、たまにねーさんが朝晩の食材を買いにくる通り。  ここで一番大きいだけにお店の数も多いけれど、それが夕暮れ前になると人の数もすっごく増える。  じぶんで言うのもなんだけど、ちっちゃいわたしはこの時間帯を避けて買い物をしないと人の波にもみくちゃにされて、家まで帰れるかさえ不安になっちゃう。  だけど、今日は―― 「ロレッタ、もう少し遅く歩いたほうがいい?」 「これくらいでちょうどいいよ」  そう、にーさんと手を繋いで来ている。  ヒトだからちょっとだけいるイヌやネコの人達には負けちゃうけど、大半のネズミよりは少しだけ大きいから一緒に居ればなんとか流されずに済む。 「〜♪」  にーさんの右手……背の差で右腕に抱きつくみたいにわたしは陣取って人ごみのなかを一緒に歩く。  もうそれだけで幸せすぎて"ぎゅー"としちゃう。……リゼットねーさんがいつものサイズの小さい下着を持っていって代わりにちょうどいいサイズ(どうやって調べたんだろう?)を置いていったので付けてみたら何倍もラクで、にーさんの手首の辺りに力いっぱい抱きしめてもても全然苦しくない! 「さ、最初はどこ行けばい、いいのかな?」 「フリッジさんの……」  そう言いながらもわたしの頭の中はにーさんの事で一杯。  何度も抱きついて抱きしめているから、手の動きだけでちょっとだけ考えが読めちゃう。  今は……緊張に我慢? ……何で? 「にーさん、どこか調子悪いの?」 「え?」  わたしの盾になるみたいな状態で前に出て人ごみを掻き分けていたにーさんはびっくりした顔で私へと振り返った。 「なんともないよ」 「ウソ」  ごまかそうとして、余計悪目立ちしちゃうこーいう所とはねーさんと一緒。それに、さっきの表情だって予想もしなくて"びっくり"じゃなくて、図星を突かれて"びっくり"だった。  鈍いわたしでも……これくらいは分かる。 「心配だよ……」  思い出すのは、包帯の巻かれたにーさんが家に担ぎ込まれてきたとき。  ロジェさんから命に別状はないと教えられても、わんわんと泣き続けて、結局、泣き疲れて寝てしまったけど、あのときの恐怖はまだ染み付いている。  もし、命を失っていたとしたらわたしはどうなるのか考えて……泣くだけじゃ済まなかったと思う。 「ホントに、だいじょうぶ?」  怖くて怖くて、もう泣きそう。  でも、泣いたらもっと困らせてしまうから我慢、我慢。 「大丈夫」  そんな状態でにーさんを見上げると、困ったような表情で笑って、 「心配してくれてありがとな。……ホントにやさしいなロレッタは」  空いている左手でふんわりとした手つきであたまをなでなで。  事あるごとにいつも撫でられているけれど、今日は格別。  胸がドキドキして、体が凄く熱くなって、まともに顔が見れない。 「よしよし」  ――あぁやっぱり。 「別に体の調子とかが悪い訳じゃないからさ」  ――わたしは、この人の事が好き……ううん。 「ほら、買い物行こう」  ――大好きなんだ。 「……うん」  ちっちゃな声でそう答えるのが限界だったけど、にーさんにはちゃんと届いたみたいでぽんぽんと優しく頭に触って、ゆっくりとわたしに合わせて歩きはじめる。 「そういえば、今日何作るか聞いてなかったんだが、どうするんだ?」 「えっと、特には決めてないんだけど……」  わたしのメニューの決め方は結構適当。  冷蔵庫とか季節の旬を考えて自分でできるレシピからいくつか候補を考えて、あとは見て回ってフィーリングだから買い物している途中にシチューからグラタンに変わっちゃうこともよくある。  とりあえず、今のところの候補は3つ。 「タリアッテレ、キッシュ、春巻きのどれかかなぁ」 「え?」  そうして挙げてみたけれど、そこにあったのは何故かポカンとしたにーさんの顔。  もしかして、ヒトの世界に無いものだったのかな? 「えっとね……」  タリアッテレ――幅広のパスタ。  キッシュ――パイの仲間。 「……なんだけど、実物見たほうはやいよねー」 「確かになぁ」  にーさんはキッシュの方はしらなかったけど、タリアッテレの方は知ってたみたいで「"テレビ"でなんか見た事あるかも」とか言っていたのでとりあえずはそっちに決定。  春巻きも悪くはないのだけれど、よくよく考えてみると明日の結婚式の後の宴会で山ほど出てきそうだし、2夜連続はちょっと飽きちゃうなぁ。  それに、 「あは、このシュピナート安いっ」 「……ほうれん草、か、これ?」  3軒目をハシゴしたところでお買い得品のシュピナートを見つけてわたし的には大ラッキー。  いつもはこの時間より早いくらいに行くから"割引品"とかにはまずありつけないし、閉店間近の処分セールを狙うには、お腹を空かせたねーさんが飢えてしまう。 「便利なんだけど、すぐ悪くなっちゃうから2本だけかなぁ……あ、パプリカとアルケールもあるっ」  まずは一番近いアルケールの棚へ。 「にーさん、あれ取ってー」  手も足も短くて、背も小さいわたしにはちょっと奥の方まで届かない。  だからいつもはお店の人に頼むけれど、やっぱりこの時間帯は忙しいみたいでひっきりなしに動き回って、珍しいヒトや『お得意様』にも気づいていないみたい。  そんなこんなで、にーさんに頼んだ訳で。 「これでいいか」 「うん」  受け取ったアルケールは大きさもほどほどで、色艶も良い。  よく食べるねーさんやにーさんがいるから大きければ大きいとも思ったけれど、それだけ中身がスカスカなのが多くて、二人とも気づいてはいなかったけどわたし的には凄く不満だった。  食卓の7割(にーさんが来る前はほとんど全部)を任されているのに、そんな重大問題を『まあいいか』でやり過ごすことなんて出来ません! 「む、ごめん。これ戻して別のを取ってちょうだいー」 「え、わかった」  ちょっと戸惑った感じでにーさんは答えて、さっきと同じようにわたしを右腕にしがみ付かせたまま、"ぐぐっ"と手を体を伸ばして品物を取り替える。  そうして、受け取ったアルケールは前のと同じくらいの大きさで色艶も遜色無い。  ただ、決定的に違うのは―― 「よし。もういっこ別なのおねがいー」 「わかった……でも、何が違うんだ?」 「んーとね、ここ」  そうしてわたしが指したのは受け取ったアルケールの根っこの部分。 「ここを軽く押すと中身がどれくらい詰まってるのかとか腐り具合もわかるんだよ」 「本当に?!」  これは何回も何回もアルケールを買って失敗してようやく見つけた見分け方で教えたのはにーさんが実は初めて。  やり方を教えると、どこかワクワクした表情でにーさんは何個か押していたけれど、4個目辺りで表情が曇ってきて、10個目になった頃にはもう知らずに苦いものを食べたみたいな顔になってがっくりとうなだれる。 「俺には、全くわからん……」 「コツつかむまで3年掛かったんだもん、すぐ分かっちゃったらわたしの立場がないよ〜」 「…………ごもっともです」  ガクっと落ち込んだにーさんを"よしよし"を励まして、今日のメニュー――タリアッテレのパプリカソース和えに必要なパプリカやシュピナートも同じように吟味して買い込む。  もちろん、どれが美味しいとか、これは買っちゃいけないとか教えながらだ。 「えへへ」  今のわたしの機嫌は最高にいい。  いつもよりちょっと安いだけじゃないと、ねーさんなら苦笑いしながら言うかもしれないが、リゼットねーさんならこの『1センタでも安い』事が嬉しいという気持ちを絶対に分かってくれる。  それに、 「人多くなってきたから、もっと捕まって」 「う、うん」  大好きなにーさんに、好きなだけ"ぎゅー"ってできるのがすっごく幸せ。。  どのくらいといえば、このまま時間が止まってしまえば良いなんて、神様に無茶なお願いをしてしまいそうほどにだ。 「なんだか、主婦みたいだなぁ、ロレッタって」 「"シュフ"?」  少し懐かしそうな口調でにーさんが呟いたのは、ちょっと聞き慣れない言葉。  『シェフ』……だと料理人だから、それに近いのかな? とか、想像したけれど何の事かさっぱりわからない。 「うーん、説明が難しいんだが……」  人の波を掻き分ける合間を縫って器用に頬を掻いたにーさんは、ちょっとだけ恥ずかしそうにして、 「あ〜、家事とかなんでもできて、か、可愛いな奥さんみたいだなぁって事」 「! ……そ、そんな事……」  わたしの口から意味のある言葉が出たのはそこまで。あとはもう自分でも何言っているのはよくわからない。  にーさんもにーさんだ。  『家事がなんでもできて……』とか凄く他人事みたいに言っていたのに、か、か、か……可愛いだなんて、そこだけにーさん視点で言われると、頭の中で『可愛い』がぐるぐる回って目が回りそう。  や、やだなぁ、もう。  家に帰るまでにーさんの顔見れないかも……うみゃっ?! 「ほら、下向いてるとぶつかって怪我しちゃうから前見て」 「う、うん」  うぅ鼻が痛い。  いくらにーさんの後ろに居てもこの抱きしめた腕から離れたら、多分、小さい私は人波の中で溺れてしまうにちがいない。 「もうちょっとしたら、休憩所があったと思うからそこで休もう?」 「だ、だいじょうぶだよ」  ホントは慣れない人ごみに酔い気味なのと人を避けるのに疲れて足が重いけど、回るお店は残り一軒だけ。  ここで休んじゃうより家まで早く帰ったほうがラクだし、何より、にーさんに心配を掛けたくない。 「……恥ずかしい話なんだけど、ちょっと疲れたから休みたいんだけど、いいかな?」  ウソ、ついてる。  太陽が頑張っている昼間ならともかく、沈みかかっているこの時間帯なら体力のあるにーさんが『休みたい』ほど疲れるなんて事はまず無い、と思う。 「うん。……わかった」  また気を使わせちゃった……わたしって、ダメだなぁ。  そんな風に落ち込みながらりょーにーさんにしがみつきながらとぼとぼと歩いて、ようやくたどり着いた『休憩所』は、建物と建物の間に挟まれた狭い空間に、木製の古びたベンチだけがぽつんと一つだけあるような凄く寂しいところだけど、わたしやにーさんにはお馴染みの場所だ。 「相変わらずだれも居ないよなぁ」  そんなに言葉通り、わたしもここに人が居るのを見た事がない。  体の小さいわたしでさえ、狭く感じるのだからにーさんくらいになればその感覚も強くなると思う。 「ま、疲れたから座ろうか」  そう言って、お先にどうぞ、とベンチを勧められて、名残惜しかったけれど抱きしめたにーさんの右腕を解放してわたしはベンチに腰掛ける。  ほんとはここで『りょーにーさんの方が疲れてるから……』なんて言おうともしたけれど、こーいうときはねーさん並みに頑固だから絶対に順番を譲ってくれないのだからしょーがない。 「なんか……フシギだね」 「そうだなぁ」  一つのベンチにほんの握りこぶし一つ分の隙間を空けて座って通りに目を向ければ人が一杯行き交っているのに、わたしたちの周りだけ凄く静か。  まるで二人だけ別の世界に置いていかれたみたいなんて感じるのは少しロマンチック過ぎかな?。 「……」  ちらりとりょーにーさんの方を盗み見ると、ちょうどこちらを見ていたのか視線が絡み合って、金縛りみたいに動けなくなる。 「どうした?」  "ふにゃ"っと大好きな柔らかい微かな笑み。  もうそれだけで一旦は大人しくなった心臓がまたすっごく元気なり始めるのに頭の中は何を言って良いのか分からないくらい茹で上がって、顔まで熱くなっちゃう。  にーさんの顔を真正面からみると、最近いつもこうなる。  ホントはいっぱいおしゃべりして、いっぱいお話を聞いて、いっぱいいろんな事をしたい。  それなのに体は動いてくれない。 「な、なんでもないっ」  ほら、ダメ。  最初会った頃はもう少し素直になんでも言えたし、手を握ったり腕を組んだりするのも抵抗が無かったのに。 「そっか……でも、さ」  思い通りに動かない体がいつもなら顔ごと動かして目を逸らしてしまうのに、今だけはできなくて。  それは、にーさんの悔やむような声色ややりきれないと言いたげな瞳の色のせいなのかもしれないけれど、わたしには動く事ができない。 「言いたい事はちゃんと言った方が良いよ、後悔しないようにね」  表面上にはニコニコとしていたけれど、にーさんはなんでも顔にでちゃうから無理をしている自分のことのようによく分かる。  でも、なんでそうなっちゃってるのか分からないから、どうしようもない。 「にーさん、そっち寄ってもいい?」 「い、いいぞ」  遠くて分からないのなら、近寄ればいい。それでダメなら、くっつけばいい。  なんて、どこかで習った言葉を思い出しながら、ほんのちょっとしかなかったにーさんとの隙間を埋める。  ついでに、――手を握る勇気は無かったから――人差し指の先だけをちょっとだけつかんで逃がさないように捕まえる。  あぁ、もうっ。すっごく緊張して心臓が痛くなってきた……。 「あの、あののねっ?!」  し、舌噛んじゃったぁ。 「ほら、落ち着いて。俺は別に逃げないしさ」  ね? と、ダメだしの一言に、空いてる右手を小さく握って怯えて竦んでいる心をなんとか奮い立たせる。  だって……言いたい事はその時言わないと、絶対に後悔するから――。 「こ、こうしてるとね」  デートみたい。と言いかけて、理想とはちょっと違うのが引っかかって言葉を出る寸前で無理矢理飲み込む。  晩御飯の買い物で一緒にお店を回るのは恋人同士というより……うーん。  ……家族?  確かにそれっぽいけど、ちょっと曖昧。  …………兄妹?  わたし的には悪くは無いけど、それじゃ結婚できないよね。  ………………夫婦? 「に、にーさんっ!!」 「は、はい?!」  "夫婦"という発想にたどり着いた瞬間、わたしの口はりょーにーさんを呼んでいた。それはもうすっごい勢いで。  だって、"夫婦"だよ?  にーさんはヒトだからわたしとは書類上は結婚できないし、子供も出来ない。  けれど、それがなんだ。  返事はまだもらっていないけれど、ロレッタ・ヒュッケルバイトはこの優しくてちょっと優柔不断なりょーにーさんが……――世界で一番、好き。  そういう事なら、夫婦だと、わたしは思う。  だから、 「わ、わたしたちっ」  一息。 「ふ、ふう――」 「……あら、二人とも何してるの?」 「「っ!」」  さっきまで二人っきりの世界だったはずの小さな休憩所に割って入ってきたのは、一番聞き覚えのある声。 「ね、ねねねーさ……ひひゃいっ?!」  また思いっきり舌を噛んで涙が零れそうになるのを我慢しながら声のした方向に振り向くと、そこにいたのは薄青色の深いスリットの入った長い上衣と同色のロングパンツが組み合わされた服装のいつものねーさん。……のはずなのに今日のわたしには何故か引け目を感じた上に、舌が痛いやら不意を突かれたやらで、頭の中が真っ白になって何を言っていいのかよくわからない。 「今、買い物中だったんですけど疲れたんで、二人で休んでいたんですよ」 「そっか」  弱気で押しつぶされそうなのをにーさんの手を握って、何とか堪えながら二人のやり取りを聞いていたけれど、微かな違和感を覚えて、思わず隣の人の顔を見上げた。 「……?」  にーさんにとってねーさんはご主人様を超えた大切にしている人なのは、二人を見ていれば嫌というほどよく分かる。  でも、今はちょっと違う。  まるで他人、ってほどじゃないけど、距離がある感じがする。……って、 「そういえば、なんでねーさんがここに居るの?」  わたしの記憶では仕事中のはずだからここら辺にはいないはず。 「いやぁ、明日の会場設営とかしている人達の夕食の仕入れの手伝いしてるのよ」 「うわぁ」  この通りに来る前にその場所を見てきたけれど、結構な数の人が居てその人達分の食事の用意をするとなると相当大変だと思う。  ……いくらぐらいかかっちゃうのかな、なんて考えちゃうのは食事の財布を握ってるからしょうがないけど。 「それもあと2、3軒回ってお願いしていけば終わっちゃうけど、そっちは?」 「こっちもあと1軒回ってオシマイだよ。買うのはマイタケとかかなぁ〜」 「……――っ」  え? 「ど、どうしたの?」  こっそり握っていたにーさんの手がいきなり大きく震えて、わたしは慌ててそちらに顔を向ける。  すると、「なんでもないよ」とばかりに空いてる手を振ったけれど、そのぐらいじゃもうごまかされない。 「何かあると隠そうとするのはにーさんの悪い癖だよっ」  「……ごめん」  そんなばつの悪そうな顔で謝られても……その、困る。  「ごめんごめん」と、少し困った表情で答えてくれると思ったのにこんな風に沈まれるのは予想していなかったし、なにより、この状況はわたしの望んでいたものじゃない。  それもこれも全部、わたしのせい、だよね。やっぱり。 「そんなに落ち込まないでよっ、ね?」  精一杯明るくした声色で落ち込まれてしまった好きな人の心を浮かばせようと、思いつく限りの言葉を掛けた。  そのおかげで弱々しくも笑ってくれたけれど、それでもどこか影のある瞳をしていもてそこまで届かないのが……すごく、すごく悔しい。  初めて好きになって、それをなんとか伝える事ができて、ちょっと強引だったけれどキスまでして。  そこまでしてもにーさんの影の中まで見えない。……ううん、見せてくれない。  何が、ダメなのかな? 「あ、あれ?」  何か、雨粒みたいなものが頬を滑る感触に驚いて、思わず上を見れば雲一つ無い茜色の空。……なんてこと無い、わたしの涙が流れただけ。  でも、なんでだろ? 「あぁぁ、いや、ご、ごめん。ロレッタ?!」  わたしが泣いたのにビックリしたのか、あんなに暗かったにーさんの顔がそれはもう面白いくらいに大慌ての表情になって、色々謝ってくれる。  でも、そういうのが欲しいんじゃなくて。 「はいはい、二人とも。もうおしまい」  もう視界をぼんやりとさせるものは既に引っ込んで、それに一筋だけ濡れていた頬も既に乾いているのにも気づかないで一生懸命ずっと謝っていてるにーさんに、「もういいよ」と一言さえも口に出来なくて黙り込んでいるわたし。  ……その間に、ねーさんの柔らかい声が割り込んできた。 「そーいうのは後した方いいわよ? いい時間になっちゃうし、ね」  苦笑いの表情で真上を指差すその先には、幾分か青暗いものが多くなってきた空の色。  今日のはさほど手間暇かけたものにはならないけれど、にーさんにベタベタくっついたり、いろんな事を教える時間が1分でも減っちゃうのは、すごく、嫌。 「もう、大丈夫だよ。にーさん」  考えが決まったらすぐ実行する。  それが、わたしらしい、かな? 「だから、ヘンに気を使わせちゃってごめんなさい」 「あ、あぁ、俺もごめん」  ちょっと強気でりょーにーさんを押し切る形でなんとかこの話題はおしまいにして、先にベンチから立ち上がる。  あとで、ねーさんに「ありがとう」って言っておかなきゃ。 「よしよし……それでちょっと頼みたいんだけどいい?」  にこにこと底抜けに明るい表情のねーさんからの頼まれごとは、あんまりいい思い出ない。  だって、すっごく難しいことをさらりと頼むから、それを叶えるほうの身になってほしい。 「うん、あんまり難しい事は無理だからねっ」  そんな風に言ってはみるけれど、無理かなぁ。 「キノコ使ったメニュー増やせる?」 「え、うん。1つ2つならサラダみたいのはできるけど……ふ、増やさないよ?!」  うげぇ、と、にーさんのうめき声が聞こえてきて、一瞬で膨れ上がった罪悪感を勢いにしてねーさんの考えそうな事を考えて先に抵抗してみる。 「た、食べたくないって言うのは無理に食べさせたら可哀想だよっ」  ちょっと状況はよく分からないけれど、今までのにーさんの反応とかから多分キノコが苦手なんだと思う。  ねーさんの事だから考えもなしに無理矢理は絶対にしないけど、たまに当の本人しかわからないような理屈も持ち出してくるから油断できない。  うん。そんな時はわたしが守らないとっ!。 「そーねぇ、ロレッタの言う通りよね」  あ、あれ? 「み、認めちゃうの?」 「だってその通りでしょ? それに嫌々食べるなんて食べ物にも悪いしね」 「あ、うん」  あれ、あれー?  なんでそうなっちゃうの?  せっかくこうやってヤル気が出てきたのに、火に水を掛けられたみたいにぐずぐずとしぼんでしまう。 「……ロレッタ」 「ひゃいっ?!」  そうして気が抜けていたところに、いきなりにーさん声が聞こえてきてビックリ。  しかも、声色がいつもの優しくて穏やかな感じじゃなくて、何かを押さえつけて無理矢理平たくしたみたいな感じがして、ビクビクしなら後ろに振り返る。  もしかして怒ったのかな?  うぅ……嫌われたくないなぁ……。 「キノコ料理、増やせるか?」 「?」  一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。  だからもう一度。 「ごめん、もう一回言ってもらってもいい?」 「……今日の晩御飯で、キノコ料理、増やせる?」  今度はちゃんと聞こえたし、何を質問されているのかも分かった。でも、噛み合わない。  だって―― 「キノコ、嫌いなんでだよね、にーさん? それなら無理して食べなくてもいいって、ねーさんも言ってくれたのにどうして?」  分からない。  なんでそんなこというの?  そんな不安が溢れでそうになるのを右手をぎゅっと握って堪えてにーさんを見上げて答えを待つ。 「確かに二人が言うようにに無理に食べる必要は無いとは俺も思うんだけどね」  でもな? と言って、小さく苦笑いしながらいつものように屈んで、背の低いわたしと同じ目線に合わせてくれる。  告白する前ならワクワクしながらつま先立ちして背伸びをしていたこの瞬間も、今はドキドキして心臓が飛び出すんじゃないかと体がこわばって動けない。 「嫌だ嫌だって言っても腹が減るから一生食べ続けなきゃいけなのに、その度になんだかんだとゴネるのもカッコつかないし……それにさ」  そこまで口にして、にーさんらしくもなく言い淀んだけど、いつもみたいなふんわりとした笑顔になってわたしの頭をゆっくり撫でてくれる。 「嫌いな物が入ってるってだけでロレッタの美味しい料理を食べないってのは人生の損だしね」 「…………あぅ」  おいしいとはいつも言ってもらっているけれど、ここまで思っきりほめられたのは初めてで、しかも、大好きな人から言われて、言いたい事とかあったのが全部消し飛んで何も言えなくなっちゃう。  いつもほめられたいけど、言われる度にこうなっていたらイロイロ、その……困る。 「よしよし」  さらさらと髪を撫でている手が増えたと、思ったらいつのまにかねーさんまで混じってきていた。  ちょっと荒っぽいにーさんに比べると優しくて、指が長いからなのか髪の毛が絡んで解けていく感触が気持ちいい……って。 「なんでねーさんまで?!」 「雰囲気?」 「よけーにわからないよ?!」  生まれた時から一緒けど、最近のねーさんの考えている事が全然読めない。……ううん、読ませてくれないのかもしれないけど。  そう考えると少し、寂しい。 「ねーさんはねーさんの仕事があるんでしょ?! みんな待ってるに決まってるよっ」 「ありゃりゃ怒られちゃった」  にーさんがわたしの告白に頷いてくれる為に超えなきゃいけない最大の壁は――多分、ねーさん。  だからといって、嫌いになったり、遠ざかるなんて事は絶対しないし、させたくない。 「わたし達も早く買い物終わらせてゴハン作ろう? ……ほらっ!」  にーさんとねーさん。  その二人の手を握って思いっきり引っ張って前に進む。 「早く帰って――」  一人は寂しい。  二人ではもう物足りない。  ――だから。 「三人一緒に、ゴハン食べよっ!!」  何があってもこれだけは絶対に変えたくないと、わたしは居るかどうかわからない神様に願っていた。  あぁ、美味しい。