「案外綺麗にしてあるじゃない」 鷹子は勢いをつけて膝丈のスカートを翻し、やや乱暴にベッドに腰掛けて、 浩次の寝室を見渡した。
肩までかかる黒髪がはらりと、その白い喉元にからまる。 家にいるなら、即座に叱責されそうな粗雑な動作、無遠慮な視線。
でも、幼い頃から彼女に仕えて一緒に育ち、長じては使用人となった 浩次の前では、どんな気遣いも遠慮も要らない。
もちろん浩次だって、へつらいや追従をしない。 彼が自分の家を構え、そこから鷹子の屋敷に通うようになっても、
それが変わらない二人の約束だった。
「お嬢様がいらっしゃるというので、急いで掃除したんですよ」
浩次が細い眼鏡のフレームを上げながら苦笑した。 「でも、いいかげん意地を張るのをやめて、旦那様に頭を下げたらどうですか?
書置きをして家出なんて、屋敷では大騒ぎになっていますよ」 「少しは私のこと、心配すればいいんだわ。私より二十歳も上の年寄りの
写真を見せて、来月この男と結婚しなさいだなんて、時代錯誤もいいところよ」 鷹子は、ふんと小さく鼻を鳴らし、浩次は忍び笑いを漏らした。
「お嬢様は天邪鬼ですからね。ああいうやり方ではお嬢様が反発することを、 旦那様がご存知だったら良かったのでしょうが」
「そう、そうよ。だから私、お父様が改心して私を理解するようになるまで ここにいようと思うの。ね、いいでしょう? 浩次」
「それは構いませんが……」 口ごもった下僕に、鷹子はきっ、と強くにらみ付けた。 「何?」
「お嬢様は人目につきやすいですから、少し偽装工作した方が良いかと」 「偽装工作?」
「ええ。何かお嬢様の持ち物を、ここから遠いところに捨ててきて、 別の方角へ行ったと見せかけるのです」
「いい考えね。で、その持ち物は何がいいかしら」 「靴ではどうですか? この手の靴は脱げやすいですから、歩いていて
脱げて無くしたというような状況で」 浩次はひざまづいて、そっと鷹子のバックストラップのハイヒールに触れた。
「いいわ、じゃあ脱がせて」 鷹子は冗談交じりに足先を突き出す。 だが、浩次はそれを本気と取ったのか、恭順な態度で体を曲げて、
右手で靴底を支えると、左手でストラップのボタンを外した。 そしてその手を足首まで這わせて、すべすべのかかとを撫でさするように
覆い、華奢な作りのハイヒールを剥ぎ取り脱がせる。
「浩次……?」
ことりと小さな音をたてて靴が床に落ちても、彼の手は離れなかった。 指がやわらかく曲げられて、かかとを包み、親指がもみしだくように、
くるぶしをさする。 足首の窪みが埋まり、そっと揺すられて熱を生んだ。
右手のひらにぴったりと付けられた土踏まずが、汗にじっとりと濡れる。 ぞくぞくするような感覚が、内腿を伝わって鷹子の中心に届いた。
「……っ、浩次……」 喘ぎにも似た呼び声に、浩次が鷹子を見上げた。 共犯者めいた笑みがその顔に浮かぶ。
鷹子は喉が渇いて何も言えず、つばを呑み込んで、されるがままに もう一方の足から靴を脱がされるのを、ぼんやりと見詰めた。
整えられた彼の爪が、女性的な曲線のふくらはぎを、さらさらと掻き撫でる。 彼の手は決してそこから上がって来ないのに、触れられた箇所から
生まれた熱は、荒れ狂ったように鷹子の全身を刺激する。 何もかも見通しているような視線に晒されて、憎らしさにその顔を
蹴っ飛ばしたいという衝動と、しばらくは彼の世話になるのだから という打算が、彼女の胸の内に渦巻いた。
彼が手を離した後も、それは悔しさとなって残り、彼女は歯を噛み締める。
「では、行って参ります。ここの物は何でも使って構わないですが、 自分が帰ってくるまで、この家から出ないで下さいね」
「靴がないのに、どうやって外に行くのよ」 強気な姿勢を取り戻した鷹子が、不満げな顔をして浩次に言い返し、
浩次は喉の奥を鳴らして笑った。 「そうですね。不便なこともお有りでしょうが、ご要望などがありましたら、
努めて用立て致しますので、何でもお言いつけ下さい」 「わかってるわ、浩次。もう行ってちょうだい」
唇だけで笑っているような彼の冷たい表情に、訳の分からない怒りが 掻き立てられ、鷹子は浩次を追い出そうと、ぞんざいに手の甲を振る。
「はい、では」
浩次の足音が小さくなり、玄関の扉が遠くでわずかな音を立てて閉まると、
鷹子はそのままベッドに体を倒した。 それから、先ほど感じた体の火照りを、冷ますようにゆっくりと息を吐き、
そしてまた逃さないように体を丸めた。 |