027:キラキラヒカル[翡*幸]
馬を駆り国衙から少し距離のある岬まで足をのばした。
「ここで少し待っておいで」
と優しく馬に語りかけ木に繋いだ。
幸鷹は伊予の国守に任ぜられ、その旅の途中ではじめて海を見た。
伊予へと渡る港で生まれてはじめて見た海と、ここ伊予の海。同じ海でも随分違うものだと幸鷹は思う。
岬の先端で強い海風に髪を嬲られながら幸鷹は海を見下ろした。
たまに一人でここに海を見に来る。
忙殺される日々の激務から、束の間安息を求めて。
寄せては返す波の音。岩に打ち付けられ白い波頭が砕けていく。
この海の色彩も波音も潮のにおいも、京には無いものだ。それなのに懐かしい。
どこまでも透き通った青。じっと見つめ続ければ、意識が吸い込まれる。
踏みしめていた大地が心許無くなり、足の裏からその感覚が消えた。
これこそが夢。
景色が揺らいだ。
「幸鷹」
後ろから抱きすくめられる。
よく知った香がふわりと鼻腔をくすぐり、首筋や頬に自分のものでない長い髪が流れ落ちた。
その感覚に幸鷹は引き戻された。
「翡翠、何をする」
「身投げをするのかと思ったよ」
幸鷹は翡翠の手をふりほどき正面で向かい合うと、鼻で笑った。
「ばかばかしい。何を根拠に」
「そのくらい、危なっかしくて、放っておけなかったということだよ。気にさわったとしたら悪かったね」
幸鷹は警戒を込めた視線を翡翠に向けた。
「偶然……のわけないですね」
「まあね。国衙に寄ったら君が供の一人も連れず勝手に遠乗りに出てしまったと困っていよ。だから、探しにきた」
「何故、ここにいるとわかったのです? 私はここのことは誰にも教えていない」
翡翠は黙ったまま、海に目をやった。
その見つめる先を幸鷹も追った。
「ここの沖は我々の海路でね。ほら、今も遠くを船が行くだろう。だから、君がたまに、というかちょくちょくここを訪れていることを知っていた」
翡翠は水平線を指さした。
「ばかな。船の通り道にはかなり距離がある。岬に誰が立っているかなどと、判別がつくはずがない」
翡翠はくすくすと笑う。
「国守殿は確か目があまり良くないと聞いている。皆が皆君と同じ世界を見ているわけではないのだよ。たとえ、君が眼鏡をかけたとしても、我々の方が遙かに遠くを見ることができる」
幸鷹は翡翠を凝視した。
「お前には、見えていたのか」
「海で生き延びていくためには、良い目が必要だ。海賊ならば見えてあたりまえだということを覚えておきなさい」
幸鷹はもう一度海に目を戻す。
初夏の強い太陽光をきらきらと乱反射させる海面のまぶしさに目を細めた。
この光。これも知っている。
曖昧な既視感に襲われ、幸鷹は強く頭を振る。
翡翠の腕がまわされた。
真っ正面で胸を合わせ、強く抱きしめられる。
「まだいくんじゃないよ」
耳元で囁かれた低い声。幸鷹は翡翠の二の腕をそっと掴んでいた。
「あたりまえです。まだここ〈伊予〉でやるべきことはたくさん残っています」
「よろしい」
「もう、帰りますから離しなさい」
その言葉の説得力のなさに幸鷹は薄く笑い、翡翠の肩口に額を押しつけ目を閉じた。