035:欠片[ユリ+ジギ+モモ]
U.M.N.管理センター。
モモはそこにいた。
旧ミルチア出発前の最後の調整を行うために。
「神経回路も異常ありません」
ユリは胸をなでおろす。
データを守るために自ら切断した神経回路。
不安だった。理論上大丈夫と思っても、いつ異常がでるか。
もしも……、と悪いことばかり頭をかすめる。
まるで心配性の母親だとユリは内心苦笑した。
レアリエンとはいえ、モモの身体は人間と同じ。親でも医者でもすべてを把握することはできない。
サクラがそうであったように。
「断片化したデータが散らばっていますが……。解放しますか? まったく用のないデータです」
管理センタースタッフが、ユリに訊いた。
ユリのすぐ傍で腕を組み待機していたジギーが顔を上げユリを見た。
目が合う。
「ミズラヒ博士」
ユリはジギーにかるく目配せをして言った。
「残して置いて支障があるかしら?」
「いえ、まったく」
「では、そのままでかまわないわ」
「はい」
調整は滞りなく終了し、あとはモモの目が覚めるのを待つ。
ユリはジギとーテーブルを挟んで座り、コーヒーを飲みながら談笑する。
「ごねんなさいね、私ばかりコーヒーを飲んで」
「いや、コーヒーの香りは楽しむことはできる」
ユリはカップをソーサーに置いた。
かちゃりと音がした。
「あなたにとって、モモはどういった存在なのかしら」
ジギーは目を伏せる。
「前に、息子がいたという話をしたと思う。事故で亡くした」
「ええ」
「愛していた。だから、息子を失ったとき迷うことなく死を選んだのだろう。自分が軽い気持ちで行ったドナー登録のことも忘れて。愚かなものだ」
「でも、あなたはサイボーグとして復活してしまった」
「ああ、そして長い長い時間の中、あれほど愛していた息子のことも、断片でしか思い出すことはできなくなっていた。息子がどんなふうに笑ったかさえ、思い出せないこともあった。そして、その中途半端な思い出の欠片がノイズとなり俺を苦しめる」
「だから、生前の記憶断片の消去を望んだのね」
ジギーは黙って頷いた。
「でも、モモからジギーと呼ばれ、モモが笑いかけてくれたときから、息子の笑顔がはっきりと浮かぶようになった」
「辛かった?」
ジギーはゆっくりと、首を横に振った。口許には苦い笑みが。
「モモの笑顔は、息子を愛していたこと、誰かを愛するということを思い出させてくれた。もっとも、息子を奪った者に対する強い憎しみも思い出してしまったが」
「そう……」
ユリは膝の上で指を組み俯いた。
「ミズラヒ博士、一つだけ訊いていいか」
ユリは顔を上げる。
「何かしら」
「モモの調整のときのことだ。データの断片を消去しないように指示をしていたな。何故だ」
「モモの生体構造をすべては把握できていない。そして、モモの記憶は彼女が生まれてから見て、聞いて、触れてきたもの。人間は無駄なものばかりだわ。でも、どんなに無駄にみえても、本当は無駄なものなんて一つもない。モモも同じよ。あれはね、モモの心の欠片なのかもしれない。だからね、あなたも考え直して欲しいのよ」
ユリは首を傾げジギーに微笑んだ。
「何をだ?」
怪訝な顔をして、ユリを見る。
「あなたが、今回の任務終了時に報酬といして要求したことよ。……記憶断片の消去」
ジギーは、はっとした顔をした。そして、言った
「わかった。考えておこう」
その時、「ママ、ジギー」と呼ばれて振り返る。
モモが小走りに駆け寄ってくる。
「モモ、もう大丈夫なんですか?」
「はい、モモは元気です」
「それはよかったな」
ユリは、視線を交わすジギーとモモを見つめる。空気が優しく暖かい。
「あの、ママとジギーは何をお話していたんですか?」
「秘密」
「秘密だ」
二人は同時に答えた。