171:投げる[トリ*ネス]
「あの鈍感男。だって、どんなにあたしが色っぽく誘っても仏頂面崩さないのよ」
トリスは口を尖らせた。
ふと顔を上げれば、アメルは真っ赤な顔をして固まっていた。持ち上げたティーカップが宙で止まったままだった。
しまった。アメルに相談する内容ではなかった。アメルは仮にもトリスよりも年下の純情可憐な女の子なのだ。
「あ、お菓子あるよ。もっと食べる?」
トリスは照れ笑いをして、話題を変えた。
トリスは悩んでいた。
待ち望んだ人は二年の時を得てやっとトリスの許へと帰ってきた。
あれから二年も経ったのだ。彼の時は止まっていたかもしれないが、トリスは確実に幼さが抜け、女っぽく大人びてきた……と自分では思っている。
だから、その年の愛する人がいる女の子が恋人に何を望んでいるかなんてわかってもよさそうなものなのに。
キスすらしてくれないなんて、恋人といえるのだろうか。
強引に襲ってやろうかとも思ったけれど……拒否されてしまえば、たぶん立ち直れない。
「ネスのばかぁ……」
胸の奥でそんな言葉を呟きクッキーを口の中に放りこみ紅茶で喉へと流し込んだ。とても苦い味のクッキーだった。
「トリスと離れて暮らしたいと?」
「はい、養父さん」
ラウルの蔵書整理を手伝いながらネスティは養父であるラウルに相談していた。
「何故だね。おまえたちはうまくいっていると思っていたのだが。トリスを好きでなくなったのか? それとも、トリスが……?」
ネスティは淡く笑んで、首を横に振った。
「彼女の幸せのためです」
「益々わからんな」
「今別れればまだ傷は浅くて済みます。お互いに。だから……」
「何故別れる必要がある?」
「僕は融機人です。大樹になって戻ってきてから、確かに免疫を維持する投薬は必要なくなりました。それでも、僕の持つ力を使おうとすれば身体に融機人としての模様が浮かび上がります。……ご存じでしょう? 人間と融機人の間に子をなすことはできないと。もしトリスが、僕と別れた後に、普通の人間を好きになれば子どもがちゃんとできる。幸せな家庭を営むことができるんだ。それを僕が奪う権利はないんです」
言い終えるとネスティは首を回し、窓の外を見た。半分開いた窓から入り込む風が頬を撫でる。
心地よい風。青く澄み切った空。
聖王都は今日も平和だ。あの戦いの日々は嘘のようだった。
トリスにとっても苦しい戦いだったのだ。だから、彼女は幸せにならないといけない。
ぽん……と肩を叩かれ顔を上げる。
顔を覗き込むラウルと目があった。
「投げやりになるんじゃない。息子よ」
「別に投げやりになっているわけでは……」
ネスティはムキになって否定する。
「その話を聞いたら、トリスは悲しんだり怒ったり大変だろうて。おまえがトリスと別れようとしていることをではなくて、トリスに相談もせずにまた一人で抱え込み、一人で勝手に決めてしまうことにな」
「養父さん……」
「それは、何よりもトリスを一番傷つけることじゃよ。儂に相談するのではなく、まずトリスに相談しなさい。トリスは自分でどうするかを決めるじゃろう。妹弟子を信頼して上げなさい」
目を閉じれば瞼に浮んだ。
紫色の瞳を一杯に開いて、涙を浮かべ怒る彼女の顔が。
――ネスのばかぁ……。