106:光[ジェシ+ヒ]
浮き石に何度か乗り移り民家らしき建物―今は人は住んでいないようだが―へと入ると螺旋階段をゆくりと昇って行く。吹きっさらしのバルコニーへでると煙草に火をつけ空を仰いだ。
ソラリスよりも低空にあるシェバトは、頭上に地上を仰ぐことはない。終点の見えない空は、地上から見える空よりも紫がかっている。傾きかけているとはいえ、強烈な日差しの眩しさに思わず目を細めた。
高地にあるシェバトは、風がどんなに冷たくても地上よりもはるかに光は強い。
「いかがですか? あれほど先輩が望んでいた地、シェバトですよ」
背後から聞こえてきた声。その声の主がわかっているジェサイアは振り返ることもせずに煙を吐いた。
「皮肉か? ヒュウガ」
「確かに黙っていたのは悪かったのですが。ヘタに話せば先輩にしつこく糾弾されるだけですし、あの時点で先輩に提供できるような情報は何一つ持っていませんでしたから大した問題ではないかと」
ふんと鼻を鳴らして、はじめて振り返る。
後輩の困ったような表情を視界に捉えた。口角の片側を上げて皮肉な笑みを浮かべた。煙草を靴の裏でもみ消す。
「先輩がソラリスを脱出される直前、何かに取り憑かれたようにM計画を追い続けていましたね。端から見ていて冷や冷やしました」
「面白がっていたの間違いだろう」
確かに、なりふり構っていなかった。いずれ足がつくことは目に見えてはいたが、立ち止まるわけにはいかなかったのだ。
調べていく中でジェサイアはM計画の中心科学者が研究データを移植したギアゼプツェンに娘を乗せソラリスから脱出させたことを知ることになる。脱出に際し外部で手引きしたものがいる。手引きしたのはシェバトに関係したものとみて間違いない。
結局、ソラリスでこれ以上の情報を探ることは危険だと判断した。ラケルの強い進言もあって、家族もろとも地上に降りることを決心する。
地上へと降りたあとも引き続きM計画の真相を追い続けていた。真実に近づくためにシェバトの人間と接触する必要があった。なんとかシェバト地上工作員の連中と知り合うことはできた。
その後が長かった。どこの馬の骨とも知れぬ男をそう簡単にシェバトに招待するはずはない。元ソラリス地上制圧部隊の次期総司令候補などという肩書きは、マイナスになっても決してプラスにはならない。用心深い連中との信頼関係を築くにはかなりの根気を要した。
そんなおりソラリスがシェバトを墜とすべく動き出した。その情報を得たとき躊躇わずにシェバト側についた。その地上ゲリラ部隊の大将が三賢者の一人ガスパールだった。
敵将は、今、目の前にいるこの後輩だ。
この後輩はシェバトにソラリスに逆らうだけの戦力は残されていないと判断すると、あっさり兵を退かせやがった。つまり、こいつの目的を達成するために墜とす必要もなかったということだったのだろう。
鮮やかな手腕だった。
しかもこの後輩は、この戦いで知り合ったガスパールの孫娘に一目惚れして口説いた挙げ句結婚して子どもまでこさえていやがった。
ガスパールもこいつのどこが気に入ったのか。
その頃自分といえば折角信頼を得たガスパールをはじめシェバトの連中とはぐれてしまって途方に暮れていた。まったく間抜けなものだ。
ジェサイアは大きく息を吐き、もう一度紫がかった空を見上げた。
冷たい風が頬を掠めていく。
中空を彷徨う白い都市国家シェバト。
静かな世界だ。乾いた風が至る所に設置された風車をくるくると回している。
瞼を閉じ耳を澄ましてみても子供の声すら聞こえない。まるで、廃墟に立っているような気分にさせる。
風車のからからという音が街の閑散とした様を際だたせている。
焦がれていた。
真実の鍵を握った街であるからという理由だけではない。ソラリスにいた頃、たぶんこの街に憧れていたのだ。
何故あれほどまでに執着したのか。
イメージの中のシェバトは強い光の中にある。
嘘と欲望で塗り固められたソラリスとは違う清廉な街であると思いこんでいた。
あれほど焦がれたシェバトの地に今こうして立って知る。
すべてが幻想であったのだと。
この強い光の中にあって、なんと寂しく、そして暗い世界なのだろうか。
肩を軽く叩かれ振り返る。
眼鏡の奥から闇色の瞳が静かにジェサイアを見つめていた。
「先輩、まだ何も終わっていないのですよ」
ジェサイアは苦笑して頷いた。
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