167:泡[若+マル+フェイ+シグ+シタ]
「シフォンニサーナが食べたいな」
と、小さな大聖母マルーは呟いた。
「あ、俺も、ここ何年も食ってねえな」
彼女の従兄バルトも頷いた。
「ねえ、それ二人の間でよく出る菓子みたいだけど、そんなにおいしいのか?」
フェイが身を乗り出す。
「ん……ああ、たまに食いたいなと思うよ。マルーが遊びにくるときの手土産の定番だったからな。ふわふわできめ細かいケーキは他に無いよな」
「へえ、それは美味そうだな」
「よお、それでシグ……これからちょっくらニサンにシフォンニサーナ買いにいこうぜ」
「そんな時間はありません。我が儘だか冗談だかはわかりませんが、シフォンニサーナのためだけにニサンに行くわけにはいきません」
と、ユグドラシルの副長はきっぱりと言い棄てた。
バルトは頬杖ついてちぇっと舌打ちをする。
そこへマルーがぽつりと言った。
「若、ボク、作ってみようかな」
「作り方知っているのか?」
「うーん。ケーキだから基本は卵と砂糖と粉を混ぜて焼けばいいんじゃないかな」
「なんか、乱暴だな」
そこへ、いいこと思いついたといった表情でフェイがぽんと手のひらをグーで叩く。
「そうだ、先生に相談しよう」
焦った様子でシグルドは身を乗り出す。
「ヒュウガに? それは駄目です、フェイ君。あいつは、今までに食えるもの作ったこと無いんですよ。ヒュウガの料理の腕の恐ろしさを知らないからそんなことを」
「駄目じゃん」
バルトはかっくし肩を落とした。
「確かに先生、料理の腕はからきし駄目なんだけどさ、もしかするとシフォンニサーナに関する重要な情報を持っているかもしれない。何せ先生だし」
「なるほど……」
三人は顔を見合わせて頷いた。
「お話はわかりました。私にシフォンニサーナの処方について何か情報がないかということですね」
「しょ、処方?? 先生、なんか難しい言葉だな。これは期待できそうだぜ」
処方とレシピの言葉の使い分けが出来ていないだけなのに、何故かバルトは感心していたりする。大丈夫かこの王子は? シグルドは一抹の不安を感じていた。
フェイも「期待できそうだね」と頷いた。
シグルドは痛み出した頭を抑えた。
シタンはにっこりと笑って、少し待っていてくださいと席を立った。
しばらくして戻ってきたシタンは一枚のメモをマルーに渡した。
四人はメモを覗き込んだ。まともなレシピの体裁が整っていることにシグルドは驚いた。
「この、スパイスが手に入らないでしょうから若干香りは違ったものになりそうですが、きめの細かさと、口の中でとろけるようなふわふわ感は再現できるはずです。一番のポイントはここですね。卵の白身と黄身を分けて、白身をよく泡立てます。ただし、泡立て過ぎると分離しはじめて、ボロボロになってきめの粗いケーキになってしまいますので、角が立つか立たないか程度でやめておくみたいですね」
マルーはメモに一通り目を通して顔を上る。
「ありがとう! すごくポイント抑えてわかりやすいメモだよ。これで作れそうだね。今から早速作ってみようよ。若、手伝ってよ」
マルーはメモを握りしめキッチンへと向う。バルトとフェイもその後をついて行った。
三人が立ち去ってから、シグルドはシタンに訊いた。
「何故、おまえがシフォンニサーナのレシピを持っている?」
「ええ、ユイに訊いたんですよ」
「訊いた? って、ユイさんはここにはいないだろう?」
「……え、ええ、まあ。そうですよねぇ。私としたことがついうっかり。昔シフォンニサーナのレシピメモを書いて貰っていましてね」
「何故、何のためにユイさんがおまえにレシピ、それも一般的ではないシフォンニサーナのレシピか? おまえ何か隠しているな」
一つだけになった、ブルーの瞳がぎろりとシタンを睨んだ。
「いえ、まあいいではないですか」
シグルドの追求をシタンは人の良さそうなにっこり笑いで軽くかわした。
よく考えれば、レシピ(recipe)には処方という意味もあるわけで。いわゆる料理のレシピに該当する日本語って無いですね。まあ、シタンの処方はprescription……ということで(自分でツッコミ)