113:毒[ヒュウガ]
家族の亡骸を前にして子供が泣いていた。
声も立てずに涙も流さずに、ただ、失ったものの大きさをその痛みをどう訴えていいか分からずに。そこには、喪失感と悲しみ以外の感情はなかった。
何も映していない瞳……。
自分が直接手を下したわけではないとはいえ、この少年から見れば奪った側に属していることには間違いない。
怒りをぶつけられた方がまだましだった。そこには、憎しみも恐怖も感じる余裕のないほどの深い悲しみがあるだけだった。
その少年から視線を外し振り返る。
川縁の樹。薄紅色の花が咲き誇っている。はらはらと舞う薄紅色の花びらは凄惨な光景の中にあっても胸が締め付けられるように美しい。
ああ、綺麗だ……
ぼんやりと心の中で呟いていた。この惨状の中なぜそんなふうに感じてしまうのか。
ヒュウガは少年にくるりと背を向け歩きはじめた。
手をさしのべたとしてもキリがないのだ。あの少年が一人で力強く生きていくことを祈ろう。
ヒュウガは皮肉な笑みを浮かべた。きっと、カールならば迷わず手をさしのべただろうと思う。それがカールという友人の優しさだった。
目を閉じればあの少年の虚ろな表情が瞼に浮かぶ。
ふと、その少年が他の少年にすり替わるとともに風景もがらりと変わる。
ガラス越しの遺体安置所。冷たい白い壁。消毒薬の臭いが不快だ。
少年が振り返り、こちらを見た。
「何故? 何故、僕一人だけ生かされてしまったの?」
涙を浮かべた黒い瞳がそう訴える……。
それがきっかけだった。
ヒュウガは抵抗することもせずに、一方的に流れ込んでくるイメージを受け止めた。
「毒を撒いてここの人たちを皆殺しにするなんて、悪魔!! 人殺し! 一番下の子はあんたと同い年だったんだよ。みんな死んじゃったんだよ」
その女の人をよく知っている。友達のお母さん。優しい人で、よくお菓子をくれた。
たまたま使役で離れていた。
子供すべてを失ったこの女性の悲しみも憎しみも正当なもので、その最愛のものを奪ったのが自分ならばどれだけ罵られても仕方がない。
でも、まったく身に覚えがないことだった。聞く耳を持たない人たちに『あなたたちの信じ込んでいることは間違いだ』と説得するにはどうすればよかったのだろうか。
いわれのない迫害……。
十二年間どれだけ家族に愛され守られてきたのかを思い知った。
あの頃は自分を守ることに必死だった。子供をその精神と肉体両方において痛めつけるのは簡単なこと。
彼らを許すことなどできなかったけど、彼らの悲しみも苦しみも本当のことだったから。
第三階級でも一応学校らしき設備はある。
学校にある本をひたすら読みふけった。それは決して優しくはない世界からの逃避の時間だった。希望などこれっぽっちも無かったけど、心の何処かで誰かが助けに来ることを待っていたのかもしれない。
第三級市民層にある学校にあるレベルの本は直ぐに底をつく。明日から読む本が無くなってしまう……それだけを恐れていた。
ある日一人の青年と自分と同じくらいの年の少年が現れて、ユーゲントに入れてやろうと言った。
「学校? 本は沢山ありますか? 勉強してもしいの?」
「勉強する為に行くんだ。何の勉強がしたいんだ?」
「医学、機械工学、情報科学……。何かを学べるならなんでもいい!」
青年が怪訝な顔をしたことを覚えている。
夢のようだった。
ユーゲントで、その当時、公式発表されている研究論文で手に入らないものは何一つなかった。研究施設は、ユーゲント生であればかなり自由に利用することが可能だった。
ヒュウガにとって、それは宝の山――玩具箱――だったのだ。
目的など何一つ無かったけれど、勉強は最高の娯楽であり知識欲を満足させる日々はあの地獄のような日々を思えば天国だった。
楽しかった。偽りの世界の中でもうまくやっていけると信じていた。
与えられた玩具で遊ぶことが最終的にどのような結果をもたらすかなど知らなかったし考えたこともなかった。
否……知っていた。知らないふりをしていただけだった。
ヒュウガはふり返りまだ少年が泣いているだろう町を遠望した。
一陣の風が長い髪を嬲る。
あからさまに混じる焦げ臭に眉を潜めた。
そう、これが結果なのだ。