096:たそがれ[ジェシ+ラケ+ジョ]
夕日が染めた西空から広がる茜色が、ゆっくりと茄子紺色に侵食されていく夕暮れ時。光は、闇に呑み込まれるせつなその輝きを増す。
ジェサイアは足を止め振り返り、西の地平を見つめた。
――ダメよ、ジェス。部屋の明かりは点けないでね――
ソラリスを脱出してから落ち着いたアクヴィエリアにある住居からは、海に沈む夕日を見ることができた。
薄暗くなりかける夕間暮。
太陽が水平線に触れようとする直前、茜色に染まった雲の隙間を幾本もの光の刃が貫いていた。
それは薄暗くなった上空へ、放射状に広がっていく。しかし、その光景も束の間のこと。
太陽が水平線の下に隠れていくと共に、徐々に光は弱まり、うすぼんやりとしたたそがれ時を迎える。
完全な闇が支配するまでの時間は概ね三十分。
その移ろうさまは幻想的で美しいとラケルは言った。
――きれいね。悔しいけれど、こんな風景の中で育った人たちの色彩感覚にかなうわけないわね――
あの閉ざされた世界〈ソラリス〉には、存在しないさまざまな色彩、音、匂い、温度。それを子供たちに見せ、聞かせ、触れさせてやることができた。それだけでも、地上に降りてよかった。後悔することなど何一つないと。
何もかもが鮮やかすぎる女だ。
一生、彼女を守りたいというジェサイアの甘さを一蹴した。覚悟を決めた目。もちろん、それは『諦め』というのとはまったく意味合いを異にする。
だから、誰も彼女の代わりにはなれない。妻、母親、恋人である彼女を欲したわけではない。ジェサイアにとって必要だったのは、世界にたった一人の彼女だったのだ。
「ジェサイア」
呼ばれて顔を上げる。
無精ひげをはやしたごつい男と目があった。男は顎を撫でながらにやにやと笑っている。
「なんだ、ジョシュア」
憮然とした表情を相手に向けた。
「ホームシックになっているんじゃねえよ。なさけない」
図星だった。むっとして反論する。
「そっちこそふざけたこと言うんじゃねえ」
ジョシュアは、「ははは」と笑いながらくるりと背を向け歩き出す。
ジェサイアはもう一度、西の地平を振り返った。
日はたった今沈んだようだった。空はすでにぼんやりと薄暗い。これからあっという間に夜の闇が訪れる。
この日が沈んだ瞬間の、この空の色彩を彼女も見ていただろうか。
――ジェス、しっかりしてちょうだい。
ラケルの声が聞こえたような気がした。我に返る。
「わかっているさ。俺はもう振り返らない」
自分の甘さに自嘲的笑みを浮かべ、まだ仄かに明るい西の空に背を向けた。
東の空はすでに闇に覆われている。
その闇に向かって淡々と歩いていく男の後ろ姿があった。
男は振り返りジェサイアを見た。
「置いていくぞ」
ジェサイアは黙ってうなずき、男の後を追った。
※この話に関連するお題は時系列順に以下のとおりになっています。