013:レンズ[ウヅキ一家]
これは、望遠鏡に。
これは、顕微鏡に。
これは、虫眼鏡に。
これは、カメラに。
これは、めがねに。
おとうさんのめがね。
明るい窓辺に座り、何かを熱心に並べている娘の背中に、ユイは声をかけた。
「あら、レンズね」
小さな娘ミドリは、こくんとうなずいた。
一つずつ、透かして窓から景色を眺めたり、窓枠においてある鉢植えの花を拡大してみたり。
大きくしたり、小さくしたり。
レンズ越しに、世界は変わる。
そういえば、ずいぶん前に父親の顔、というかめがねをミドリはじっと見つめていたことがあった。
その時、娘の視線に気が付いて、小さなミドリを抱き上げ父親は言った。
「メガネにはレンズがついています。レンズには凹レンズと凸レンズがあって、おとうさんのように近視だと、凹レンズです。遠視の人は、凸レンズ。光をね、発散、収束させて、像を結ぶのですよ。これのおかげで、ミドリの顔もはっきり見ることができます」
ミドリは一言も口をきかずに、難しい顔をしていた。
それを見ていて、ユイは吹き出した。あんな小さな子ども相手に、何を理屈っぽい説明をしているのだろうと。
それから、ミドリはいらなくなったレンズをもらってはコレクションしていたのだ。
「それは、おとうさんのがらくたについていたレンズね。ずいぶんたくさんたまっていたのね」
ミドリは、手元にある小さな指輪をレンズで拡大して、ぽつりと言った。
「よく見えるの」
「そうね、よく見えるわね。細かいものも大きく見えるわ」
「でもね、見えないの。おとうさん、真っ暗」
乾いた冷涼な風が、街のいたるところに設置されている風車をからからと回していた。そんな音だけが響く静かな世界だった。
子どもの声はほとんど聞こえない。
空に浮かぶ白い都市国家、シェバト。
「ただいま、ユイ」
「おかえりなさい。あなた」
「ユイ、あなたもたいへんでしたね」
久しぶりに見た夫は、しばらく会わない間にやつれていたように見え、胸が痛かった。
ユイは私は大丈夫と、首を振って笑った。
「久しぶりにおいしい食事をつくりますね。材料は乏しいのですけど」
「ああ、それは楽しみだ」
シタンははじめて、どこかほっとしたように笑った。
食後、ミドリが眠ってしまってから、二人はゆったりとソファに座りお茶を飲む。
束の間の休息だった。
二人の会話は、ひたすら自分が離れてからのミドリの様子をユイがシタンに話すという感じだった。
「ええ、あの子、知らない間にレンズを持ち出していたのね」
「そうですか。そんなことが」
「見えない……って。あなたが」
シタンははっとしたような表情をするが、カップをそっとテーブルに置いて目を閉じた。
「私の中には、ミドリに見せられるようなものは何もありません」
「だから、心に蓋をしているの? でも、それではずっとミドリはあなたに心を開かないわ。あなたは、自分がどんなにミドリを愛しているのかということさえ見せていない」
「不器用ですから。すべてを見せないことくらいしかできないのですよ」
ユイは、大きなため息をついた。
「それが、あなただから仕方ないわね」
「すみません」
俯いた夫の顔をのぞき込んで、ユイは言った。
「そんな、情けない顔しないでくださいね。父親なんですから。そして、いつかミドリに……」
続く言葉を遮ってシタンはユイを抱きしめた。
風がやんだシェバトの夜は、風車の音すら聞こえない。静寂の中にある。
身体が冷え切っていたようだ。夫の胸は温かい。その体温で不安を溶かすかのように、いつまでも二人は抱き合っていた。
そして、シタンはユイの耳元でぽつりと言った。
「今回の件がすべて終わったら必ず。約束します」
ユイは、シタンの胸でこくりとうなずいた。