俺のバイクは確かにポンコツだが、ガス欠は故障の内に入らない。ガソリンを持ってきてもらって  補充後にトンズラすれば、何の問題もない筈だった。それなのに俺が彼女の後をついていったのは、  彼女の風体に興味をもったからだ。よく見てみると、彼女は傘をもっていなかった。粗末なレイン  コートに身を包んではいるが、頭はずぶぬれだ。 「…そんな格好してると…風邪ひくぞ…」  その言葉は、玄関にへたりこんでガタガタ奮えている自分に言うべきだった。雨にうたれて体温を  奪われ、2km弱の上り坂でバイクを押し続けた疲労が、俺の体に鞭を打ちまくっている。 「私なら大丈夫です」  平然と彼女は言い放った。少し左足を引きずってはいるが、特に痛みを感じている様子もない。  レインコートを脱ぎ、頭を片手で拭った彼女がバスタオルを用意している。 「まずはこれで身体を拭いてください。替えの服はそこにおいておきますから」 「すまん…」  てきぱきと事を進める彼女に対し、俺はいつのまにか辟易していた。少し油汚れがついた布ツナギ  だったが、洗濯はきちんとしてあったようだ。 「もしよければ、シャワーを使ってもらっても構いません」 「ああ、わかった」  俺の身体は泥と汗にまみれていて、とてもじゃないがこの布ツナギに袖を通す気にはなれなかった。 「シャワールームはどこだ?」 「キッチンの右横のドアの奥に」  俺は彼女のいうとおりにドアを開け、シャワールームに入った。赤い目印が付いているカランを捻ると、  勢いよく適温のお湯が蛇口から溢れてくる。自家発電装置で温水器を動かしているのだろうか? なんに  せよ、町外れの(それもこんな田舎の)一軒家でここまで設備が整っているのは奇跡に近いと言える。  そういえば、家の内装もやたらと奇麗だった。1Fがピットルームになっているのは、バイク屋だという  話が嘘じゃない証。2階は、どうみても3人家族が余裕で住める4LDKだろうか? 彼女が一人暮らしして  いるというのも嘘じゃないんだろうが、かなり不自然だ。 「ふぅ…」  色々と考えを巡らせながら、さっぱりした俺はシャワールームを後にした。布ツナギを着たが、まだ身体が  火照りっ放しだ。俺は上半身をはだけさせ、首にバスタオルをかけたラフな格好になった。 「冷たいビールはいかがですか?」  女神が俺をキッチンで待っていた。まるでそれが当たり前かのように、テーブルの上にはつまみとビールジョッキ。  ふと彼女を見ると、少しだが笑顔をたたえているように見える。 「あ、ああ…」  違和感を感じながらも俺は椅子に座った。昨日までの荒れた日々が嘘だったかのような、平穏な日常…とでも  いうのだろうか? 「そういえば名前を聞いてなかったな…俺はヨシオ。あんたは?」 「…何をおっしゃられているのですか?」 「何をって、そもそもあんたと俺は初対面だろ? 順番が完全にひっくりがえっているが、自己紹介はしないとな」 「一体どうされたのですか? やはり先程バイクで転倒されて…」  俺は訳がわからなかった。 「転倒してねえっての! 大体、あんたの方が訳わかんねぇよ…あんた、一体誰だ?」 「そんな…ノブヒロさん…あなたはノブヒロさんではないのですか?」  ノブヒロ? その名を聞いた瞬間、俺の脳裏からある記憶が鮮明に蘇った。 「ノブヒロって、それは俺の」  思わず立ち上がった俺の耳に、突然低い唸り声のような音が響き始めた。その響きはやがて地鳴りとなり、  がたがたと机が揺れ始める。 「…地震!?」 「まさか、また…」  一瞬の間を置き、立っていられない程の揺れが俺達を襲った。傍らにあった戸棚がぐらぐらと揺れたかと思うと、  俺達の方へスローモーションのように倒れ込んでくる。悲鳴にならない彼女の声をバックに、俺の視界は暗転した。