025:ごちそう[ユイ+シタ]
「今日はごちそうよ」
母は微笑んだ。
使役で出向いた先の上流階級の雇い主がとても良い人だった。子どもがたくさんいるのなら、これを持って行きなさいと。
袋一杯の缶詰。そして林檎。
林檎にかぶりつけば、甘酸っぱい果汁が口一杯に広がった。
生の果物なんて、何年ぶりだろうか。
これはいつもの食事――ただ空腹を満たし生命を維持するためのだけのもの――とは違う。
特別の食事。
だから、ごちそう。
「あなた、食事しながら本を読んだりするのはやめてくださらないかしら。ミドリにもあまりいい影響を与えないわ」
「あ、すみませんユイ。気になることがあって、つい」
シタンは慌てて本を閉じた。
ユイはため息をついて、シタンの前におかわりのパンを盛った皿を置いた。
ミドリはそんな両親の顔を交互に見ながら、もくもくとシチューを口に運んでいる。
そして、ぼそりと「おかわり」と空のボールをユイに差し出した。
ユイはにっこりと笑ってシチューボールを受け取りミドリに尋ねた。
「今日のシチューはいかがかしら?」
ミドリは「おいしい」と答えた。
シタンはあらためてシチューに口を付けてみる。
シチューを舌の上で転がすようにして味わい、飲み込んだ。
とろりとしたきめ細かな舌触り。絶妙の塩加減に深いこく。
やはり、ユイの手料理は絶品だと思う。
それを毎日食べることができる。なんと贅沢なことだろう。
毎日がごちそうなのだ。
それなのに、さっき本を読みながらシチューを口に運んでいたときはその味を意識しなかった。
どんなにおいしくてもこれは特別の料理ではない。
すでに日常なのだ。
そのことに今更気が付いてシタンは愕然とする。
そんなシタンの様子をユイが訝しげに見つめていた。
「何か変かしら? 今日の料理は」
「そんなことありませんよ。ユイの料理は今日もとてもおいしいです」
「そう。ならいいんだけど」
シタンは苦笑してスプーンを置いた。
ボウルの中はきれいにたいらげられていた。
食後のお茶を飲みながら、シタンは言う。
「いえね、はじめてユイの手料理を食べさせてもらったとき、世の中にこんなにおいしいものがあるのかって感動を通り越してかなりショックだったんですよ」
ユイはくすりと笑った。
「そうね、あの時あなたは雷に打たれたような顔をしていたわ。びっくりしたのは私のほうよ。世の中には私の手料理でこんなにも感動してくれる人がいるなんて……ってね」
「でもね、それが毎日になりあたりまえのこととなってしまいました。料理上手な妻のおかげで。だから、本を読みながら料理を味わうこともせずに、口に運ぶという無礼をやらかしていたわけです」
ユイはくすくすと笑う。
「大げさな人ね」
シタンは微笑んだ。
世の中にはこんなにおいしいものがあるのだろうか。
そう思ったことは二回。
はじめてユイの手料理を食べさせてもらった時と、あのソラリス最下層でかじった林檎。
シタンは目を閉じた。
口一杯にあの甘酸っぱい味が蘇った。
「なんか林檎が食べたくなりましたね」
食器の片づけを手伝いながらシタンは妻に言った。
「はいはい、では明日にでもラハンの市場で買ってくるわ」
二人は目を合わせ微笑んだ。