248:背伸び[赤+黒]
あと、少しだ……。
う、むーん。
指先が触れている。でも、掴むことはできない。
思いっきり、つま先立ちになり片腕をぐいっと伸ばす。
ぐ、ぎゃーーーーっ!
腕から肩へかけてずきりとした、つっぱるような痛みが走った。
しゃがみこんで、肩を押さえJr.は呻いた。
「うっ……。チックショー。なんでこんな高いとこにおくんだよ、バカヤロー、クソッタレ」
その時、ドアが開きガイナンが部屋へ入ってきた。
「どうしたんだ? Jr」
「本を取ろうとしただけだ」
強い痛みに顔面蒼白になりながら、Jr.はガイナンに向かって恨みがましい目を向けた。
「それで、腕をつったな。無理して取ろうとするからだ。素直に人に頼むか踏み台使うことを考えろ」
「なんだよ、なんであんな上にあの本置いているんだよ! 俺に対するいやがらせか? ガイナン」
悪態をつくJr.に、ガイナンは嘆息し冷静に論した。
「いやがらせをしているつもりはない。この蔵書のうちの二割は、おまえの身長では届かないところに置かざるを得ない。不満があるのなら、どの本をどこに置くか、リスト一覧を作ってくれ」
「そんなことわかってら。そういったことを言っているんじゃない!」
そうだ、ただの八つ当たりにしか過ぎない。意味の無い八つ当たりなんだから、素直に聞き流せっていうんだ。それを冷静に返されるとかえってむっとする。
ガイナンは、さっきJr.が取ろうとしていた本をひょいと抜き出した。背伸びをすることもなく軽々と。
「座っていろ。痛みはじっとしていればすぐに落ち着く」
ガイナンはソファーの前のローテーブルに本を置き、Jr.に座るよう促した。Jr.は言われるままに、ソファに腰をおろした。
痛みは徐々におさまり、ほとんど気にならなくなっていた。
ガイナンは黙ってJr.の前にコーヒーを置いた。
「あ、サンキュ」
少し憮然として、それでも一応礼を言う。
「どうだ、痛みは収まったか?」
「ああ」
Jr.はコーヒーを口につけながら、先ほどの子どもじみた自分の醜態を思い出していた。あれではまるで駄々っ子だ。Jr.はガイナンと同い年、生まれた順番で言えばJr.のほうが兄貴になる。
ガイナンは見た目も、その言動もきちんと大人のものになっている。それなのに、自分はといえば、普通に子どもに見られる。少し前までは見た目が見た目だから、どうしようもないと思っていた。が、冷静に振り返ると自分は、その言動そのものが子どものものでしかないとJ気がつきはじめていた。
特に、会話の中の語彙。読書家のJr.は言葉を知らないわけではない。そういった場であれば、それなりの会話や議論をすることもできる。しかし、普段の自分の会話の子どもっぽさといったら。冷静になれば、ほとんど意味なさない言葉ばかり口にしていなかったなんてことはよくあることだ。ほとんが、『コノヤロー』とか『チクショー』とか『くそっ!』とか『てめー』とかだ。特に感情的になると、この手の言葉しか出てこない。
「ガイナン。八つ当たりして悪かったな。俺、おまえより兄貴なのに、なんでこうガキっぽい反応ばかりするんだろうな」
「え? ああ、おまえはサービス精神旺盛だからじゃないか? チビ旦那は無鉄砲で無邪気な、でも頭のいい子ども。そういった周囲の期待に応えようとしているだけだろう」
「なんだ、そりゃ?」
「まあ、どちらでもかまわないさ。過剰適応にさえならなければな。実際どっちが過剰適応だかわからないぜ。私ガイナン・クーカイが、クーカイファウンデーション理事という肩書きと大人の外観に合ったふるまいをしているのと」
Jr.はガイナンの顔をまじまじと見た。意味ありげな笑みを口元に浮かべていた。もしかすると、周囲から大人を期待されているガイナンは、子どものままでも許される自分のことが少しうらやましいのかもしれない。Jr.はなんとなくそう理解した。