RHYTHM EMOTION


氷帝学園前のバス停へ1人の少年が降り立った。
バスが黒い排気ガスを排出しながら走り去るのをちらっと眺めると、歩き出す。
氷帝学園正門前に着くと、その巨大な校舎を眺めた。

彼女は今ここにいる。あの猿山の大将の招待を受けて。
たまたま今日OBとして不二は練習に参加していた。
今日の部活終了後に不二先輩に教えてもらわなければあやうく見逃す所だった。

彼の姉の占いもよく当るらしいが、彼自身の眼力(インサイト)の力もなかなかだと思う。

悔しい事に、今まで桜乃絡みで不二がその眼力の能力で見た物を誤った事はなかったから。

自分が汗水たらして部活に励んでいる間に、桜乃とめくるめく楽しい時間を過ごしている跡部の事をリョーマは許せなかった。
それよりも、跡部の誘いを受ける桜乃の事も許せなかった。

なんか知んないけど、むかつく。
胸の内でそう呟き、正門の横で涙を流しながら焼きそばパンを食べている3人組を不審に思いながら、リョーマは正門の中に1歩足を踏み出した。



一方桜乃は跡部と一緒に部活棟に来ていた。ここは、様々な部活の部室が並んでいる。

文化祭の解放地域ではないので立ち入り禁止区域にされているのだが、跡部がそんな事を気にするはずもない。
俺が来たいからここに来た、という勝手な理屈で実行委員を強引に説得し、また、彼の祖父が学校の理事の1人であり、多大な寄付金を納めている事を教師陣は知っている為に、実行委員に泣きつかれた教師は見て見ぬ振りをしろと言った。

テニス部の部室の前に二人は来ていた。男子テニス部の部室はいくつもある。
まず、普通の一般の生徒が使用する部室。そして、準レギュラーの使用する部室。
最後に正レギュラーの使用する部室(バス・トイレ付)

そしてもう1つ部長専用個室なるものがある。
跡部が部長になった時に空いていた部屋の1つを改造して部長権限とやらでそれに変えたのだ。
多額の寄付金を失いたくない学校はもちろん何も言わなかったし、自分も専用個室を持っている為、監督の榊太郎も何も言わなかった。

ポケットから鍵を取り出し、跡部は部長専用個室の鍵を開けた。
テニス部を引退した跡部は、実質的には今はもう部長ではない。
しかし現在の部長(鳳長太郎)が、この部屋を使う事を辞退したのだ。

「跡部先輩がいるうちは先輩が使って下さい。俺は皆と一緒の部室がいいです」

跡部が部長職の様々な雑用と共にこの部屋の引継ぎをしようとしたら、長太郎は冷や汗を流しながらそう言った。
というわけで。跡部は未だにこの部屋をよく使用していた。
何かと便利だから、である。


鍵を開けると跡部はドアを大きく開けた。
優雅にお辞儀をし、桜乃を中に入れる。

「さ、どうぞ、お姫様」
「うわぁ~」

中の様子に桜乃は歓声を上げた。
少なくとも、それは『部室』というカテゴリからはかけ離れた物だったと言える。

「すごい、すごい、天蓋付ベッドがあるんですね!」
「ああ、気持ちを落ち着けて休めるようにクラシックの演奏付だ」
「わぁ、お風呂まで付いてる~」
「汗をかいたらすぐに洗い流せるからな」
「トイレもあるんですね」
「部活棟のトイレは校舎の端にしかないからな。間に合わないと困るしな」
「テレビもビデオもあるんですね」
「色々と資料や研究に必要なんだよ」
「ゲーム機まであるんですか」
「リラックスする為に必要かと思ったんだが、つい熱中してその気がなくなるのが盲点だったな」

部屋のあちこちをきょろきょろと興味深そうに眺めていた桜乃は、真ん中のテーブルにある機械を見つけ、不思議そうに触った。
あまりあちこち触ると壊してしまうかなと思い、少し触れるだけにする。
真っ黒い球体のあちこちに丸い穴が開いている機械。
どこかで見たような機械だなと思ったけれど、思い出せなかった。

「跡部先輩、これは何ですか?」
桜乃が笑顔で示した物を跡部は丁寧に持ち上げる。

「説明するより見た方が早いな。ちょっと待ってろ」
言うなり、リモコンで部屋の電気を消した。窓のないこの部屋はとたんに真っ暗になる。

「わっ、跡部先輩、真っ暗ですよ」
「いいから見てろ」

ぽっ、と灯りがついた。
「うわぁ・・・・」
天井を眺め、桜乃は感嘆のため息を吐いた。


天井一面に星空が浮かんでいた。
プラネタリウムのようにカーブした天井に、満点の星が輝いている。

「綺麗だろう?」
「はい、すっごい綺麗です!」

桜乃の満面の笑顔に、跡部も微笑を浮かべた。
その瞳が真剣になり、桜乃の目を見つめる。

「でも、君の方がもっと綺麗だ、桜乃ちゃん」
「はい?」
「空に輝く星の瞬きよりも、一輪の薔薇の美しさよりも、それさえ霞んでしまうほどだ・・・」
「あ、あの・・・」
「今のままでも十分綺麗だが、俺がもっと綺麗にしてやろう」

跡部に真剣な瞳で見つめられて、桜乃はずるずると後退した。
跡部の視線をそらす事ができない。
桜乃は追い詰められていった。

跡部が桜乃の腰を引き寄せる。桜乃はバランスを崩し、天蓋付きベッドに仰向けに倒れこんだ。
跡部がその上に覆いかぶさる。


「星でも見てろ。すぐに終わらせる」


天蓋付きベッドなので天井なんて見えませんよ、というツッコミを桜乃に期待する方が酷だろう。
跡部が桜乃のブラウスのボタンに手をかける。
桜乃は全く抵抗しない、いや、突然の事にびっくりしすぎて抵抗しようという考えすら起こらなかった。


桜乃のブラウスのボタンが1つ外された時。
ノックもなしに唐突にドアが開けられた。


ばたんっ!!
大きな音を立てて開けられたドアを、跡部はベッドの上から振り返る。

「失礼、使用中か」
巨乳美人の金髪の女性の肩を抱きつつ現れた榊太郎が、無表情なまま跡部に会釈した。

「邪魔したな、跡部」
「いえ・・・」

淡々とそれだけを言うと、榊は何事もなかったかのように静かにドアを閉めた。



「・・・・・」
「・・・・・」

気にせず跡部が続きを再開しようとした時、またノックもなしに、唐突にドアが開いた。

「やっ・・・と・・・見つけ・・・・た・・・・・・・」
肩でぜーはーと息をしながら、トレードマークの帽子を被りなおしつつ、越前リョーマがそこに立っていた。

リョーマは瞬時にその場の状況を把握する。
ラケットとボールを取り出すと、桜乃の上にいる物体に向かってサーブを打った。

ぱこーん

小気味いい音を立てて、ボールは跡部の鼻面へと命中する。
「ばぁうっ」
意味不明の悲鳴を上げながら、跡部はもんどりうって桜乃の上へと倒れこんだ。

「きゃっ」
ボールを打つのと同時に前へ走りこんでいたリョーマが、跡部が桜乃の上に倒れこむ前に救出する。
跡部はうつぶせにベッドへと倒れこんだ。

「なに、やってるの、こんな所で」
ベッドに腰かけ、寝乱れた桜乃のみつあみをほどきながら、リョーマは桜乃の顔を睨んだ。

「なにって・・・跡部先輩に文化祭に招待されて・・・」
「ふーん、日本の文化祭って人のいない所で二人きりで行うものなんだ」
「ち、違うよ・・・これは、跡部先輩が部室見せてくれるって言って・・・」


リョーマは桜乃の言い訳を最後まで聞いていられなかった。
後ろからの人の気配にとっさに桜乃を突き飛ばし、手探りでラケットを探す。
が、グリップの硬い感触はリョーマの手には戻らなかった。

「小僧。俺の楽しみの最中に手を出すとは、ただですむとは思ってないだろーな?」
「本当に楽しみたいなら鍵くらいかけとくんだね。まぁそれで助かったけど」
「うるせーな。鍵はちゃんとかけたはずなんだよ」

ベッドの上でリョーマにマウントポーズを取りながら、跡部はいまいましそうに舌打ちした。

突き飛ばされた桜乃は床に起き上がり、二人のそんな様子を見て、はっと口に手を当てた。
なんだかよく分からないが、二人が喧嘩しそうだというのだけは分かった。
しかし分かった所で桜乃に何かができるわけでもない。

「いつもいつも俺様の邪魔しやがって」
「いつもいつも俺のモノに手をだしやがって」
「あんだと?やんのかコラ」
「ガンガン行くよ」


その時、また唐突にノックもなしにドアが開いた。
「跡部。そこのモノは確か私が全部使ってしまったから、私の予備を持ってきた」
小袋を掲げながらドアの影から顔を出した榊は、中の様子を見て、一瞬驚いた顔をした。
先ほど連れていた金髪の女性は側にはいない。

「失礼。また取り込み中だったか」
そう言いながらつかつかとベッド脇のサイドテーブルに近寄る。
サイドテーブルの引き出しにソレをしまうと、榊はまたコツコツと部屋を横切る。
床に座り込む桜乃には目もくれない。

「監督。1つ聞きたい事があるのですが」
榊を跡部が呼び止める。
「この部屋の鍵、もしかして持ってますか」

跡部の言葉に榊はくるりと振り返る。
顔の横に何かをかかげた。

「これの事か」
「・・・なんで監督が持っているんですか」
「部長であるお前の物は監督である私の物だ。それは全世界共通の認識だろう」
「・・・・・・・・」
「それにここの部屋の方がソノ雰囲気に持っていきやすいのでな。大分使わせて貰っている。感謝しているぞ」
「そうですか・・・」

跡部の言葉に榊は質問タイムは終了だと思ったらしい。
歩みを進め、そのまま部屋を出て行こうとしたが、何かを逡巡した後、ドアをくぐる間際に振り返った。


「お前はもう引退したし、私が言うべき事ではないかもしれんが・・・非生産的な愛に走るほどむなしいものはないぞ?」

どことなく憐れみを込めた視線を跡部に一瞥すると、榊はそのまま部屋を出て行った。


「・・・・・・」
「・・・・・いい加減どいてよ猿山の大将。俺、男に押し倒される趣味ないんだけど」
「俺にだってあるか、ボケェ!!」

リョーマの上から跡部は即座に飛び降りた。リョーマはやれやれと身を起こす。

「てめーのせいで監督に変な誤解されちまっただろーが。明日から俺がホ●だって噂が広まったらどうしてくれるんだよ」
「自業自得」
「なんだと」
「さっきも言った。俺のものに手を出すからだよ」

至近距離でがーがーと言い合いを続ける跡部とリョーマ。
その様子を桜乃はぼんやりと眺めていた。
色々な事が1度にありすぎて、理解できない。


「二人とも女の子をほっておいて喧嘩なんて、人間ができていないね」
すぐ側から聞こえてきた穏やかな声に、桜乃ははっとして隣を見た。
いつの間に側にいたのか、それ以前にいつの間に部屋の中に入ってきたのか、不二周助が桜乃の背と膝の裏に手を回していた。
そのまま桜乃を抱き上げ、不二は鋭い目で二人を見た。


「桜乃ちゃんは僕が家に送っていくから。君達は好きなだけ喧嘩してるといいよ」
「ちょっと待て。お前最後にいきなり来て、おいしい所持ってくんかよ」
「僕はそういう役回りだからね」

あははと笑いながら不二は飛ぶような速さで走っていった。
「追え、樺地」
とっさにそう言ってしまってから、樺地はずっと正門に置きっぱなしだったという事に跡部は気が付いた。
舌打ちをしながら跡部は不二の後を追って走り出す。リョーマはとっくに帽子やラケットを拾い、出発していた。



その日の午後、氷帝学園全校舎を対象に行われた跡部・越前・不二による鬼ごっこは、不二周助の圧倒的な勝利に終わった。


帝王も魔王の前には適わなかった。
意気揚々と姫を抱えて正門を出て行く魔王の後ろ姿を、帝王はハンカチをかみしめながら見送り、彼の忠実な僕がそれを慰めていた。


王子は帰りのバスに乗る所で、魔王の手から姫を奪還する事に成功したが、魔王は呪いを残していた。
姫は今日一日、どれだけ帝王といて楽しかったかを主張し、話も聞かず帝王を攻撃した王子を責めた。
魔王も攻撃した王子を責めた。
姫は魔王も帝王も王子様だと信じていたので、王子にはその誤解を解く術はなかった。


今年度の氷帝学園文化祭は、様々なしこりを残したまま、こうして幕を閉じた。



2002年11月11日



《終》


リョ桜にするはずだったのに、なんでラストが不二の1人勝ちなんだろう・・・?
駄目だね~不二を出すと。どうしても不二が最強になってしまう。
氷帝文化祭跡桜後編です。一番書きたかったのは太郎です。
氷帝メンバー全員出したかったんだけど、結局忍足と岳人と滝と日吉とジロちゃんは出せませんでした。
次の機会に出したいと思います(マジですか)