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倉が再び駆け寄ろうとした瞬間、マサユキはがくりと膝をついた。そして…、
「…あっ………」
消え入るような声をその喉から漏らし、グルリと白目を剥くと…、テーブルから落ちるグラスのように、顔からその場に崩れ落ちてしまった。
「だ、大丈夫か、おいっ」
偶然、倉よりも傍にいた森野が、軍で鍛えた反射神経を発揮してその身体を抱きとめたが…、マサユキはぴくりとも動かない。
「どうも、申し訳ございません。…気を失っているだけです、ご心配なく」
「しかし、ど、どうしたら」
「そこへ降ろしてやって下さい」
「そこって…、畳の上に降ろしてしまっていいのですか」
「じきに目を覚ましますから。…勝浩の言っていた、真空管の意味はおわかりになりましたね」
「は、はあ…」
倉に問われ、森野は戸惑いながら返事をした。…殴ると、少しの間、まともらしい振る舞いをする。つまりは、それだけの意味だろう。
「でも、わざわざそれをお見せしたかったのではなくて、その後必ずこうやって倒れることまで考えて、勝浩は、こうしたのでしょう…」
森野の手から受け取ったその軽い身体を、倉はうつ伏せのままゆっくりと丁寧に畳へ降ろした。
そして森野がふと見ると、すでに永川の姿はない。騒ぎに乗じて、行ってしまったらしい。一度殴打したのちの永川が妙に落ち着いていたのは、こうなることを見越してのことだったのだ。
「布団に寝せてやったほうがいいのでは?軽いですから、どこでもお運びできますよ」
「有難うございます、しかし、いま間違って起こしてしまうと、暴れて大変なのでね。自然に目が覚めるまで、置いておくしかありません」
畳の上に安置されたマサユキの姿を、森野はふたたび眺めた。
長く伸びた黒髪を散らし、身を捻って畳に伏すその姿は、ちょっと見ると女のようでもあり…、よく見ると雑巾のようでもある。
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