145:カメラ[ウヅキ一家]
「先生、明日はうちのばーちゃんの80才の誕生日なんだよ。カメラ貸してくれや」
「はい、おやすいご用ですよ」
「うちの息子が一旗揚げるとアヴェに行くことになった。最後の家族写真を撮りたいのだが、先生、撮ってくれないか?」
「もちろんです」
この村で唯一のカメラ所有者であるシタンの家へは、「カメラを貸してくれ」だの「写真を撮ってくれ」だのという依頼が絶えない。本来、シタンの職業は医者であるのに、むしろ患者として訪れる人よりカメラがらみの用件で訪れる人のほうが多いかもしれない。
こうなるとバッティングすることも多く、どちらが優先されるべきか、シタンの前にて揉めることも多々あった。
仕方ないので、予約制にする。
予約制になってから、トラブルはずっと減った。
しかし。
「ふう……」
「どうしたの?」
予約ノートを見つめて、ため息をつく夫にユイは声をかけた。
「いえね、カメラの予約なんですが……もうぎっしりでして。日中の明るい写真が撮れる時間帯にはここ一ヶ月は空いていない状態です」
「繁盛しているわね。本職よりずっと」
ユイはくすくす笑ってノートを覗き込んだ。
「医者が繁盛していないというのは、皆が健康だという証拠でそれは良いことなんですが。それにしても、カメラがここまで空いていないと……困った」
「なにを困っているのかしら」
「そるそろミドリの写真を撮りたいと思っているんですけどね」
幼い子どもの成長による変化は目まぐるしい。
あっという間に容貌は変化していく。それは嬉しいものではあるのだけど、その一瞬しかない幼い愛娘を記録しておきたいというのは当然の親心である。
「この調子ではいったいいつカメラが使えるのやら」
覗き込んでいたユイは、ペンをとると一番近いまだ空いている日大きく○で囲った。
「予約者――ウヅキ……と、これでいいわ」
「ユイ?」
「もう、本当にあなたって抜けているわね。先に自分で予約しちゃえばいいのよ。まったく、他の人優先にしていたら、使えるカメラも使えなくなっちゃうわ」
シタンは、目を丸くして、というかむしろ呆然としてユイを見た。
「……あ……。私としたことが、本当に気が付きませんでした」
ユイはぷっと吹き出すと、くすくす笑った。
「もう、抜けているなんてもんじゃないわよ。丁度良い機会だから、ミドリに新しい服をあつらえようかしら。かわいい服を」
「ユイも新しい服を仕立てたらいかがですか? 母子揃って新しい服を着て写真を撮りましょう」
「あなたもね」
「私もですか? いえいえ、私は写真を撮るほうですから、いりませんよ」
ユイはため息をついた。
「ねえ、私たち一家揃って撮った写真って一枚も無いってこと気が付いていた?」
「え? そういえば。考えたこともなかったですけど」
「いえ、それどころかあなたの写真も……確か、結婚したときにおじいさまが撮ってくださった一枚だけだったように思うわ」
確かにそうではあるのだが、改めてその言われると愕然とする。
そんな発想などなかった。
カメラを扱うのは自分、被写体は妻と娘。それは、揺るがない役割分担だと思っていた。
「いえ、でもそれでは写真を撮る人が」
ユイはしれっと言う。
「本当に頭硬いわね。そんなのフェイに頼みましょう」
シタンはぽんと手を叩いた。
「なるほど! そうですね」
「ではさっそくフェイを予約しておかなくちゃ。報酬は夕食をごちそうする……でいいわね」
シタンはにっこり笑って同意した。