ブルネットのクー 1 「聞いてよ、トミーがここに来るんだって!」 事務所に戻ると、ステラがすっ飛んできた。 分厚い眼鏡の奥で、興奮した青い瞳がきらきらと輝いている。 「……それは、君の幼なじみだったかな?」 コートを脱いで壁にかけながら指摘すると、ステラは、あれっ、という表情になった。 「……あ、フランソワは、面識ないんだったっけ?」 「うむ。君からことあるごとに聞かされているから、名前はよく知っているが」 「そ、そ、そんなに言ってたっけ?」 ステラは慌てた。 よく磨いた金貨のような金髪が、動揺にゆれる。 とても美しい。 私は、およそ美的センスには乏しい人間だが、彼女の髪の毛は素晴らしいと思う。 ステラは、私のブルネットをとても気に入っているが、客観的に見て、 男性の目を引くのは、ステラのブロンドのほうだろう。 ──多分、そのトミーという日本人もその一人に違いない。 「うむ。しょっちゅう聞かされている」 「お、幼なじみってほどでもないのよ。知り合ったのはファング教授のゼミですもの」 「ああ」 ファング教授兄弟は、N大学の名物だ。 ふたりともそれぞれの分野で法律の権威であり、そのゼミからは何人もの優秀な弁護士が生まれている。 ステラのように。 私はステラとは同窓だが、学びたかった分野が異なるため別の教授から指導を受けた。 トミーは、留学してきてファング・ゼミに参加していたらしい。 日本に帰国後、向こうで弁護士をしていたのだが、休暇を取ってこちらに来るので、 教授の元にも挨拶に来るらしい。 2 「……それでね、トミーったら、学園祭で何の役をしたと思う? 白雪姫よ!」 ステラは、上機嫌で昔話をしている。 「みんなで白いをドレス縫ってあげたんだけど、あののっぽさんじゃ、丈が全然足りなくて、 すね毛が丸見えだったのよ。おかしいったら! 私、彼のお化粧しながら笑い転げてたわ!」 今、弁護士事務所の中は、私とステラしかいないので、私はさんざんトミー氏の話を聞く羽目になった。 親友のボーイフレンド──だったのだろうか? ステラは晩生なほうだったから──の話も、 いささか食傷気味と言えなくもない。 私は、ちょっと話題を変えてみることにした。 「ところで、君とトミー氏は付き合っていたのかね?」 効果覿面。 ステラは息を飲んだ。 分厚い眼鏡がずり落ちる。 ああ、あぶない。彼女はあれがないと何も見えないド近眼だ。 手を伸ばして眼鏡を戻してやると、ステラの金縛りが解けた。 「な、な、な、そ、そ、そんなことないわよ! わ、わた、わたしとトミーとは、そんなんじゃ!!」 とてもわかりやすい反応。 私はちょっと罪悪感を覚えた。 ステラは、駆け出しながら敏腕の弁護士とは思えないくらいに初心な娘だ。 不器用な性格が災いして学生時代から長らく不遇に甘んじていたが、 ライアット法の研究を始めてからは、実績も評価も飛躍的に伸びた。 この事務所で、私がただ一人尊敬するだけの実力を持っている人間だ。 しかし、男女のことに関しては学生時代のまま、ということらしい。 そんな娘に、直球をぶつけるのはいかにもまずい手だった。