それは、1通の招待状から始まった。 混沌への輪舞曲 先ほど校門で渡された手紙を握りしめながら、竜崎桜乃はにこにこと廊下を歩いていた。 始業前に青学に寄ったという彼は、桜乃の姿を見つけると彼にとっては珍しい笑みを浮かべ、おはようの挨拶をしてから胸ポケットから手紙を取り出した。 豪華な金の縁取りがされた白い封筒を桜乃は見つめる。 中にはクリスマスパーティの招待状が入っていた。 跡部家で開かれる盛大なクリスマスパーティに桜乃は招待されたというわけだ。 財閥の御曹司である跡部景吾の家では、毎年クリスマスイブの夜にかなり盛大なパーティが開かれる。 ただし、桜乃が招待されたのは著名人ばかりが集まるパーティではなく、跡部自身が開く内輪のパーティの方だった。 内輪とは言っても、招待客の数は数百人単位という、一般庶民から見れば大規模なパーティである。 ラフなパーティだというが、跡部の知り合いと言えば金持ちばかりだし、皆正装で来るだろう。 桜乃は何を着て行こうかとあれこれ悩んでいた。 「なに、にやけてんの」 廊下の曲がり角からかけられた声に、桜乃はあっという声を上げた。 慌てて桜乃は背中に手紙を隠す。 「お、おはよう、リョーマ君」 「おはよ」 声がどもってしまったけれど、それは今日に限らずいつもの事なので慌てる必要はない。 リョーマと跡部がいつも顔を合わせるたびに険悪な雰囲気になる事に桜乃は最近気付いていた。 二人を会わせる事よりも、桜乃自身が跡部に会わなければリョーマは安心するのだが、桜乃はそれには気付いていない。 その原因が自分にある事は露とも知らず、桜乃は二人を会わせる事を避けようと思っていた。 跡部からの招待状を背中に隠し桜乃は曖昧な笑顔を浮かべた。 自分ではいつもと同じように笑ったつもりなのだけれど。 「何背中に隠してんの」 リョーマには桜乃の隠し事など通用しない。一発で見破ってしまった。 「か、隠してなんか、ないよ」 「ふーん。じゃ、その、背中に回した手を前に持ってきてみてよ」 「それは・・・」 できない。右手にはまだ招待状が握られているのだから。 跡部からのパーティの招待状だと分かったら、きっとリョーマは桜乃と一緒に行くと言い出すと思う。 そしてまた、リョーマと跡部のいがみ合いを見なければならない。 心根の優しい桜乃にとって、誰かがいがみ合うのを見るのは嫌だった。 それに、普段は少し意地悪だけど基本的には優しいリョーマだったが、跡部といる時のリョーマは怖いと桜乃は思う。 だから、桜乃はリョーマに招待状を見せたくなかった。 竜崎桜乃、ファイトです。そう、心の中で呟く。 「なんにも隠してないよ、なんにも」 疑う顔のままこっちをジト目で睨んでくるリョーマに桜乃がにっこり笑った時。 「桜乃ちゃん。背中にあるこれは何?」 不二周助の登場で、桜乃の努力は全て無駄になった。 なんで一年生の廊下をわざわざ通りがかるのか知らないが、不二とその友人の菊丸英二が桜乃の後ろに立っていた。 不二は桜乃の手から封筒をひょいと取上げると、その裏に書かれてある文字を見る。 跡部景吾の名前を見つけた時、不二の目が鋭く光った。 「英二・・・」 低い声で傍らの友人に呼びかける。 言われた方はびくっとして、一歩不二から身を引いた。 不二の体から発せられるオーラの質が変わった事に、敏感なこの友人は気付いたらしい。 「・・・今すぐ、放送室をジャックしてきて」 「え?なんで俺が!?」 「いいから、早く、ね。僕もすぐ行くから」 不二に絶対零度の笑みで言われて、菊丸は逆らえずに廊下を走っていった。 見ていいかな?と桜乃に了解を求めると、不二は封筒を開ける。 中に入っていた招待状の文面をマッハの速度で読み、意味を理解すると、それをリョーマにほうった。 リョーマはそれをキャッチして、ひったくるように中身を読んだ。 「これは見過ごすわけにはいかないよね」 「そうっスね」 ふふふ・・と不敵に笑う二人の男の不穏な空気に、桜乃はなす術もなくおろおろとそれらを見守るだけだった。 5分後。 不二による緊急放送が学園中に響き渡った。 次に挙げる元・テニス部レギュラーと現・テニス部レギュラーは至急部室に集合するように、との命令に逆らえる者は誰もいなかった。 手塚、大石、乾、菊丸、河村、桃城、海堂、そして不二とリョーマ、おまけに桜乃は1時間目の授業をサボる事が決定した。 「というわけで、状況確認はこんな所だけど・・何か質問はあるかな?」 事情を説明し終わった不二が、ホワイトボードを指差しながらにっこりと皆を見渡す。 海堂が嫌そうな顔をしながらおずおずと手を挙げた。 不二が海堂の方に指示棒をびっと指した。 「はい、海堂。何かな?」 「・・・・・・なんで俺等がここに呼ばれたのか分からないんスけど」 「嫌だなぁ、今言わなかったっけ?悪の帝王から可愛いお姫様を守る為に、皆で一致団結して事に当ろうって言ったじゃない」 言ってねぇよ、とその場の誰もが思ったが、ツッコム勇気を持つ者はやはりいなかった。 不二は単に、跡部家でクリスマスパーティが開催される事、そしてそれに桜乃だけが招待されている事しか説明していない。 「あの・・跡部先輩は悪い人じゃないですよ・・?」 桜乃が小さい声でそう反論したが、不二はそれをにっこりと笑顔で受け止め、跡部がどれほど残虐で自分勝手で我侭で傲慢で俺様な人間かを桜乃に吹き込んだ。 お前も人の事言えないだろう、と他の部員は心の中でツッコむ。 跡部が悪の帝王なら、不二は悪の魔王だ。 それは全世界共通の認識だったが、悲しい事に桜乃には認識されていなかった。 「まぁ、そういう事で、要は皆で跡部の家のパーティに行こうっていう事だよ」 桜乃に色々な何かを吹き込み満足した不二は、立ち上がって皆を見渡す。 可愛そうに、桜乃は何を言われたのか、涙目になっていた。 その場に居た皆は桜乃に同情しつつ、不二に向き直った。 ここで話を聞いていなかったら次に不二に自分が何をされるか分からない。 不二は一人一人の顔を見て、予定を確認する。 「越前、もちろん君は行くよね?」 「当たり前の事を聞かないでほしいっス」 リョーマは当然という顔をして頷いた。 「手塚は?」 「俺も異論はない。竜崎の危機だからな」 妹のように可愛がっている桜乃の身を守る為に、手塚は厳かに頷いた。 「英二。デートとか言わないよね?」 「だいじょーぶ、その日は平気。不二は?約束してないの?」 「約束はあるけど・・・僕も大丈夫」 菊丸はげっという顔をしたが不二は涼しい顔をしている。 修羅場を想像し、菊丸は自分がその場に居ない事を祈った。 「俺、店の手伝いあるんだけど」 「タカさん。せっかくのパーティなんだし、その日は休んで」 河村がおずおずと断ろうとしたが、不二に一言で切り捨てられた。 「乾はもちろん大丈夫だよね?」 「俺はいつでも暇だからな」 桜乃の危機には興味はないが、パーティ自体に興味はある。 上流階級のパーティというものを1度経験しておくのもいいだろう。 乾はそう考えた。 「大石は?」 「桜乃ちゃんの危機なんだろ?俺も協力するよ」 大石は爽やかな笑顔でそう答えた。 「桃と海堂は?」 「俺は平気っスよ。パーティなんて楽しそうスね」 「・・・・・・・」 桃城はにこやかに片手を挙げたが、海堂は黙ったまま何も答えなかった。 不二はそれを肯定と受け取ったのだろう。 一同を見回すと、「じゃ、皆でパーティに行く事に決定したね」と言った。 大石が手を挙げて不二に発言を求めた。 「皆でって・・・そういえば招待されたのは確か桜乃ちゃんだけだろ?」 大石の当然の疑問にその場にいた全員がうんうんと頷く。 跡部家のパーティに行くのはいいとしても、招待制のパーティなので誰もが入れるわけではない。 招待状を持っている人間だけが入れるようにセキュリティも完璧だろう。 メンバーの中には行く気満々の者、あまり興味のない者とそれぞれいるが、たとえ行く気があっても、跡部家の鉄壁のセキュリティの前には入る事さえ適わないのではないだろうか。 不二は、やれやれとため息をつくと、「なんだ、そんな事か」と言った。 そして、乾を呼ぶと、桜乃から預かっていた招待状を見せる。 「僕の見立てでは君なら偽造が可能だと思うんだけど?」 不二から招待状を受け取り、乾は丁寧に、表、裏と見返し、傍らのパソコンに何か変な機械を繋げた。 それを招待状の表と裏に交互に当てる。 「紙自体は普通の紙だけど、ちょっと特殊な加工がしてあるね。でもこれくらいなら問題ないな。 あと、中の方に目立たないけど薄型のセンサーがついている。これがちょっとやっかいだね。解読してみないと分からないけど・・個人を特定する情報が入っていなければ、複製は可能だと思うよ」 カチャカチャとキーボードを叩きながら、乾はパソコンの画面に何かの情報を呼び出した。 それを後ろから覗き込みながら、不二は短く尋ねる。 「どのくらいかかる?」 「1,2時間もあればすぐに」 「分かった。後は乾に任せるよ」 部室内に乾が高速にキーボードを叩く音が響き渡る。 不二は満足そうに頷くと、残りのメンバーを振り返った。 「というわけで、招待状の問題は解決したから」 「・・・・不二先輩。それって違法って言いませんか?」 「大丈夫、大丈夫。銀行強盗するわけじゃないんだし、たかが個人のパーティに侵入するだけなんだからさ」 桃城の疑問を不二は笑って一蹴した。 侵入という言葉を使っているという事は、まっとうな方法でパーティに行く気がないという事である。 「あとは・・・衣装だよね。ちょっと待ってて」 不二は制服のポケットから携帯電話を取り出すと、どこかへ電話をかけた。 すぐに相手が出たようだ。 穏やかな声で不二は話し出す。 「あ、姉さん?至急タキシードを9着作ってほしいんだけど。うん、料金は学生料金で格安にしてよね。それから料金の請求は跡部家の引き落としにしてほしいんだ。うん、大丈夫。セキュリティは簡単に突破できるから」 そして不二は乾を振り返った。 「乾、皆の服のサイズのデータはもちろんあるよね?」 「ああ、大丈夫だ。すぐに出そうか?」 「うん、お願い。・・・・・あ、姉さん?すぐに詳しいサイズをメールで送るから。あ、それからドレスも1着。イメージ?・・・うーん、・・・・・ピンクのチューリップ、かな?・・・・・・・そうそう!そんな感じ!!さすが姉さん、僕の心が読めるようだね!」 電話の終わった不二を手塚が真顔で見つめた。 「・・・わざわざ、作る必要はないんじゃないか?レンタルで済ませば充分だろう」 「レンタル?そんなものあるんだ?・・でももう注文しちゃったし、払うのは僕等じゃないし」 「それこそ違法な気がするんだが」 「大丈夫だよ、手塚。僕を誰だと思ってるの?僕と乾の力をもってすれば、跡部家に気付かれずにタキシード9着とドレス1着分くらいのお金、捻出できるさ、簡単にね」 嫌な部員を持ったものだと手塚は思ったが、口にも出さなかったし、顔にも出さなかった。 他の部員は犯罪の片棒を担がされる事に顔面をひきつらせている。 ココまで来たらもう後まで引けない。 だが、勇敢な者が1人だけ居た。 「ちっ、くだらねぇ」 海堂はがたんと席を立つと出口へ向けて歩き出した。 桃城の制止の声に機嫌悪そうに振り向くと、「俺には関係ねぇ」と、低い声で呟く。 海堂の目の前に不二が立ちはだかる。 身長は海堂よりかなり低いはずなのに、妙な威圧感を感じて、海堂は思わず1歩後ずさった。 「分かってないようだけど、君に拒否権なんてないんだよ、海堂」 不二は開眼して海堂を見る。 「どうしても行かないっていうなら、僕にも考えがあるなぁ・・・」 ここで不二は突然大きな声を出した。 「そうそう、皆聞いてくれる?海堂ってね、可愛い過去があるんだよ。幼稚園の七夕の時にね・・」 「だあ~~~~~~!!」 海堂は慌てて不二の口を押さえた。 「ふ、ふ、不二先輩、な、なんでそれ、知ってんスか?」 「小鷹に聞いたんだよ。誰にも言わないでくれって事は誰かに言ってくれって事だよね?」 悪魔のような笑みを浮かべて、不二は海堂の顔を見る。 ポニーテールの後輩の姿を思い浮かべて、海堂はあのやろう、と歯軋りをする。 彼女が不二に脅されて泣く泣くその情報をしゃべったとは、露とも考えなかった。 海堂が幼稚園の七夕の時に短冊に書いた願い事が、『小学校に入ったら友達100人できますように』だという事を。 脱力した海堂の襟首を掴んでずるずると部室内に戻した不二は、桃城の隣に海堂を放り投げると、部室内の全員の顔を順番に見た。 「それじゃ、最終確認をしようか。12月24日午後7時からパーティは始まる。着替えなきゃいけないし、午後6時にはここの部室に集合してね。その頃までには服もできてると思うから」 ここで不二は、隅の方でうつむいて小さくなっている桜乃を振り返る。 「桜乃ちゃんのドレスは家に届けてあげるから家で着替えてね。そのまま直接6時半にここに来て」 「はい・・・」 なんだか大変な事になってしまったと、青くなりながらも桜乃は小さく頷いた。 ピンクのチューリップをイメージしたドレスというのにも多少興味はあるが、それ以上に、その日何が起こるのか怖かった。 桜乃自身には多分危害はないだろうが、周りがどうなるか分からない。 いつもいつも、跡部と不二やリョーマが会った時には大変な事になるのだから。 跡部先輩、ごめんなさい、と桜乃は心の中で小さく謝った。 謝った所で言われた本人には聞こえないし、事態がどう変わるわけでもないのだが。 「あ、それから」 不二がぽん、と、両手を打って天井を見上げた。 「皆、ラケットは必ず持ってくるようにね」 パーティに行くのに、正装で行くのに、なぜそんな物が必要なのか分かっている者は少なかった。 リョーマだけが当然っスよ、と不二を見た。 NEXT 2002年12月21日 |