033:私の名前[シタ+フェイ]
古い友人からは未だに「ヒュウガ」と呼ばれる。彼らにとって、自分はずっとヒュウガ・リクドウのままなのだ。
地上に降りてから名を変えている。今はシタン・ウヅキだ。
それなのに、だれも「シタン」とは呼ばない。呼ばれた記憶もない。
「先生」
皆、そう言う。
確かに、ラハンで生活をしていたころは医者ということで「先生」と呼ばれることが自然だった。
だが、ここユグドラシルではかつて医者であったことも知らない連中が多い。それなのに「先生」だ。
フェイが「先生」と呼ぶから皆つられて、「先生」と呼ぶようになりそれが定着した。シタンと名を呼ぶ者は少ない。
「先生……やっと見つけた。捜したよ」
背中からかけられた声に振り返れば、フェイが走り寄ってくる。
「フェイですか。どうしたのです? そんなに慌てて」
シタンは通常装備のにっこり笑いをフェイに向けた。
「うん、たいしたことないとは思うけど、ちょっとお腹の具合が悪くてさ」
「でもね、フェイ。ここでは先生じゃないんですよ。私は。ユグドラシルには立派な船医がいるでしょう。そちらで看てもらいなさい」
不満げな上目使いでフェイはシタンをじとーと見ている。
「だってさ、先生は俺がラハンにきてから、ずっと俺の身体のこと看てくれていたじゃないか。だから、具合が悪いときは先生のほうがよくわかっているから安心できるんだ」
「ふむ……。確かにフェイの言うことも一理ありますね。では、先に船医のところに行きなさい。その後で一応薬をチェックしてあげますよ」
フェイは、ほっとした笑顔を向けた。
「うん、ありがとう先生」
そこへ、通りかかったバルトがシタンに声をかける。
「先生、フェイ腹こわしたって言っていたけど、大丈夫か?」
「ええ、話から推察するに、ただの消化不良ですね」
「ああ、そうか先生は医者だったんだよな。フェイ、今日は俺にまかせて少し休んでいろよ」
とフェイの肩に手をのせる。
そして、「じゃあ後でな」とギアドックへと向かった。
そんなバルトの背中を見送って、シタンはフェイに話しかける。
「若くんも『先生』と呼ぶんですよね……」
フェイは、何を今更言っているのだろうといった表情でシタンをまじまじと見た。
「先生を先生以外にどう言えばいいんだよ」
一瞬絶句する。
「先生というのは、それなりに尊敬されるような人に対しての敬称ですよ。だから偉そうで、医者でもない今、少し違和感があります。それに『シタン』という名があるんですから」
フェイは、きょとんとした様子でシタンを見る。が、すぐにそうかと両手をぱちんと合わせた。
「あはは。俺、今『シタン』っていわれてピンとこなかった」
「はあ」
相づちとも言えないような、情けない声を出してしまった。
「今更シタンなんて呼ぶのはメイソン卿くらいだろう。ピンとこないな。先生はみんなの頼れる先生であることは間違いないんだから、先生でいいよ」
「フェイがそう言うのなら諦めますか。私もその『先生』の名に恥じないよう、がんばらなくてはいけませんね」
「うん、頼りにしているから、先生」
フェイはシタンの背中をぽんと叩くと、バルトを追いかけるようにギアドックへと走りだしていた。
「あ、フェイ、お腹はどうしましたか?」
そう大声で呼びかけるが、聞こえている様子はない。「仕方ありませんね」
と、シタンは眼鏡を少し持ち上げ、フェイの後を追うことにした。