「…お父様、もう一度説明してくださらないかしら」  ブラウンの巻き毛を片手でたくし上げ、少女はテーブルへ身を乗り出すようにして  ”お父様”と呼んだ初老の男へ詰め寄った。 「何度も同じ事を言わせるな…お前を修学旅行へやることは出来ないと言っている」 「そんな…納得できませんわ!!」  有名進学校の制服を来た少女は更に声を荒げる。 「お前も自分の身体の事は、自分で分かっているだろう」 「!」  落ち着き払った男の声を聞き、はっとなった少女は己の左胸を掌で押えた。胸の奥底  から響く、心臓の鼓動。 「私は…」  落ち着きを取り戻しつつあった彼女は、自分の呼吸が随分早くなっていることに  気付いた。相当興奮していたのであろう、肩が上下しているのが自分で判る程だ。 「この鼓動も…この吐息も…全ては作り物…」 「その通り。お前は私の娘だが”ヒト”とは違う」 「そんな事…私が”生まれた”時からわかっていますわ!」 「それならば何故納得できんのだ? 確かにお前の身体は10年前と比べ、随分と変わった…姿形  だけでなく、その身体を構成しているパーツ一つ一つの技術も凄まじく進化しているのだ。  だが…」 「お父様…」 「非常に残念だが、修学旅行は4泊5日の長丁場。素体の集中メンテナンス時期とその旅行日程が  重なってしまう以上、お前を旅行に行かせる訳にはいかんのだ」 「それならそのメンテナンス時期をずらせば…!」 「そうはいかないわ」  初老の男の隣りに座っていた女が口を開いた。長い黒髪を手で撫でながら、彼女は背後のスク  リーンに向かってリモコンを操作する。一瞬の間を置き、スクリーンに小柄な女性を象った  人の姿が映し出された。 「あなたの素体は最初の頃に比べ、メンテナンスの周期が随分と長くなってるわ。でも、その代償  として」  女がリモコンを操作すると、スクリーンに映し出されている人の腹部が拡大表示された。腹部の  中は精巧なメカニズムがぎっしりと詰まっており、人間の身体では腎臓に相当する箇所が更に  拡大表示される。 「代謝機能を司るパーツには、想像以上の負担が掛かっているの。それこそ、人間の腎臓に勝るとも  劣らないぐらいのね」 「お母様、わたしは…」  少女はもう片一方の手で腹をゆっくりと撫でるように押えた。人間の腹部と変わりないしなやかな  その表面とは裏腹に、その内部にはスクリーンに映し出されている機械部品が入っているのだ。 「日常メンテナンスは人間と同じ、水分摂取と排泄で充分賄える。でも、一ヶ月毎のメンテナンスは  時期を逸することなく行う必要があるわ。でなければ…」 「…その先は言われなくてもわかってますわ、お母様」 「佳奈、本当に残念だけど」  佳奈と呼ばれた少女はうついむいたまま、ぎりっと歯を噛みしめた。テーブルクロスの上に、涙が  ぽろぽろと零れ落ちていく。 「佳奈…母さんを困らせるんじゃない」  初老の男が席を立ち、佳奈を慰めようと彼女に近づいた。 「…っ!」  男が佳奈の肩を掴もうとした瞬間、彼女は男の手を振り払って部屋を走り出た。悲しそうな足音が、  初老の男と隣の女の心を揺らがせていく。 「あなた、本当にこれで良いのですか? あの子の身体は作り物でも、その心は…」 「…私に考えがある」  首を傾げる女の横を通り過ぎ、男は壁のインターホンの受話器を手に取った。 「…ああ、そうだ…プランB-4を実行に移す…いや、時期尚早ではない…そろそろ頃合いだ…じゃあ頼む」  受話器をインターホンにかけ直すと、男は女に向き直った。 「恵美、今すぐに”彼”をここへ呼んでくれ」 「まさか、あなた…」 「私はこう見えても冷血じゃないんでね…あの娘のためなら火の中にでも飛び込んでみせるさ」  男はニヤリと笑うと、窓の外を見上げた。          県立菜華高校…巷では色々な意味で有名な高校だ。AM7:50、初夏に似合う夏服を身に纏った少年  少女達が学園の正門から次々になだれ込んでくる。 「佳奈、今日修学旅行の部屋割りが決まるってさ」 「ふぅん…そうなの…」  ショートカットの少女が佳奈に話しかけた。 「3人一部屋で割り振るか、それとも2人になるか…って聞いてる?」  焦点が定まらず、上の空でふらふらと歩く佳奈の肩をぽんぽんと叩く。 「え、あ…なんの話でしたの?」 「佳奈?」  いつもならきびきびとした歩調で、少しでも話を突っ込もうもんなら100倍になって返ってくる。  そんなやりとりに慣れていたショートカットの少女は、肩透かしを喰らったという表情を隠さずに  佳奈を突き上げる。 「なんか変よ、佳奈ってば! あんなに楽しみにしてたのに…何かあったの?」 「! いや、なんでもありませんわ!!」  心配と疑念が混じった表情でのぞき込まれた佳奈はようやく自分を取り戻したのか、目を大きく見開いた  かと思うと首を振り、明るい表情で相方を突き放す。 「ふぅん…それならいいんだけど」 「そう言う優子こそ、テンションが随分と高い…何かいいことありましたわね?」 「わかる?」  優子と呼ばれた少女は頬をぱっと赤らめ、肩をすくめながら笑みを漏らした。 「あなたがそんな表情をしてる時は、120%間違いないですわ…どうせ、おつき合いしてる殿方のことでは  なくて?」 「えへへ…やっぱり佳奈には隠せないなぁ。そうそう、実は…」  佳奈は相方へ突っ込みを入れた事を後悔した。この話題になると、授業が始まるまで(下手すれば  授業中も止まることなく)のろけ話に付き合わされるのだ。優子とその相手については、学園で知らぬ  者はいないと言われる程の公認の仲であり、例え優子が言わずとも、彼女らの動向が様々な方面から  嫌でも伝わってくる。 (全く、人間というのはどうしてこんなに…)  優子の話題についてはうんざりしている、というのが佳奈の本音だった。確かに彼女は無二の親友  なのだが、彼氏の事となると歯止めが聞かなくなるのだ。こういう時、頭脳まで人間そっくりに作られて  いる自分を恨めしく思う。世間一般のドロイドなら、不必要な情報は遮断できるし、最悪破棄することも  できるのに。 (言えませんわ、修学旅行に行けなくなったなんて)  昨夜、父親から聞いた話が再びメモリーの底から湧き上がってくる。修学旅行中の作戦を捲し立て  ている隣りの相方を見つめながら、彼女は複雑な思いにかられていた。    やがて教室に辿り着いた二人は、各の席に腰を落ち着けた。優子からやっと開放された佳奈は、鞄から  教科書とノートを取り出し、もう一度溜め息を付く。少し間を取り、授業を受ける準備に集中しようと  した彼女の隣りに、一人の少女がブロンドの縦ロールを揺らしながら近づいてきた。 「あら、随分と余裕のある登校ですこと」 「…いつものことですが、何か?」  視線を机上からそらさず、佳奈が毅然とした声で応える。 「いつもの事、ですか。相方の、おつむの弱い眼鏡娘に毒されたのではなくて?」 「あなたはいつも一言余計ですわ。」  今にも高らかな声で笑いだしそうな表情の少女に視線を移した。あくまでもクールな表情を装っている  つもりだが、今自分が弱気になっている事を悟られないという自信はない。 「なんだか張り合いがありませんわね…あなたらしくない」 「余計なお世話です」 「ふん…まあいいですわ。そういえば今日、このクラスに転入生が来るという情報を手に入れましたの」 「転入生?」 「しかもその転入生は殿方との噂…まぁ、殿方に興味を持たないような人には関係ないことでしたわね」 「…相変わらず情報が早いですわね、隅島マリア…どこぞの週刊誌カメラマンでも雇ったのかしら?」  金髪の少女、隅島マリアの表情から笑みが消える。蔑むような視線で佳奈を見下ろし、睨み付ける。  張りつめた空間が今にも破裂しそうになった時、予鈴がスピーカーから鳴り響いた。