鬼葬譚 第二章 『篭女の社』 ごばんめのおはなし ============================== 「…う…ん…?」  あたしは、ゆっくりと目を覚ます。  どうやら、あたしは社の縁側ですっかり寝入ってしまっていたようだ。  耳に届く、ヒグラシの鳴き声。  気が付けば、あたりはもうすっかり夕暮れになっていた。  …何があったんだっけ。  寝ぼけた頭で、それまでのことを思い出そうとする。  たしか…やってきた儀介に思わず激昂して、父のことを思い出して 大泣きして、そんなあたしを儀介が優しく抱きしめて、そして―――  儀介が、あたしに結ばれて欲しいと。 「!!!!」  そこまで思い出して、あたしは自分が儀介に膝枕をされている 事に気がついた。  …そうだ、結局泣き止む事が出来なかったあたしは、儀介に誘われる ままこの縁側で横になりそのまま泣きつかれて眠ってしまったのだ。 「…あ、あ、あたしっ!」  あたしは慌てて体を起こし、服の袖で乾いた涙の後をごしごしと拭い去る。  今更ながら、泣き顔を見られた気恥ずかしさと、儀介の告白の言葉に、 顔がかぁと熱くなっていくのをあたしは感じた。 「ぎ、儀介…?」  あたしは、恐る恐る儀介の顔を覗き込む。  一体、儀介にあたしはどんな顔をすればいいんだろう。  いや、その前に儀介のあの言葉にあたしはなんと答えればいいんだろう。  あたしの頭の中をぐるぐるぐるぐるといくつもの考えが浮かんでは消えて行く。  だが。 「…ぐぅ」  …当の儀介は、縁側の柱に背を預けて気持ちよさそうに眠っていた。 「こいつは…」  …ああ、そうだった。こいつはこういう奴だ。  いつだってあたしを振り回して、迷惑をかけて、そのくせ悪びれない。  あたしは、がっくりと肩を落として、大きくため息をついた。   「…ふ…ふふっ…ふふふふふふ…」  わたしの口から苦笑にも似た笑い声が漏れる。  思い返せば…ずいぶんと久しぶりに笑った気がする。  あたしは、顔を伏せて眠る儀介の姿をちらりと見た。 「あーあ…人に迷惑かけるだけかけるくせに、なんで嫌いになれないんだろ」  こいつは、いつだってそうだ。  迷惑をかけるくせに、どうしてもこいつを嫌いになる事が出来ない。  無防備な寝姿に、あたしはくすりと小さく笑う。 「きっと、信じられるから…なのかな。  あんたは…絶対、間違った事はしないって、裏切ったりしないって…  信じられるから…」  ヒグラシの鳴き声。  暑い夏の日差しも沈み、少しずつ心地よい夜風が吹き始めている。  境内に居るのは、あたしと、儀介の二人きり。  …あたしは今、一人じゃない。  それが、こんなにもあたしの不安を和らげてくれる。 「だから、ね。あんたと一緒なら、きっと…うんきっと。  辛い事も、悲しい事も乗り越えられると思う。  あんたとなら…一緒になってもいいかな…なんて」  当人が聞いていないとなるとずいぶんと大胆な言葉が言えるものだ。  そんな自分に苦笑しながら、 あたしは儀介を起こすために 手を肩にかけようと手をのばした。  ―――その瞬間。 「ん、ありがとな。しっかり聞かせてもらった」  儀介が、にやっと笑いながら顔を上げる。 「…へ?」  この時のあたしは、物凄く間抜けな顔をしていたに違いない。 「あ、あ、あ、あんた起きて―――?!!」 「いやーその…なんだ。語り始めちゃってなんか声かけづらくってさあ」  ああ、つまり今までのあたしの恥ずかしい話は全部聞かれて いたというか、あんなどう考えても求婚の承諾にしか聞こえない 言葉を聴かれてしまったというか、ていうか何でこいつはこんな 罠のような真似事をしてくれたのか、ええ、つまり―――その、なんだ。 「あー…紗代? おーい?」  儀介の声。  真っ白になったあたしの頭の中。  次の瞬間、あたしの体は本能の命ずるがままに――― 「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!」  儀介の顔面に向かって盛大に拳を叩き込んでいた。 ============================== 「ゴメンナサイ、いや、マジで反省してます」  顔面がある種特殊な形状に変形した儀介が、あたしに平伏する。  無論、やったのはあたしだ。  あたしは、ぜいぜい荒い息をしなんがら儀介の顔を鬼の形相で睨みつけていた。 「いや、確かにお前を騙すような真似事をしたのは悪かった、反省してる」 「まったくよ! 騙されて恥をかいたこっちはいい迷惑なんだから!」  あたしは両手を胸の前で組むと、儀介から視線を晒すように明後日の方を向く。  そんなあたしに儀介ははぁと小さくため息をつくと、ちらりとこちらを見上げた。 「でも、逆に言えばさっきのは…本気だったんだろ?」 「うっ…!」  …それを言われると実につらい。  確かに、あの時の言葉は私の本心だ。それは間違いはない。 「そ、それはそうなんだ…けど…」 「けど、なにさ?」  顔は見ていないが、儀介がにやりと勝ち誇ったような笑みを浮かべて いるのが判る。 「ええと…それは、その…つまり…」 「つまり?」  …困った、一瞬にして攻守が逆転してしまった。  なんと返したものだろうか、思いつかない。  考える、考える、考える、けれど、答えは出ない。  …いや、答えはある。それは既に得ている。  でも、それを認めてしまうことが、口に出してしまうのは、あたしは。 「…聞かせてくれないか。今度は、確かに」  躊躇するあたしの耳に届く儀介の優しい声。  その声に、あたしは思わず儀介の顔を見た。  …そこには、いつもの軽薄な笑顔はない。  あの日、あたしを呼び出したとき――いや、それ以上に 真摯な思いをあたしは感じた。  その顔を見たとたん、あたしの胸中の思いを閉ざしていた 戸惑いや躊躇はまるで氷が溶けるかのように消え去っていく。  代わりに浮かび上がってくるのは、深い深い思慕。儀介を愛しいと 思う、切ない想い。  そうだ。  答えを得ているのなら、それを知っているのなら。  それに素直になればいい、その答えを、ただぶつければいい。  単純な――あまりにも単純な事じゃないか。  気付いてしまえば、何も悩む事などない。  あたしは、小さく微笑むと儀介の顔を見つめ返す。 「わかった…うん、言うよ」  あたしは床に膝を着き、頭を深々と儀介に向かって下げる。 「儀介…様。此度の縁談、謹んでお受けいたします。 ふつつかな娘ではございますが、どうぞ末永くよろしくお願いします」  …なんだか、畏まった物言いがこそばゆい。