217:注目の的[シオン+マスター]
「嘘……」
カウンターでカレーを口に運びながらマスターと雑談をしていたシオンのスプーンが、開きかけた口元を目の前にしてピタリと止まった。
「嘘なものか、シオンちゃん。お兄さんはあれでも、女性にもてるんだから」
「信じられない」
「この街では有名人で人気者だって知っているよね」
「ええ、まあ……。あの妙な格好じゃ、目立つし何をやっても注目されるんじゃないかしら。でも、それって、動物園で珍獣に人気が出るのと同じよ」
マスターは笑った。
「そりゃ、ひどい言われようだな。若い女性の間では『すてきな人』になっているんだよ。告白したいと思っている女の子、何人か知っているよ」
「あんな変人のどこがいいのかしらねぇ。でも、それなら兄さんに恋人とかいないのかな。もういい年なんだし、結婚もしないでふらふらとしているのは妹として迷惑よ。ねえ、どうなの? 兄さんが結婚を考えている相手っていそう? 何か知らない? マスター」
マスターは食器を片づけていた手を止め、振り返った。
「誰かとつきあっているという噂は聞かないなぁ」
カレーを食べ終えたたシオンの前に、マスターはアイスティのグラスをおいた。シオンは頬杖をついて、ストローでアイスティーをかき回す。氷が涼しげな音をたてた。
「兄さん本当に鈍いから」
鈍いのはシオンちゃんも負けてはいないだろうと、マスターは言いかけた言葉を飲み込み苦笑した。
「いや、お兄さんは女性が自分に好意を持っているって、気がついているように思うよ。わかっているけれど、心を動かされる女性がいないんじゃないかな。あるいは……」
「あるいは?」
「もしかすると、心に決めた人がどこかにいるのかもしれないね」
「もう、だとしたら、じれったいわよ。さっさと告白するなりすればいいのに」
「まあ、人には身内ですらわからない事情ってものがあるものさ」
「そんなものかしらね」
シオンはアイスティのストローをくわえた。
ハイスクール以来久々に会ったシオンは、ずいぶんと大人びていた。兄に手をひかれた、幼いシオンが目に浮かんだ。
ジンはミルチア紛争で両親を失い、幼い妹を育てることを第一優先にしていたという。もし、そのころに恋人がいたとしても別れざるを得ないのではないか。そんな想像をして、そのメロドラマ的陳腐さに胸中で吹き出しそうになった。
それでも、あのころのジンの年で幼い妹を育てるなど並大抵なことではない。それは間違いない。
その妹は兄を嫌って、ハイスクールを卒業すると、さっさと第二ミルチアから出ていった。
兄がやることは妹にとって、いつも余計なことでお互いの思いはすれ違ってばかりだ。なにかをやればやるほど、妹は苛立ち兄は途方に暮れていた。
「ねえ、マスター。私ね、会社の命令で、また第二ミルチアを離れることになったの。またしばらくお別れね。兄さんにも当分会わなくてすむと思うとほっとするけれど」
シオンは帰り支度をはじめる。
「そうか。またこっちに来ることがあったら、寄っておくれよ。実家に帰るついででいいからさ」
立ち上がりドアに向かうシオンは振り向き、にっこり笑って手を振った。
「実家がついでよ。じゃあ、兄さんをよろしくね。はやくいい人見つけるようにマスターからも言ってよね」
「シオンちゃん、なんだかんだ言ってもお兄さんが心配なんだね」
「ち、違うわよ。結婚もしてくれないと妹の私が迷惑するのよ。もう変なこといわないでよね」
むきになって否定するシオンに不器用な兄妹だとマスターは苦笑した。