110:セピア[ジン+ケイオス]
「ジンさん……まだ寝ないんですか?」
畳を敷き詰めた和室。
夜も更け、薄暗い部屋で仄かな照明の中、ジンは大型の本を広げ眺めていた。
背後からの声に首をゆっくりと回し振り返る。
「ケイオスくんこそ、まだお休みになられていなかったのですか?」
「少しうとうとしていたんですが、目が覚めてしまって」
「そうですか」
ジンは本のページをぱらりとめくった。
ケイオスはゆっくりと近づきジンの肩越しに本を覗き込んだ。
「あれ? これ……写真? 本ではなかったんですね」
「ええ、これはアルバムです。紙に人の姿や風景を焼き付け保存しておくんですよ。珍しいでしょう?」
「本当に。しかも、単色ですね」
「そう、フルカラーではない。セピア色のモノトーンに焼き付けた写真です」
ケイオスはアルバムに貼られた一枚の写真を指でさす。
「この小さい子はシオンですか?」
ジンは嬉しそうに笑った。
「ええ、かわいいでしょう? 兄馬鹿と思われるでしょうが小さいころのシオンは本当にかわいかったんですよ」
「ええ、本当にかわいいですね」
ジンは大きく息を吐いた。
「今日は……みっともない兄妹喧嘩を見せてしまって申し訳なかったです」
なじみのカフェでばったり妹に会った。
第二ミルチアに寄るなどという話は一言も聞いていない。あそこでばったり会わなければ、シオンは兄に会わず黙って第二ミルチアを去るつもりだったらしい。
自分は本当に妹に嫌われている。
ジンは嘆息した。
「ジンさん、シオンだって本当はわかっているんですよ。あなたがシオンを心から大切に思っているかなんて」
「ええ。でも、私があの子のと思いやることはすべて裏目に出てしまいます。あの子を苛つかせるだけなんですよ。わかってはいるのですが、どうしていいか検討もつかない。やはりダメ兄貴ですね」
ジンは寂しそうな笑みを口許に浮かべ更にアルバムのページをめくった。
ぱらり……。
「これは、道場ですか?」
「はい、ウヅキ家はずっと剣術を継ぐ家系なんですよ。私も祖父について幼いころから剣術を学んできました」
「ジンさんの強さは子どもの頃からの修行のたまものなんですね」
道場のスナップ写真。
それをざっと目で追う。数枚ページをめくったところである写真が目に止まった。
自分の表情が険しくなっていくのがわかった。
ケイオスもこの男を知っている。旧ミルチア、あのミルチア紛争で成り行きとはいえ、一緒に戦ったのだ。
――この男は?
ケイオスがそう口にだしてしまう前にパタンとジンはアルバムを閉じた。
そして、ケイオスのほうを振り向くと穏やかに笑った。
「兄弟子ですよ。剣術の」
「ジンさん……」
「セピア色の写真はね幸せだったころの時そのまま閉じこめいるような気がします。眺めているとですね、自分はもしかしてまだ辛いことなど知らない時間の中に本当はいるのではないかと……そんな錯覚に陥るんです。現実逃避なんだな、これは」
ジンは立ち上がりアルバムを棚に戻した。
「あの、ジンさん……」
「無駄話が過ぎました。そろそろ休みましょう」
何かを言いかけるケイオスを遮り、振り返れば目があった。
ジンを見つめる瞳。
不思議な目だ。悟り切っているような、どこか老成された光を湛えた瞳。
この少年はいったい何十年、何百年、いや何千年生きてきたというのだろうか。
「ジンさん……世界がまたあなたを必要としています。だから……」
「ご心配なく……わかっていますよ。そのくらい。断ち切ってみせますよ」
そう答えるジンに、ケイオスは微笑み頷いた。