127:カップ[ジン*ペレ]
「もう一杯、紅茶はいかがかしら?」
そう言いながら、ペレグリーは返事を待たずジンのティーカップに紅茶をつぎ足した。
「ありがとうございます。良い香りだ」
昨晩、報告書を纏めるためにペレグリーのマンションを訪れた。もちろん、仕事はさっさと片づけ、後は朝まで一緒にいる。それが、いつの間に当たり前のような自然なことになっていた。
朝食は、パンとサラダ、卵にスープという毎度のパターンだった。
今日は紅茶だが、コーヒーのこともある。
「コーヒーカップ買わないといけないわ」
ペレグリーが紅茶の飲みながらぽつりと言った。
「どうしたんですか?」
「割ってしまったのよ。うっかりね。古い製法のまま磁器で作られているから、割れるときは割れるわ」
「金と紺色のラインが縁に入ったのですか?」
「ええ、それよ。生産中止になっていなければいいんだけど」
「そうですね。あれは、とても素敵なコーヒーカップでしたからね」
ペレグリーは、カップでもプレートでも、どれでも二つを一組にして揃えている。だから、一つが割れてしまって、同じ品番が手に入らなくなっていると、残ったほうは簡単に手放してしまう。どんなに高級品であってもだ。
一つは、彼女自身が使うための食器。では、もう一つは? 誰のために用意するのか。
そう、何度か口に出して聞こうとしたことがあるが、答えは簡単に予想がつくことなので、やめた。
――この部屋に、一度に二人以上を招待することはないからよ。それ以外に理由があって? それとも、あなたの為に用意しているとでも言って欲しいのかしら。
たぶん、そんな答え。
その時にするだろうペレグリーの表情を想像して、ジンはくすりと笑った。
「何を笑っているのよ」
ペレグリーがきっと睨む。
「あ、いえすみません。あなたも意外にそそっかしいと思って」
「まあ、否定できないわ」
ジンはソーサーにカップを置いた。
「でも、不思議ですよね。この脆い磁器と、ほとんど同じ質感、発色、デザインで割れないカップを作ることは可能で、それが実際に作られているのに、人はそれをあまり欲しがったりはしない」
ペレグリーは一敗目の紅茶を飲み干すと、二杯目の紅茶を自分のカップに注いだ。
「だって、そんなもの偽物だからよ。割れないカップなんて美しくないわ。何の魅力も感じない。割れるかもしれない。壊れるかもしれないと思うから、慎重に扱って大切にするの。それでも、割れるときは割れるわ」
ジンは黙って頷いた。
ふと窓の外を見れば、ブラインドの隙間から入り込む朝日が眩しかった。
起きたときは日の出前だったのだが、いつの間に時間が経ってしまったようだ。
「おや、随分と時間が過ぎてしまったようですので失礼しますよ。食器を片づけるお手伝いはできないようですので、すみませんが」
「かまわないわ」
ジンは身をのりだしてテーブルの向かい側に座るペレグリーの髪を数回撫でる。頬に手のひらを添え、軽い口づけを交わした。
顔を少し離したペレグリーはいたずらっぽく笑った。
「今度スケジュールが合うのはいつかしらね」
「さあ? その時までお元気で」
「あなたも死なないでね」
ジンは笑って上着を掴み玄関へと向かった。