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「何も言わんでいい。お前がそういう人間なら、考えそうなことはわかる。そうだな。ではこれならどうだ…、」
満足げに二岡を見下ろし、口元に笑いを浮かべながら、渡辺はゆっくりと続ける。
「もしも何か掴んだら、その時には、お前がこれから稼ぐはずの金をまとめて払ってやってもいい」
…まったく願ってもない提案だった。まさに天佑。棚からボタモチとはこのことだ。
それから彼は早速、事務という立場を利用し、書類を漁ることから始めた。人を調べるにはまず経歴だ。
清水崇行、出身は所沢。少年期に家族とともに文京へ移り、23歳で軍に任用された。その後は主に技術畑を歩み続け、現在に至る…。
特記事項もなく、過去に問題を起こしたことがあるわけでもない。きわめて平凡だ。あまりに記述が少なすぎて、物足りないようにさえ感じられる。
普通に考えれば、軍の元帥が直接に調べろと言ってくる位なのだから、さぞかし重大な秘密を持っていると踏んでいるのだろう。しかしこれでは一体全体、何が怪しいと言っているのかさえも二岡には到底測りかねた。
もちろん、少しばかり書類を眺めても何もわからないからこそ非公式に自分を使おうとしているのだろうということはわかる。
あるいは…、あの性根の捻じ曲がった爺のことだから、合理的な理由もなく一方的に清水を疑っている可能性もある、とも二岡は考えた。これまでの職務のなかで、実際そうやって疑いをかけられ表舞台から去っていった者を、机上を通過してゆく紙切れの中に幾度か目にしたことがあるからだ。
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