046:キズナ[フェイ*エリィ]
エリィは、アヴェの王宮にいた。
王宮の主、バルトロメイ・ファティマは、昔の仲間の突然の訪問に驚き、それでも、嬉しそうに懐かしそうに宮殿に向かい入れてくれた。
「マルーも会いたがっていたから喜ぶよ」と。
彼のアイパッチは外され碧玉は綺麗に二つ並んでいた。
「エリィ、エリィ、本当にエリィなの? 会いたかった」
そう言いながら、抱きついてくる少女。でも、少し会わない間にすっかり大人びていた。
「わたしもよ。マルー」
それでも昔と同じ笑顔。変わらぬ印象にエリィはほっとする。
アヴェの王宮の窓から入り込んでくる風は穏やかで、ほんの数カ月前の大惨事など思い起こすことが難しいとすら感じた。
世界中を視察して歩けば、方々に崩壊の爪痕が惨くきざまれて、その惨状を想像させるに十分。でも、ここ、アヴェの地は被害も少なかったのだろう。
三つのティーカップに紅茶を注ぎ終えてマルーは言った。
「珍しいね、エリィ。一人でここに来るのは。フェイはどうしたの?」
「そうだよ。フェイは元気か? おれもここから離れることできないからな。たまには顔を出せとあいつに言っておいてくれよ。あ、二人の結婚式のときには来るなって言ってもいくけどな」
バルトは楽しそうに笑った。
エリィは曖昧に微笑み、頷いた。
どう説明すればいいのだろう。どのような言葉を並べればわかってもらえるのだろうか。
肌と肌を重ねれば温かい。触れたところは熱い。
でも、感覚が伴わない、まるで遠い記憶のよう……。
抱き合えば抱き合うほど、心の片隅から徐々に冷めていくような、そんな感覚。
それに気付いたとき、ぞっとした。
怖かった。だから、逃げ出した。あの人の、フェイの傍から。
――フェイを愛している。
賑やかな呼び声。
走り回る子どもたちの歓声。
エリィは屋台で買った挽いた豆を水で溶いて焼き上げただけの薄いクレープをほおばりながら、あてもなく市場を一人でぶらぶらしていた。
「エリィ」
聞き覚えのある声に振り返る。
「フェイ……」
二人は、広場に移動すると、ベンチに並んで腰をおろした。
「心配したよ。何も言わずに、出て行くから」
「ごめんなさい」
「でも、ほっとした。想像どおりここにいたから」
横を向けば、西日に照らされたフェイの笑顔。
村の復興のために、フェイは身を粉にして働いている。ほぼ一日中陽に曝されている彼の肌は浅黒く焼け精悍さを感じさせる。出逢ったころの頼りなげな印象から想像もつかない。
「あの……、フェイ、わたし……」
俯き、口ごもるエリィにフェイは言った。
「良いんだよ。エリィが無事ならば。別に、理由は訊かないから」
いつもいつも、そんなふうに、フェイは優しい。
だから、泣きたい気分になる。
エリィは黙って首を左右に振った。
「フェイ……。わたし、ずっと求めていたと思うの。ごく普通の男女が、恋人同士となって、結婚して子どもができて、家庭を作る。そんなふうに、平凡でも穏やかな時間をフェイと一緒に生きていきたいって……いえ、今でも……」
「そのエリィの欲しいもの手に入れられるのに、不満なの? 不安なの? それとも、おれのこと嫌いになった」
「違うわ。違うの」
一万年もの気の遠くなるような時間ずっと、それだけを願っていた。
フェイとともにありたい。
たぶん、それだけを望んでいた。
そして、いくつもの生で繰り返し出会いその度に悲しい別れを余儀なくされた。
今は、何の障害もない。
すべての願いがかなう。
それなのに。
それなのに気づいてしまった。
エリィにとって世界は、いや自分自身ですら、フェイという存在の上に構築されていたことに。
フェイは大きく息を吐く。
「おれは、エリィを大切に思っているし、ずっと一緒にいたいと思っている。エリィはどうなの? 今のエリィの気持を知りたい」
「あなたが、大切。愛している。嘘ではないわ。でも……」
そう口にして、そのまま口ごもるエリィの言葉にフェイは続けた。
「でも、一緒にいたくない……なのか?」
エリィは黙って頷いた。
「ごめんなさい。気付いてしまったの。わたしはなんなんだろう……って。あなたが望まなければ今のわたしはいなかった」
「考えすぎだよ。今のエリィは、エリィという個人の意志を持った一つの人格じゃないか。おれにはそう見えるよ」
「そうね。でも、自信がないのよ。確信が持てない。自分を感じられないの」
「……」
フェイは黙ったまま遠くを見ている。夕日に照らされるフェイの横顔をエリィは見つめる。
西の地平から空半分までが茜色に染まっていた。
フェイが立ち上がった。
「バルトとマルーに挨拶してくるよ。それで、明日にはラハンに帰る。エリィは気が済むまで、ここにいたらいいよ」
「フェイ……。あの……」
エリィもつられるように、ベンチから腰を浮かせた。
フェイはエリィの方へと振り返り、白い歯を見せ、にっこり笑った。
「エリィが誰のものでもない自分の意志で決めったって確信が持てたのなら、どういう結論を出そうがおれは受け入れるよ。だって、エリィの人生なんだから」
エリィはフェイを見た。
そのまま二人は少しの時間見つめ合っていた。
そして、エリィは笑顔を浮かべ、こくんと頷いた。