133:鏡[ウヅキ一家]
ドアの隙間から覗けば、鏡の前で百面相。
鏡に向かって何かしきりに話しかけている。
小声で、よく聞き取れない。
「……ね。……の……から、……ます」
ただの独り言?
独りぼっちの寂しいごっこ遊び?
そんな愛娘の様子に、シタンは気づかれないよう部屋の前からそっと離れた。
「まあ、ミドリらしいわ」
ユイは、カミナリ大根の皮をむきながら、くすくす笑う。
「笑い事じゃないですよ。同じ年頃の遊び相手がいませんからね、ここには。お友だちができないというのは問題多いと思いませんか?」
「それは、そうなんだけど。でも、あの子まだ五歳なんですから焦ることはないわ。学校へ通うような年になれば、自然と友達もできるでしょう」
「ユイは、楽観的過ぎますよ」
「と、言われてもどうしようもないし。なるようにしかならないわ」
「そりゃ、そうなんですけどね」
「今のあの子にだって友達がいるといえばいるわ。小鳥とか……。そうそう、年の離れたお友だちがいるでしょう?」
「フェイですか?」
ユイは、にっこり笑って頷いた。
シタンは鍋に水を注ぎ終えて、ユイを見た。
「そろそろ三年になりますね」
「そうね」
「フェイは……すべての記憶を失って。何も思い出せないまま三年です」
「つまり、フェイはまだ三歳ってことよね。ミドリの弟分かもしれないわ」
「なるほど。それならば合点がいきます。傷が癒えたフェイは、何故かたった二歳児のミドリと一緒にいると一番安定していましたね」
「そうね、ミドリもフェイの傍にいるのが好きだったものね。あれ以来、鳥りに餌をやったり遊んだりとミドリはフェイに懐いていたわね」
「本当に……。父親の私には口すらきいてくれないのに」
夫の拗ねたような物言いに、カミナリ大根を入れた鍋を火にかけ、ユイは振り返る。
「もしかして嫉妬?」
「ええ、まあ。問題は私にあるってわかっているんですけどね。どうしていいのやら」
シタンは盛大にため息を付いた。
「だから、あなたは話を複雑にし過ぎなのよ。そんな大げさな問題じゃないって何度言えばわかるのかしら?」
「すみませんねえ、物わかりが悪くて。……おや? もうこんな時間だ。暗くなる前にガラクタの整備をしておきます。いつ必要になるかわかりませんし」
「そうね、お手伝いご苦労様」
「どういたしまして」
シタンがキッチンを出て少したって、ふと振り返るとドアの外にミドリが立っていた。
「あら、ミドリお手伝いをしてくれるの?」
ミドリはこくんと頷いた。
「ありがとう、ミドリ。では、そこにある布巾を畳んで引き出しにしまってくれるかしら?」
ミドリは小さな手で、布巾を畳む。丁寧に皺を伸ばしながら黙々と。
「上手ね、ミドリは。仕事が丁寧だから助かるわ」
ミドリは顔を上げはにかんだように微笑んだ。
「ねえ、ミドリ。練習をしていたの? 鏡の前で」
ミドリは目を大きく見開いて、少し驚いたような表情をするが、すぐに頷きぽつりと言った。
「……まだ、だめなの」
ユイはミドリの頭を撫で微笑んだ。
「そう、まだ駄目なのね。でも、大丈夫よ。お父さんはずっと待っていてくれるわ。ずっとずっと何十年でも。だから、大丈夫なときにお話するようにしましょうね」
ミドリは大きく頷きにっこりと笑った。